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中原中也を歌う(曲と歌:桜木うさこさん)

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2018年6月

2018年6月30日 (土)

中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/ベルレーヌの影

 

 

(ランボオは愛がまだ責任のある時にカルチュアをもつ努力が出来た、現金的大人気が

あった、それであんなにはやく歌が切れた。いいや、それはあとにヴェルレエヌがいたから

というので安心したことともその理由ではある、それ位ランボオを純潔な人間と考える位分

る人には造作もないことだ!)

 

(「新編中原中也全集」第5巻「日記・書簡」より。新かなに変えました。編者。)

 

 

1927年(昭和2年)3月3日の日記に

中原中也はこのように記しました。

 

こう記す前には

私は一切を認識した、

――と前置きし

釈迦についての断章もあり

ランボーへのこのコメントの後には、

行為が最初にある。

     ――ゲエテ――

――の断章もあります。

 

 

中原中也は

もうすぐ20歳になります。

(誕生日は4月29日。)

 

 

「山羊の歌」第2章の「少年時」に

ランボーの足跡をたどっていくうちに

中原中也が詩人中の詩人と評価していた

ベルレーヌ、ランボー、ラフォルグのうちの

ベルレーヌの影の色濃い詩の一群に気づかされます。

(ラフォルグの足跡もきっとたくさん見つかるはずです。)

 

中也は

ベルレーヌの翻訳には

そう多くは取り組まなかったのですが

ランボーとともにあるベルレーヌの存在を

過小に評価するものではありませんでした。

 

あんなにはやく歌が切れた

――とランボーを絶賛し

同時に背後にあるベルレーヌの存在を

日記に書き付けたのは

そのことを示しています。

 

それで

これはランボーか

それともベルレーヌか

――と迷うことがあります。

 

 

中也の詩には

幾つかベルレーヌその人が現われますし

影(足跡)ともなれば

あちらこちらに見え隠れします。

 

すぐさま思い出されるのは

「在りし日の歌」第3番詩の

「夜更の雨」ですね。

 

この詩にはズバリ

「ヴェルレーヌの面影」のサブタイトルがついています。

 

 

夜更の雨

    ――ヴェルレーヌの面影――

 

雨は 今宵(こよい)も 昔 ながらに、

  昔 ながらの 唄を うたってる。

だらだら だらだら しつこい 程だ。

  と、見る ヴェル氏の あの図体(ずうたい)が、

倉庫の 間の 路次(ろじ)を ゆくのだ。

 

倉庫の 間にゃ 護謨合羽(かっぱ)の 反射(ひかり)だ。

  それから 泥炭(でいたん)の しみたれた 巫戯(ふざ)けだ。

さてこの 路次を 抜けさえ したらば、

  抜けさえ したらと ほのかな のぞみだ……

いやはや のぞみにゃ 相違も あるまい?

 

自動車 なんぞに 用事は ないぞ、

  あかるい 外燈(ひ)なぞは なおの ことだ。

酒場の 軒燈(あかり)の 腐った 眼玉よ、

  遐(とお)くの 方では 舎密(せいみ)も 鳴ってる。

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えました。編者。)

 

 

「山羊の歌」の「初期詩篇」中の「帰郷」も

ベルレーヌの詩の影響が言われています。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

 

2018年6月28日 (木)

中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「心象」の空

 

 

どこそこと言うと

嘘っぽくなりますから

言わないことにしますが

「夏」に

ランボーの足跡(あしあと)は再び現われました。

 

「少年時」の夏の少年は

「夏」の少年の現在へと

詩集の中で

断絶し連続します。

 

「夏」の少年の現在もまた

歴史的現在ですが

「少年時」という過去を歌っています。

 

 

このようにして

「少年時」の章は

最終詩「心象」へたどり着きます。

 

 

心象   Ⅰ

 

松の木に風が吹き、

踏む砂利(じゃり)の音は寂しかった。

暖い風が私の額を洗い

思いははるかに、なつかしかった。

 

腰をおろすと、

浪(なみ)の音がひときわ聞えた。

星はなく

空は暗い綿(わた)だった。

 

とおりかかった小舟の中で

船頭(せんどう)がその女房に向って何かを云(い)った。

――その言葉は、聞きとれなかった。

 

浪の音がひときわきこえた。

 

   Ⅱ

 

亡(ほろ)びたる過去のすべてに

涙湧(わ)く。

城の塀乾きたり

風の吹く

 

草靡く

丘を越え、野を渉(わた)り

憩(いこ)いなき

白き天使のみえ来ずや

 

 

あわれわれ死なんと欲(ほっ)す、

あわれわれ生きんと欲す

あわれわれ、亡びたる過去のすべてに

 

涙湧く。

み空の方より、

風の吹く

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えました。編者。)

 

 

