中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/亡き乙女たちと「深夜の思い」
「朝の歌」
「臨終」
「都会の夏の夜」
「秋の一日」
「黄昏」
「深夜の思い」
「冬の雨の夜」
「帰郷」
――という「山羊の歌」「初期詩篇」の並びに
ここで注目してみることにしましょう。
とりわけ
「深夜の思い」と
「冬の雨の夜」という
二つの詩のつながりについて。
そのためにここで
「深夜の思い」を呼び出してみます。
◇
深夜の思い
これは泡立つカルシウムの
乾きゆく
急速な――頑(がん)ぜない女の児の泣声(なきごえ)だ、
鞄屋(かばんや)の女房の夕(ゆうべ)の鼻汁だ。
林の黄昏は
擦(かす)れた母親。
虫の飛交(とびか)う梢(こずえ)のあたり、
舐子(おしゃぶり)のお道化(どけ)た踊り。
波うつ毛の猟犬見えなく、
猟師は猫背を向(むこ)うに運ぶ。
森を控えた草地が
坂になる!
黒き浜辺にマルガレエテが歩み寄(よ)する
ヴェールを風に千々(ちぢ)にされながら。
彼女の肉(しし)は跳び込まねばならぬ、
厳(いか)しき神の父なる海に!
崖の上の彼女の上に
精霊が怪(あや)しげなる条(すじ)を描く。
彼女の思い出は悲しい書斎の取片附(とりかたづ)け
彼女は直(じ)きに死なねばならぬ
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えました。編者。)
◇
この詩に現れる、
頑(がん)ぜない女の児
鞄屋(かばんや)の女房
擦(かす)れた母親
マルガレエテ
――がどのような意味を背負っているのか
読み方はさまざまですが
マルガレエテだけは
長谷川泰子であることを疑えません。
第3連、第4連は
詩人を捨て去った泰子が
神の厳罰を受けるべき存在であることを
マルガレエテに見立てて歌っています。
◇
「冬の雨の夜」に出てくる
亡き乙女たちは
この詩に現れる女たち(女の児を含めて)に起源を持ち
その中のマルガレエテ(長谷川泰子)のように
すでに死んでしまった世界の女性のイメージを
形象化したものではないでしょうか。
亡き乙女たちの「たち」が気になるところですが
マルガレエテを含む女性たちは
死んでしまったり
過去に遠ざかって思い出だけになったりした
亡き女たちと呼んでおかしくない
一群の存在と読むのは無理でしょうか。
長谷川泰子は
マルガレエテになった時に
すでに現実の長谷川泰子ではなく
物語の中の存在であり
その彼女は亡き乙女たちの一人なのでした。
◇
今回はここまで。
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