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2018年5月20日 (日)

中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「わが放浪」」(Ma Bohème)

 

 

「秋の一日」が

ランボーの「わが放浪」(Ma Bohème)を

色濃く反映していると読み取ることは

自然な感性といってよいでしょう。

 

どのようにしていつ

それが行われたかを説明することはできませんが

詩行への反映は火を見るよりも明らかですし

放浪の気分の底にあるものも共通しています。

 

 

わが放浪

 

私は出掛けた、手をポケットに突っ込んで。

半外套(はんがいとう)は申し分なし。

私は歩いた、夜天の下を、ミューズよ、私は忠僕でした。

さても私の夢みた愛の、なんと壮観だったこと!

 

独特の、わがズボンには穴が開(あ)いてた。

小さな夢想家・わたくしは、道中韻をば捻ってた。

わが宿は、大熊星座。大熊星座の星々は、

やさしくささやきささめいていた。

 

そのささやきを路傍(みちばた)に、腰を下ろして聴いていた

ああかの九月の宵々よ、酒かとばかり

額(ひたい)には、露の滴(しずく)を感じてた。

 

幻想的な物影の、中で韻をば踏んでいた、

擦り剥(む)けた、私の靴のゴム紐を、足を胸まで突き上げて、

竪琴みたいに弾きながら。

 

(「新編中原中也全集」第3巻「翻訳」より。新かなに変えました。編者。)

 

 

これは

中原中也が「ランボオ詩集」(1937年)に

翻訳したものです。

 

「秋の一日」の制作は

最も古く遡ったとして

大正15年(1926年)秋の可能性があります。

 

 

「秋の一日」の

ぽけっとに手を突込んで

――という1行が

そっくりそのままである上に

この放浪が

詩を作ることを歌っている詩であるところが

ピタリと軌を一にしています。

 

小さな夢想家・わたくしは、道中韻をば捻ってた。

――は

今日の日の魂に合う

布切屑(きれくず)をでも探して来よう。

――と響き合います。

 

 

そうでありながら

「秋の一日」は中也の詩です。

 

 

秋の一日

 

こんな朝、遅く目覚める人達は

戸にあたる風と轍(わだち)との音によって、

サイレンの棲む海に溺れる。 

 

夏の夜の露店の会話と、

建築家の良心はもうない。

あらゆるものは古代歴史と

花崗岩(かこうがん)のかなたの地平の目の色。

 

今朝はすべてが領事館旗(りょうじかんき)のもとに従順で、

私は錫(しゃく)と広場と天鼓(てんこ)のほかのなんにも知らない。

軟体動物のしゃがれ声にも気をとめないで、

紫の蹲(しゃが)んだ影して公園で、乳児は口に砂を入れる。

 

    (水色のプラットホームと

     躁(はしゃ)ぐ少女と嘲笑(あざわら)うヤンキイは

     いやだ いやだ!)

 

ぽけっとに手を突込んで

路次(ろじ)を抜け、波止場(はとば)に出(い)でて

今日の日の魂に合う

布切屑(きれくず)をでも探して来よう。

 

(「新編中原中也全集」第1巻「詩Ⅰ」より。新かなに変えました。編者。)

 

 

今回はここまで。

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