中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/三富朽葉「わがさすらひ」
「わが放浪」(Ma Bohème)の同時代訳として
「新編中原中也全集」(第3巻「翻訳」解題篇)は
二つの作品を案内しています。
一つは三富朽葉(みとみ・くちは)訳の「わがさすらひ」で
大正15年(1926年)発行の「三富朽葉詩集」(第一書房)に、
一つは大木篤夫訳の「わが放浪」で
昭和3年(1928年)発行の「近代仏蘭西詩集」(アルス)に収録されているということで
このうちの三富朽葉訳が参考文献として掲載されています。
◇
わがさすらひ
私は歩んだ 拳を底抜けの隠衣(かくし)へ、
上衣(うはぎ)も亦理想的に成つてゐる、
御(み)空の下を行く私は、ミュウズよ、私は御身の忠臣であつた、
オオ、ララ、どんなにすばらしい恋を私は夢みたであらう!
わが唯一のズボンは大穴ができてゐる、
一寸法師の夢想家の私は路路
韻をひねくつた。私の宿は大熊星に在つた。
わが空の星むらは優しいそよぎを渡らせた、
そして私はそれを聴いた、路傍(みちばた)に坐つて、
此の良い九月の宵毎に、露の雫の
わが額に、回生酒(きつけ)のやうなのを感じながら、
異様な影の中に韻を踏みながら
七絃のやうに、私はわが傷いた靴の
護謨紐(ごむひも)を引いた、片足を胸に当てて!
◇
三富朽葉詩集は
三富が千葉・犬吠埼の海で溺死してから
9年後の大正15年(1926年)に出版されました。
共に遊泳中の僚友、今井白楊が溺れているのを助けようとして
自らも命を落としたのは大正6年(1917年)のことでした。
◇
中也が三富朽葉詩集を読んだのは
昭和11年(1936年)10月30日の日記に
先達から読んだ本として
何冊かの書籍を挙げる中に
三富朽葉詩集を記しているのが見つかりますが
昭和2年(1927年)6月4日の日記に、
岩野泡鳴
三富朽葉
高橋新吉
佐藤春夫
宮沢賢治
――などのメモがあり
早い時期に三富朽葉の詩を読んだ可能性があります。
「秋の一日」の制作が遡れる上限が
大正15年(1926年)であることを考えると
いっそう可能性は高くなる感じになりますが
だからといって
翻訳にその跡がはっきりしているわけではありません。
◇
今回はここまで。
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