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2018年5月23日 (水)

中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/(宵に寝て、秋の夜中に目が覚めて)

 

 

中原中也が

昭和7年(1931年)秋から同11年(1936年)の間に制作したと推定される詩に

三富朽葉が現われるものがあります。

 

 

(宵に寝て、秋の夜中に目が覚めて)

 

宵(よい)に寝て、秋の夜中に目が覚めて

汽車の汽笛の音(ね)を聞いた。

 

  三富朽葉(くちば)よ、いまいずこ、

  明治時代よ、人力も

  今はすたれて瓦斯燈(ガスとう)は

  記憶の彼方(かなた)に明滅す。

 

宵に寝て、秋の夜中に目が覚めて

汽車の汽笛の音を聞いた。

 

  亡き明治ではあるけれど

  豆電球をツトとぼし

  秋の夜中に天井を

  みれば明治も甦る。

 

  ああ甦れ、甦れ、 

  今宵故人が風貌(ふうぼう)の

  げになつかしいなつかしい。

  死んだ明治も甦れ。

 

宵に寝て、秋の夜中に目が覚めて

汽車の汽笛の音を聞いた。

 

(「新編中原中也全集」第2巻「詩Ⅱ」より。新かなに変えました。編者。)

 

 

宵に寝て、秋の夜中に目が覚めて

汽車の汽笛の音を聞いた。

――というのがこの詩を歌った動機のようですが

詩人は宵の口に寝て

夜中にふと目覚めてしまうことがよくあったようなのは

詩を書くためであったので

苦痛を感じているものではなく

覚醒した意識はいや増して冴えわたっていたのかもしれません。

 

故郷の両親はこの中に現われたでしょうか。

 

古き佳き時代、明治を詩は懐旧する中に

三富朽葉の名が出てくるのは

ついでというものではなく

かなりな本心が露出したことのようです。

 

中也は

ことあるごとに朽葉に言及し

業績への敬意を途切らすことはありませんでした。

 

 

昭和9年(1934年)9月に書いた未発表評論「無題(自体、一と息の歌)」では

新体詩以来の詩を概観して、

 

後期印象派の要求が要望される限り、明治以来今日に到るまで、辛うじて三富朽葉と、岩野泡鳴を数

へることしかできないやうに思はれる

――と記すほどに絶賛しています。

 

 

 

今回はここまで。

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