一読して

人気(じんき)が帯びる

この詩の唐突な感じは

第1節に現われる小舟と

中からする船頭とその女房の声によります。

 

会話の内容が聞こえないのは

浪の音が騒がしいからではなく

詩(人)が聞いた

幻想の風景だったからでしょう。

 

ドラマが起こるわけでもなく

しかしここに小舟と漁師の夫婦が登場するのには

詩(人)の意志が働いています。

 

詩を作る方法の

なんともいえない自由が

ここに躍動しています。

 

この方法が

ランボーに起因しないという理由は

見当たりません。

 

 

第2節に入って

少年詩人は

前作「夏」では嵐のような心の歴史と歌ったのと同じ

亡びたる過去に真っ正面で対峙します。

 

草茫々

夢遥か

 

丘を越え

野を渡り

 

白き天使は

やってこないか

 

来るわけないな。

 

天使というこのボキャブラリーに

かすかにランボーが匂います。

 

 

あわれわれ死なんと欲す

あわれわれ生きむと欲す

――というここは

パラフレーズするところではありません。

 

「少年時」の

ギロギロする目で諦めていた……

――や

「夏」の

血を吐くようなせつなさかなしさ

――の流れの歌と読むほかにありません。

 

最終行、

み空の彼方に風の吹く

――は

blowin’ in the wind(風に吹かれて)

――の気分でしょう。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2018年6月27日 (水)

中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「少年時」から「夏」へ

 

ここでもう一度

「夏」を読みましょう。

 

 

 

血を吐くような 倦(もの)うさ、たゆけさ

今日の日も畑に陽は照り、麦に陽は照り

睡(ねむ)るがような悲しさに、み空をとおく

血を吐くような倦うさ、たゆけさ

 

空は燃え、畑はつづき

雲浮び、眩(まぶ)しく光り

今日の日も陽は炎(も)ゆる、地は睡る

血を吐くようなせつなさに。

 

嵐のような心の歴史は

終焉(おわ)ってしまったもののように

そこから繰(たぐ)れる一つの緒(いとぐち)もないもののように

燃ゆる日の彼方(かなた)に睡る。

 

私は残る、亡骸(なきがら)として――

血を吐くようなせつなさかなしさ。

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えました。編者。)

 

 

いうまでもなく

この「夏」は

「少年時」の章の中の「夏」です。

 

第1詩集「山羊の歌」の

第2章「少年時」9篇の

第8番詩です。

 

そして

第1番詩「少年時」の夏から

幾年かを経て巡って来た夏です。

 

同じ風景の中に

少年はいますが

この幾年かの間に少年が辿った時間は

通り過ぎた嵐のような歴史と化し

手繰り寄せる糸口の一つもないかのように

燃える太陽の向こうにあります。

 

嵐のような心の歴史は

燃える日の向こうに

しっかりと眠っています。

 

 

私は残る、亡骸(なきがら) として――

――というのは

もはや

亡骸(なきがら)として

少年の私は残っているだけだという意味に近い状態でしょうが

死んでしまったわけではありません。

 

形骸(けいがい)だけの存在に

ぎっしり詰まっているものがあります。

 

それが

血を吐くような心です。

 

血を吐くような

せつなさかなしさの中に

詩人は生きています。

 

 

私は希望を唇に噛みつぶして

私はギロギロする目で諦めていた……

噫(ああ)、生きていた、私は生きていた!

――と第1番詩「少年時」で歌った現在とは

断絶した「夏」の現在のようですが

変容したものよりも

連続するものの正体が

捉(とら)えられています。

 

4度も繰り返される

血を吐くような

――と

倦(もの)うさ

たゆけさ

せつなさ

かなしさ

――の体言止め。

 

 

ギロギロする目の

変容と連続が

ここにあります。

 

 

「少年時」をあわせて

読んでおきましょう。

 

 

少年時

 

黝(あおぐろ)い石に夏の日が照りつけ、

庭の地面が、朱色に睡(ねむ)っていた。

 

地平の果(はて)に蒸気が立って、

世の亡ぶ、兆(きざし)のようだった。

 

麦田(むぎた)には風が低く打ち、

おぼろで、灰色だった。

 

翔(と)びゆく雲の落とす影のように、

田の面(も)を過ぎる、昔の巨人の姿――

 

夏の日の午過(ひるす)ぎ時刻

誰彼(だれかれ)の午睡(ひるね)するとき、

私は野原を走って行った……

 

私は希望を唇に噛みつぶして

私はギロギロする目で諦(あきら)めていた……

噫(ああ)、生きていた、私は生きていた!

