中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/三富朽葉の「魂の夜」
三富朽葉は
フランス詩を早稲田大学に入った頃から学びはじめ
没するまでのおよそ10年間
自らの創作詩に摂取したり
詩や評論の翻訳にも早くから取り組みました。
翻訳は
ボードレール
マラルメ
ヴェルハーレン
アルチュール・ランボー
――らの象徴主義の詩および詩論におよびました。
◇
自作詩のなかでも
どうしてもここで読んでおきたい散文詩「魂の夜」には
「1911―1912」という制作年が記されています。
明治44、45年に作られた詩です。
◇
魂の夜
もはや、秋となつた。やがて此の明るい風物に続いて、鴉の群れが黒い礫のやうに灰色の
空を飛び散る、鬱陶しい冬が来るであらう。
四季と群集との中に在つて、脆く苦い、また物怖ぢする私の生命をば運命は異様に麗しく
飾つた。私は常に感性の谷間を彷徨つて空気から咽喉へ濃い渇きを吸つた。又、夢魔に
圧されるやうな私のか碧い生活の淵にも、時時幽妙な光りが白んで煌いた。幽玄と酷薄と
の海に溺れて、私の紅い祈禱と生命の秘鍵とは永久に沈み入るであらう。
秋の夜の長い疲労の後、私は眠られぬまま、とりとめのない、やや熱に浮かされたやうな
物思ひに耽つてゐた。
私は何処とも知れぬ丘の上に、ゆるやかなマントオに身を包ませて、土塗れのまま横はつ
ている。眼の上には一旒の黒い旗がどんよりと懸かつていて、その旗は夏の白日の太陽
の輝くやうに烈しく私の額を照した。
私は薄ら明りの高窓から海底のやうな外を覗いた。遠方にもう夜が静かに紅い翅を伸し拡
げ、蒼い瞳を見開いてゐる。私の唯一の宝はおもむろに彼方の夜の中に掻き消えてしま
つた。
泉の周辺に色や匂ひが一杯に溢れてゐる。その傍を獣は一匹づつ、人は一人づつ、長い
間を置いて走る。獣は光の如く飛び、人は悲鳴を挙げた。いつまで見ていても影は一つづ
つであつた。
私は何といふこともなく涙を落した。そして⦅愛⦆に対する消し難い悲歎に襲はれた。
眼が覚めると、もう朝であつた! 雨の音と、そして、例へば牢獄の中へ僅かに射し入るよ
うな薄白い光線とが取り乱した身の周囲に零れてゐる……。
(牧神社「三富朽葉研究」中の村松剛「三富朽葉」より。)
◇
この詩に
ボードレールの反響を見る人もいれば
マラルメの影を読む人もいますが
仏文学者、村松剛はとりわけアルチュール・ランボーの形跡があるのを
鋭敏に見て取りました。
◇
「魂の夜」の冒頭の一節は、ボオドレールの「秋の歌」の反響を感じさせる。しかしそれは
はじめの数行だけで「もはや秋となつた」L’automne dèjà! をはじめ「生命の秘鍵」、「泉」と
「獣」、「牢獄」等の措辞は、明らかにむしろ『地獄の季節』『イリュミナシオン』から直輸入の
ものだろう。「魂の夜」という表題自体が、ランボオの「地獄の夜」を連想させる。
ランボオは『地獄の季節』や『イリュミナシオン』の中で、いくどか自分の過去をふりかえり、
それをいくつかの輝く断片として羅列して、たとえばこれに「青春」とか「生活」とかいう題を
付した。
「生活表」に収められた「魂の夜」「生活表」等の散文詩は、構成の上でも、その直接の影
響下に立っているのである。
(同上書より。)
◇
三富朽葉は
小林秀雄に10余年先立ち
「アルチュール・ランボオ伝」を書きました。
ランボーの詩では、
「わがさすらひ」
「SENSATION」
「生ひ立ち」
――の3作を訳しただけでしたが。
◇
今回はここまで。
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