中原中也・詩の宝島/ランボーを介した交流<はじまり・その24>/「或る夜の幻想」初稿
ついでですから
元の「或る夜の幻想」を
読んでおきましょう。
この詩は初め
1937年(昭和12年)2月20日発行の「四季」に
発表されました。
詩人が亡くなった年です。
◇
或る夜の幻想
1 彼女の部屋
彼女には
美しい洋服箪笥があった
その箪笥は
かわたれどきの色をしていた
彼女には
書物や
其(そ)の他色々のものもあった
が、どれもその箪笥に比べては美しくもなかったので
彼女の部屋には箪笥だけがあった
それで洋服箪笥の中は
本でいっぱいだった
2 村の時計
村の大きな時計は、
ひねもす働いていた
その字板のペンキは、
もう艶が消えていた
近寄って見ると、
小さなひびが沢山にあるのだった
それで夕陽が当ってさえか、
おとなしい色をしていた
時を打つ前には、
ぜいぜいと鳴った
字板が鳴るのか中の機械が鳴るのか、
僕にも、誰にも分からなかった
3 彼 女
野原の一隅には杉林があった。
なかの一本がわけても聳(そび)えていた。
或る日彼女はそれにのぼった。
下りて来るのは大変なことだった。
それでも彼女は、媚態(びたい)を棄てなかった。
一つ一つの挙動は、まことみごとなうねりで
夢の中で、彼女の臍(おへそ)は、
背中にあった。
4 或る男の肖像
洋行帰りのその洒落者は、
齢をとっても髪にはポマードをつけていた。
夜毎喫茶店にあらわれて、
其処の主人と話している様はあわれげであった。
死んだと聞いては、
いっそうあわれであった。
5 無題
――幻滅は鋼のいろ。
髪毛の艶と、ラムプの金との夕まぐれ、
庭に向って、開け放たれた戸口から、
彼は戸外に出て行った。
剃りたての、頸条も手頸も、
どこもかしこもそわそわと、
寒かった。
開け放たれた戸口から
悔恨は、風と一緒に容赦なく
吹込んでいた。
読書も、しんみりした恋も、
暖かい、お茶も黄昏の空とともに
風とともにもう其処にはなかった。
6 壁
彼女は
壁の中に這入ってしまった
それで彼は独り、
部屋で卓子を拭いていた。
(1933・10・10)
(「新編中原中也全集」第1巻「詩Ⅰ・解題篇」より。新かなに変えました。編者。)
◇
夢の中で、彼女の臍(おへそ)は、
背中にあった。
――という前に彼女は
杉の木に登ったのでした。
そして降りて来るのに
難儀したのでした。
◇
今回はここまで。
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