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2018年6月24日 (日)

中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「失せし希望」の空

 

 

 

失せし希望

 

  暗き空へと消え行きぬ

  わが若き日を燃えし希望は。

 

夏の夜の星の如(ごと)くは今もなお

  遐(とお)きみ空に見え隠る、今もなお。

 

暗き空へと消えゆきぬ

  わが若き日の夢は希望は。

 

今はた此処(ここ)に打伏(うちふ)して

  獣(けもの)の如くは、暗き思いす。

 

そが暗き思いいつの日

  晴れんとの知るよしなくて、

 

溺れたる夜の海より

  空の月、望むが如し。

 

その浪(なみ)はあまりに深く

  その月はあまりに清く、

 

あわれわが若き日を燃えし希望の

  今ははや暗き空へと消え行きぬ。

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えました。編者。)

 

 

「木蔭」で歌われた空は

「失せし希望」では

明確に暗い空となります。

 

かくて今では朝から夜まで

忍従(にんじゅう)することのほかに生活を持たない

怨みもなく喪心(そうしん)したように

空を見上げる私の眼(まなこ)――

 

「木蔭」から

「失せし希望」への推移。

 

あわれわが若き日を燃えし希望の

  今ははや暗き空へと消え行きぬ。

 

 

この暗い空は

希望が消えて行った空です。

 

ではその空を

恨めし気に見ているのでしょうか?

 

今はた此処(ここ)に打伏(うちふ)して

  獣(けもの)の如くは、暗き思いす。

――とあり、

 

溺れたる夜の海より

  空の月、望むが如し。

――とあるのですから、

暗然は確かでしょうね。

 

 

しかし第2連に、

 

夏の夜の星の如(ごと)くは今もなお

  遐(とお)きみ空に見え隠る、今もなお。

――とあるのも見過ごせません。

 

希望は

夏の夜の星のように

いまもなお見え隠れしています。

 

 

にもかかわらず

やはりこの詩が歌う重心は

消えてなくなった希望です。

 

消えてなくなったという事実であり

希望の中身ではありません。

 

 

かつて存在しましたが

いまは無い――。

 

時の経過を

ここで刻んでおかなければなりませんでした。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2018年6月23日 (土)

中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「木蔭」の空

 

 

木蔭

 

神社の鳥居が光をうけて

楡(にれ)の葉が小さく揺すれる

夏の昼の青々した木蔭(こかげ)は

私の後悔を宥(なだ)めてくれる

 

暗い後悔 いつでも附纏(つきまと)う後悔

馬鹿々々しい破笑(はしょう)にみちた私の過去は

やがて涙っぽい晦暝(かいめい)となり

やがて根強い疲労となった

 

かくて今では朝から夜まで

忍従(にんじゅう)することのほかに生活を持たない

怨みもなく喪心(そうしん)したように

空を見上げる私の眼(まなこ)――

 

神社の鳥居が光をうけて

楡の葉が小さく揺すれる

夏の昼の青々した木蔭は

私の後悔を宥めてくれる

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えました。編者。)

 

 

「木蔭」の現在は

神社の森で

楡の木蔭に詩人はいます。

 

木蔭が

後悔をやわらげてくれる――。

 

そのことを歌う現在なのですが

木蔭が与えてくれる

安らぎのひとときの背後には

馬鹿々々しい破笑にみちた私の過去があります。

 

やすらぎの現在を歌うのですが

その裏には

後悔ばかりの過去が

ぎゅうぎゅう詰めに犇めいています。

 

後悔はいつまでもつきまとい

涙っぽい晦冥の日々。

 

忍従

喪失

……。

 

 

身心ともに疲労の極に

詩人はあります。

 

たった今

木蔭のやすらぎの中にある詩人のこころは

後悔にめげそうです。

 

こころは折れそうになり

空を見上げるばかりです。

 

 

空に

いったい

何が見えるでしょうか。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2018年6月22日 (金)

中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「少年時」後半部の時(とき)

 

 

 

 

木蔭

 

神社の鳥居が光をうけて

楡(にれ)の葉が小さく揺すれる

夏の昼の青々した木蔭(こかげ)は

私の後悔を宥(なだ)めてくれる

 

暗い後悔 いつでも附纏(つきまと)う後悔

馬鹿々々しい破笑(はしょう)にみちた私の過去は

やがて涙っぽい晦暝(かいめい)となり

やがて根強い疲労となった

 

かくて今では朝から夜まで

忍従(にんじゅう)することのほかに生活を持たない

怨みもなく喪心(そうしん)したように

空を見上げる私の眼(まなこ)――

 

神社の鳥居が光をうけて

楡の葉が小さく揺すれる

夏の昼の青々した木蔭は

私の後悔を宥めてくれる

 

 

失せし希望

 

  暗き空へと消え行きぬ

  わが若き日を燃えし希望は。

 

夏の夜の星の如(ごと)くは今もなお

  遐(とお)きみ空に見え隠る、今もなお。

 

暗き空へと消えゆきぬ

  わが若き日の夢は希望は。

 

今はた此処(ここ)に打伏(うちふ)して

  獣(けもの)の如くは、暗き思いす。

 

