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2018年5月22日 (火)

中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/三富朽葉「わがさすらひ」

 

 

「わが放浪」Ma Bohèmeの同時代訳として

「新編中原中也全集」(第3巻「翻訳」解題篇)は

二つの作品を案内しています。

 

一つは三富朽葉(みとみ・くちは)訳の「わがさすらひ」で 

大正15年(1926年)発行の「三富朽葉詩集」(第一書房)に、

一つは大木篤夫訳の「わが放浪」で

昭和3年(1928年)発行の「近代仏蘭西詩集」(アルス)に収録されているということで

このうちの三富朽葉訳が参考文献として掲載されています。

 

 

わがさすらひ

 

私は歩んだ 拳を底抜けの隠衣(かくし)へ、

上衣(うはぎ)も亦理想的に成つてゐる、

御(み)空の下を行く私は、ミュウズよ、私は御身の忠臣であつた、

オオ、ララ、どんなにすばらしい恋を私は夢みたであらう!

 

わが唯一のズボンは大穴ができてゐる、

一寸法師の夢想家の私は路路

韻をひねくつた。私の宿は大熊星に在つた。

わが空の星むらは優しいそよぎを渡らせた、

 

そして私はそれを聴いた、路傍(みちばた)に坐つて、

此の良い九月の宵毎に、露の雫の

わが額に、回生酒(きつけ)のやうなのを感じながら、

 

異様な影の中に韻を踏みながら

七絃のやうに、私はわが傷いた靴の

護謨紐(ごむひも)を引いた、片足を胸に当てて! 

 

 

 

三富朽葉詩集は

三富が千葉・犬吠埼の海で溺死してから

9年後の大正15年(1926年)に出版されました。

 

共に遊泳中の僚友、今井白楊が溺れているのを助けようとして

自らも命を落としたのは大正6年(1917年)のことでした。

 

 

中也が三富朽葉詩集を読んだのは

昭和11年(1936年)10月30日の日記に

先達から読んだ本として

何冊かの書籍を挙げる中に

三富朽葉詩集を記しているのが見つかりますが

昭和2年(1927年)6月4日の日記に、

 

岩野泡鳴

三富朽葉

高橋新吉

佐藤春夫

宮沢賢治

――などのメモがあり

早い時期に三富朽葉の詩を読んだ可能性があります。

 

「秋の一日」の制作が遡れる上限が

大正15年(1926年)であることを考えると

いっそう可能性は高くなる感じになりますが

だからといって

翻訳にその跡がはっきりしているわけではありません。

 

 

今回はここまで。

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