そが暗き思いいつの日

  晴れんとの知るよしなくて、

 

溺れたる夜の海より

  空の月、望むが如し。

 

その浪(なみ)はあまりに深く

  その月はあまりに清く、

 

あわれわが若き日を燃えし希望の

  今ははや暗き空へと消え行きぬ。

 

 

 

血を吐くような 倦(もの)うさ、たゆけさ

今日の日も畑に陽は照り、麦に陽は照り

睡(ねむ)るがような悲しさに、み空をとおく

血を吐くような倦うさ、たゆけさ

 

空は燃え、畑はつづき

雲浮び、眩(まぶ)しく光り

今日の日も陽は炎(も)ゆる、地は睡る

血を吐くようなせつなさに。

 

嵐のような心の歴史は

終焉(おわ)ってしまったもののように

そこから繰(たぐ)れる一つの緒(いとぐち)もないもののように

燃ゆる日の彼方(かなた)に睡る。

 

私は残る、亡骸(なきがら)として――

血を吐くようなせつなさかなしさ。

 

 

心象   Ⅰ

 

松の木に風が吹き、

踏む砂利(じゃり)の音は寂しかった。

暖い風が私の額を洗い

思いははるかに、なつかしかった。

 

腰をおろすと、

浪(なみ)の音がひときわ聞えた。

星はなく

空は暗い綿(わた)だった。

 

とおりかかった小舟の中で

船頭(せんどう)がその女房に向って何かを云(い)った。

――その言葉は、聞きとれなかった。

 

浪の音がひときわきこえた。

 

   Ⅱ

 

亡(ほろ)びたる過去のすべてに

涙湧(わ)く。

城の塀乾きたり

風の吹く

 

草靡く

丘を越え、野を渉(わた)り

憩(いこ)いなき

白き天使のみえ来ずや

 

 

あわれわれ死なんと欲(ほっ)す、

あわれわれ生きんと欲す

あわれわれ、亡びたる過去のすべてに

 

涙湧く。

み空の方より、

風の吹く

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えました。編者。)

 

 

以上が

「少年時」の章の9作品のうち

後半部の4作品です。

 

少年時

盲目の秋

我が喫煙

妹よ

寒い夜の自我像

――というラインアップに

この4作が続いて配置されています。

 

タイトルだけではわかりませんが

前半部と後半部の詩は

くっきりとした違いがあります。

 

 

「木蔭」の第2連、

 

暗い後悔 いつでも附纏(つきまと)う後悔

馬鹿々々しい破笑(はしょう)にみちた私の過去は

やがて涙っぽい晦暝(かいめい)となり

やがて根強い疲労となった

 

「失せし希望」の第1連および最終連、

 

暗き空へと消え行きぬ

わが若き日を燃えし希望は。

 

「夏」の第3連、

 

嵐のような心の歴史は

終焉(おわ)ってしまったもののように

そこから繰(たぐ)れる一つの緒(いとぐち)もないもののように

燃ゆる日の彼方(かなた)に睡る。

 

「心象」の「Ⅱ」の第1連、

 

亡(ほろ)びたる過去のすべてに

涙湧(わ)く。

 

――などに明示されるのは

帰らざる時間(とき)、遠い過去ばかりです。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2018年6月21日 (木)

中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「妹よ」

 

 

 

妹よ

 

夜、うつくしい魂は涕(な)いて、

  ――かの女こそ正当(あたりき)なのに――

夜、うつくしい魂は涕いて、

  もう死んだっていいよう……というのであった。

 

湿った野原の黒い土、短い草の上を

  夜風は吹いて、 

死んだっていいよう、死んだっていいよう、と、

  うつくしい魂は涕くのであった。

 

夜、み空はたかく、吹く風はこまやかに

  ――祈るよりほか、わたくしに、すべはなかった……

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えました。編者。)

 

 

この詩に

妹がなぜ現われるのでしょうか?

 

妹のいない詩人が

なぜ突如、妹を歌ったのでしょうか?

 

この妹は

またも長谷川泰子以外に

考えられないところがいかにも晦渋で

それはまたこの詩の卓越さでもありますが

妹の出現は謎であり

不思議の極みでもあります。

 

 

それに

この詩についても

なぜ「少年時」の章に配置されているのかという問いを

避けて通ることはできません。

 

この問いは

「わが喫煙」に向けたのと同じように

問われなければならないことでしょう。

 

この詩が

過去の恋を歌ったことを知るまでには

すこし時間がかかるかもしれませんが。

 

 

しかしこの詩に

ランボーの足跡がないことを

断言できるでしょうか。

 

くっきりとは現われませんが

ランボーの影(痕跡)があると見るのは

不自然でしょうか、

不可能でしょうか。

 

死を口にする女性のイメージが

ランボーに起因するなどといえば

馬鹿げたことでしょうか。

 

 

何一つ断言できませんが

「わが喫煙」の現在には

詩人と長谷川泰子が

横浜の街に遊び

途中で歩み疲れた泰子の言うままに

カフェレストランに入った過去のある日を歌ったものと

思わせるリアリティーがあるのに

この詩は

なんら詩人の現実とつながりません。

 

死んだっていいよう

――と泣いている女性は

長谷川泰子以外にないのに

妹に変ってしまうのは

なぜでしょうか?

 

不思議の理由を突き詰めていくと

うっすらとランボーが見えてきては

消えていきます。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2018年6月18日 (月)

中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「わが喫煙」の歴史的現在

 

 

中原中也を読みはじめて

ざっと10年の歳月が流れました。

 

長い間、「わが喫煙」が

なぜ「山羊の歌」の「少年時」に配置されているのかを

疑問に思っていましたが

この最大の難問が今になって

溶解していくようで感慨一入(ひとしお)です。

 

そのうえ、ランボーの足跡をたどるうちに

その疑問が解けていくのを

発見するのは心地よいことでした。

 

 

わが喫煙

 

おまえのその、白い二本の脛(すね)が、

  夕暮(ゆうぐれ)、港の町の寒い夕暮、

にょきにょきと、ペエヴの上を歩むのだ。

  店々に灯(ひ)がついて、灯がついて、

私がそれをみながら歩いていると、

  おまえが声をかけるのだ、

どっかにはいって憩(やす)みましょうよと。

 

そこで私は、橋や荷足を見残しながら、

  レストオランに這入(はい)るのだ――

わんわんいう喧騒(どよもし)、むっとするスチーム、

  さても此処(ここ)は別世界。

そこで私は、時宜(じぎ)にも合わないおまえの陽気な顔を眺め、

  かなしく煙草(たばこ)を吹かすのだ、

一服(いっぷく)、一服、吹かすのだ……

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えました。編者。)

 

 

この詩に

ランボーの足跡はありません。

 

今、詩人の目の前にあるのは

にょきにょきと素足を曝して

舗道(ペーブ)を歩む女性の姿です。

 

私(詩人)は

おまえ(泰子)が疲れた様子も見せずに

どこかのお店に入りましょうよと

いつものような気軽さで言うのが不満で

かなしく煙草を吹かしています。

 

気分がズレてしまっているこういう状態は

倦怠(アンニュイ)というより

もう少し根の深いところに起因しているのですが

詩はそのことをたどろうとはしません。

 

 

「わが喫煙」は

現在形で歌われているところに

隠された意図があります。

 

この現在形は

歴史的現在と呼んでもよい現在で

現在形でありながら

過去を歌っているものです。

 

ここにこそ「わが喫煙」が

「少年時」の章へ配置された意図があります。

 

 

にょきにょきとペエヴの上を歩むのだ

――という断定の現在形に出くわす時

詩人の目の前にある泰子の2本の足は

読む人の目の前にもあります。

 

こうして

2人の間にある

恋人同士だけに特有な

あの濃密な時間の中に

いきなり引きずりこまれます。

 

恋人同士であっても

気持ちがちぐはぐになることもあるものなどと感じながら

私(詩人)がかなしく吹かす煙草の苦味(にがみ)を

さほどのこととも思い致さないで

詩を読み終えます。

 

そうして

刻印されるのは

多少はほころびはじめた恋人同士の時間です。

 

ほころびがあっても

恋人同士の時間です。

 

 

ところがこの詩を

詩人がここ「少年時」の章を置いたのは

この章に

遠いのも近いのも含めて

戻ることのできない過去の時(とき)を集めようとしたからでした。

 

遠い時(とき)であった幼少時代も

近い過去(とき)であったランデブーも

どちらも2度と帰ってこない過ぎ去った時間でした。

 

非可逆的な時間(とき)でした。

 

 

「わが喫煙」の

次に置かれた「妹よ」も

帰って来ない過去の時間を歌った詩です。

 

「少年時」の章の後半部にある

「木蔭」も

「失せし希望」も

「夏」も

「心象」も同じです。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2018年6月15日 (金)

中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/続・「夜寒の都会」から「寒い夜の自我像」へ

 

 

「寒い夜の自我像」は

「山羊の歌」の第2章「少年時」に

少年時

盲目の秋

わが喫煙

妹よ

寒い夜の自我像

木蔭

失せし希望

心象

――の順で配置された9篇の一つで

中原中也の代表作の一つです。

 

この詩の第1次形態が3節構成でした。

 

その草稿が「ノート小年時」に記されて現存し

詩の末尾に「1929、1、20」とあることから

制作日は特定されています。

 

 

いっぽうの「夜寒の都会」の制作は

「少年時(母は父を送り出すと、部屋に帰って来て溜息(ためいき)をした)」と

同じ原稿用紙に書かれてあることから

1927年(昭和2年)に制作されたことが推定されています。

 

冬の都会の夜を背景にした詩は

このほかにもあるかもしれませんが

「夜寒の都会」を作って2年後に

「寒い夜の自我像」が作られたことになります。

 

 

すでに見てきたように

「盲目の秋」の第1節(Ⅰ)にはランボーの足跡があり

その第1節が第2節以後、長谷川泰子への恋歌に転じる構造がありました。

 

この構造が

「寒い夜の自我像」の原形詩の

第1節と第2節以後の詩にもありました。

 

「寒い夜の自我像」へとつながる

未発表詩篇「夜寒の都会」の最終行にランボーの足跡があり

この詩の中にもまた

泰子の面影があります。

 

 

中也は

長谷川泰子を失なって以後

失なったこと自体の意味を確認する過程で

多量の恋愛詩を生み出します。

 

その仕事は

自身に死が突然やってくる年(1938年)にも及びました。

 

ほぼ10年にわたって

恋愛詩を書いたことになります。

 

 

「山羊の歌」の「少年時」に

長谷川泰子が現われるのは

長谷川泰子との過去を歌った初めであるでしょう。

 

その影に

ランボーの足跡はあり

時折、姿を現わします。

 

 

「わが喫煙」は

今、目の前にいる泰子との時間を歌いますが

詩の外の現実では

遠い時間でした。

 

 

わが喫煙

 

おまえのその、白い二本の脛(すね)が、

  夕暮(ゆうぐれ)、港の町の寒い夕暮、

にょきにょきと、ペエヴの上を歩むのだ。

  店々に灯(ひ)がついて、灯がついて、

私がそれをみながら歩いていると、

  おまえが声をかけるのだ、

どっかにはいって憩(やす)みましょうよと。

 

そこで私は、橋や荷足を見残しながら、

  レストオランに這入(はい)るのだ――

わんわんいう喧騒(どよもし)、むっとするスチーム、

  さても此処(ここ)は別世界。

そこで私は、時宜(じぎ)にも合わないおまえの陽気な顔を眺め、

  かなしく煙草(たばこ)を吹かすのだ、

一服(いっぷく)、一服、吹かすのだ……

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2018年6月14日 (木)

中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「夜寒の都会」から「寒い夜の自我像」へ

 

 

「夜寒の都会」の最終連に現われる天子は

自分の胯を裂いて、

ずたずたに甘えてすべてを呪った

――と暗喩で登場しますが

つまるところ、この天子は

詩人自身のことではないでしょうか?

 

このなんとも面妖(めんよう)な表現を読み解こうとして

あっちへ行ったりこっちへ行ったりしている中で

ふとそのような答が出てきました。

 

 

この天子は前連で

沈黙から紫がかった

数個の苺を受け取った私でした。

 

紫がかった苺は

心や魂の

恐ろしいほどに凍てついた孤独の状態を

シュールに表わしただけのことですよね。

 

それなら

天子だって

同じことですよ。

 

自らの股を裂いて

ずたずたに甘えてすべてを呪った

――というのは

なんらかの苛酷な状態を表わした

シュールレアリスティックな表現です。

 

 

この状態に詩人を追いやったのは

やはり長谷川泰子に逃げられた事件でした。

 

そのことは

「山羊の歌」の「少年時」の章に配置された

「寒い夜の自我像」の来歴をたどれば

くっきりと理解できます。

 

 

「寒い夜の自我像」は

最初に作られた時には

3節で構成されていました。

 

3節構成の詩の第1節だけが

「寒い夜の自我像」として初めて発表されたのは

「白痴群」の創刊号(昭和4年、1929年)4月のことです。

 

まずこの3節構成の「寒い夜の自我像」を

読みましょう。

 

 

寒い夜の自我像

 

   1

 

きらびやかでもないけれど、

この一本の手綱(たづな)をはなさず

この陰暗の地域をすぎる!

その志(こころざし)明らかなれば

冬の夜を、我は嘆かず、

人々の憔懆(しょうそう)のみの悲しみや

憧れに引廻(ひきまわ)される女等の鼻唄を、

わが瑣細(ささい)なる罰と感じ

そが、わが皮膚を刺すにまかす。

蹌踉(よろ)めくままに静もりを保ち、

聊(いささ)か儀文めいた心地をもって

われはわが怠惰を諌(いさ)める、

寒月の下を往きながら、

 

陽気で坦々として、しかも己を売らないことをと、

わが魂の願うことであった!……

 

   2

 

恋人よ、その哀しげな歌をやめてよ、

おまえの魂がいらいらするので、

そんな歌をうたいだすのだ。

しかもおまえはわがままに

親しい人だと歌ってきかせる。

 

ああ、それは不可(いけ)ないことだ!

降りくる悲しみを少しもうけとめないで、

安易で架空な有頂天を幸福と感じ倣(な)し

自分を売る店を探して走り廻るとは、

なんと悲しく悲しいことだ……

 

   3

 

神よ私をお憐(あわ)れみ下さい!

 

 私は弱いので、

 悲しみに出遇(であ)うごとに自分が支えきれずに、

 生活を言葉に換えてしまいます。

 そして堅くなりすぎるか

 自堕落になりすぎるかしなければ、

 自分を保つすべがないような破目(はめ)になります。

 

神よ私をお憐れみ下さい!

この私の弱い骨を、暖いトレモロで満たして下さい。

ああ神よ、私が先(ま)ず、自分自身であれるよう

日光と仕事とをお与え下さい!

                       (一九二九・一・二〇)

 

(「新編中原中也全集」第2巻「詩Ⅱ」より。新かなに変えました。編者。)

 

 

この詩の構造には

見覚えがあります。

 

第1節と第2節、第3節とが

連続していないような作りの詩は

驚くなかれ!

「盲目の秋」とまったく同様です。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2018年6月13日 (水)

中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「夜寒の都会」の天子

 

 

「夜寒の都会」に明示されたランボーの足跡を

これでは物足りなく感じている人のために

もう一つの例を記しておきましょう。

 

それは「夜寒の都会」の最終行に現われる

天子です。

 

 

ガリラヤの湖にしたりながら、

天子は自分の胯(また)を裂いて、

ずたずたに甘えてすべてを呪つた。

――と天子は現われるのですが

この詩「夜寒の都会」の前後の詩には

一般的に使われる天使が出現します。

 

一つは中也が書いた

最初の散文詩「或る心の一季節」に、

 

それを得たる者の胸に訪れる筈の天使

――として出てくる例で

大正14年(1925年)春の制作(推定)。

 

もう一つは

昭和2年(1927年)春の制作(推定)の「地極の天使」で

こちらは本文詩行にではなく

詩タイトルにあります。

 

 

「夜寒の都会」に現われる天子は

どう見ても天使の意味を持ちますが

中也は天子という字形にこだわって

天の使い(エンジェル)であり

天の子(こども)であるという二重の含みを

持たせたかったもののようです。

 

 

「新編中原中也全集」の解題では

ランボーの翻訳をここで参照しています。

 

中原中也が訳したランボーの「黄金期」は

「翻訳詩ファイル」という未発表翻訳詩篇の中にあるもので

この詩に

「天子の如き!」

――と現われます。

 

なかなか読む機会がありませんから

ここで全行に目を通しておきましょう。

 

 

黄金期   アルチュール・ランボオ

 

声の或るもの、

――天子の如き!――

厳密に聴きとれるは

私に属す、



酔と狂気とを

決して誘わない、

かの分岐する

千の問題。



Terque quaterque

悦ばしくたやすい

この旋回を知れよ、

波と草本、

それの家族の!



それからまた一つの声、

――天子の如き!――

厳密に聴きとれるは

私に属す、



そして忽然として歌う、

吐息のように、

劇しく豊かな

独乙のそれの。

世界は不徳だと

君はいうか? 君は驚くか?

生きよ! 不運な影は

火に任せよ……

 

Pluries

おお美しい城、

その生は朗か!

おまえは何時の代の者だ?

我等の祖父の

天賦の王侯の御代のか。

Indesinenter

私も歌うよ!

八重なる妹(いも)よ、その声は

聊かも公共的でない、

貞潔な耀きで

取り囲めよ私を

 

(「新編中原中也全集」第3巻「翻訳」より。新かなに変えました。編者。)

 

 

この詩は

1連を4行とする8連構成の詩。

 

第3連と第7連と第8連には

各連全体を片方の中括弧(={ )でくくった上で

Terque quaterque=3回でも4回でも

Pluries=何回でも

Indesinenter=いつまでも、

――とラテン語の註がある詩です。

 

 

また、

「ランボオ詩集」(1938年発行)に収録された「孤児のお年玉」には

「だが揺籃を見舞う天子は彼等の涙を拭ひに来ます」

――と訳した例が現われます。

 

 

孤児等のお年玉

 

  Ⅰ 

 

薄暗い部屋。

ぼんやり聞こえるのは

二人の子供の悲しいやさしい私話(ささやき)。

互いに額を寄せ合って、おまけに夢想(ゆめ)で重苦しげで、

慄えたり揺らいだりする長い白いカーテンの前。

戸外(そと)では、小鳥たちが寄り合って、寒がっている。

灰色の空の下で彼等の羽はかじかんでいる。

さて、霧の季節の後(あと)に来た新年は、

ところどころに雪のある彼女の衣裳を引摺りながら、

涙をうかべて微笑をしたり寒さに慄えて歌ったりする。

 

  Ⅱ    

 

二人の子供は揺れ動くカーテンの前、

低声で話をしています、恰度(ちょうど)暗夜に人々がそうするように。

遠くの囁でも聴くよう、彼等は耳を澄ましています。

彼等屡々、目覚時計の、けざやかな鈴(りん)の音には

びっくりするのでありました、それはりんりん鳴ります 鳴ります、

硝子の覆いのその中で、金属的なその響き。

部屋は凍てつく寒さです。寝床の周囲(まわり)に散らばった

喪服は床(ゆか)まで垂れてます。

酷(きび)しい冬の北風は、戸口や窓に泣いていて、

陰気な息吹を此の部屋の中までどんどん吹込みます。

彼等は感じているのです、何かが不足していると……

それは母親なのではないか、此のいたいけな子達にとって、

それは得意な眼眸(まなざし)ににこにこ微笑を湛えてる母親なのではないでしょうか?

母親は、夕方独りで様子ぶり、忘れていたのでありましょうか、

灰を落としてストーブをよく燃えるようにすることも、

彼等の上に羊毛や毬毛(わたげ)をどっさり掛けることも?

彼等の部屋を出てゆく時に、お休みなさいを云いながら、

その晨方(あさがた)が寒いだろうと、気の付かなかったことでしょうか、

戸締(とじ)めをしっかりすることさえも、うっかりしていたのでしょうか?

――母の夢、それは微温の毛氈(もうせん)です、

柔らかい塒(ねぐら)です、其処に子供等小さくなって、

枝に揺られる小鳥のように、

ほのかなねむりを眠ります!

今此の部屋は、羽なく熱なき塒(ねぐら)です。

二人の子供は寒さに慄え、眠りもしないで怖れにわななき、

これではまるで北風が吹き込むための塒(ねぐら)です……

 

  Ⅲ   

 

諸君は既にお分りでしょう、此の子等には母親はありません。

養母(そだておや)さえない上に、父は他国にいるのです!……

そこで婆やがこの子等の、面倒はみているのです。

つまり凍った此の家に住んでいるのは彼等だけ……

今やこれらの幼い孤児が、嬉しい記憶を彼等の胸に

徐々に徐々にと繰り展(ひろ)げます、

恰度お祈りする時に、念珠(じゅず)を爪繰るようにして。

ああ! お年玉、貰える朝の、なんと嬉しいことでしょう。

明日(あした)は何を貰えることかと、眠れるどころの騒ぎでない。

わくわくしながら玩具(おもちゃ)を想い、

金紙包(きんがみづつ)みのボンボン想い、キラキラきらめく宝石類は、

しゃなりしゃなりと渦巻き踊り、

やがて見えなくなるかとみれば、またもやそれは現れてくる。

さて朝が来て目が覚める、直ぐさま元気で跳(は)ね起きる。

目を擦(こす)っている暇もなく、口には唾(つばき)が湧くのです、

さて走ってゆく、頭はもじゃもじゃ、

目玉はキョロキョロ、嬉しいのだもの、

小さな跣足(はだし)で床板踏んで、

両親の部屋の戸口に来ると、そおっとそおっと扉に触れる、

さて這入ります、それからそこで、御辞儀……寝巻のまんま、

接唇(ベーゼ)は頻(しき)って繰返される、もう当然の躁ぎ方です!

 

  Ⅳ

 

ああ! 楽しかったことであった、何べん思い出されることか……

――変り果てたる此の家(や)の有様(さま)よ!

太い薪は炉格(シュミネ)の中で、かっかかっかと燃えていたっけ。

家中明るい灯火は明(あか)り、

それは洩れ出て外(そと)まで明るく、

机や椅子につやつやひかり、

鍵のしてない大きな戸棚、鍵のしてない黒い戸棚を

子供はたびたび眺めたことです、

鍵がないとはほんとに不思議! そこで子供は夢みるのでした、

戸棚の中の神秘の数々、

聞こえるようです、鍵穴からは、

遠いい幽(かす)かな嬉しい囁き……

――両親の部屋は今日ではひっそり!

ドアの下から光も漏れぬ。

両親はいぬ、家よ、鍵よ、

接唇(ベーゼ)も言葉も呉れないままで、去(い)ってしまった!

なんとつまらぬ今年の正月!

ジッと案じているうち涙は、

青い大きい目に浮かみます、

彼等呟く、『何時母さんは帰って来(くる)ンだい?』

 

  Ⅴ    

 

今、二人は悲しげに、眠っております。

それを見たらば、眠りながらも泣いてると諸君は云われることでしょう、

そんなに彼等の目は腫れてその息遣いは苦しげです。

ほんに子供というものは感じやすいものなのです!……

だが揺籃を見舞う天子は彼等の涙を拭いに来ます。

そして彼等の苦しい眠に嬉しい夢を授けます。

その夢は面白いので半ば開いた彼等の唇(くち)は、

やがて微笑み、何か呟くように見えます。

彼等はぽちゃぽちゃした腕に体重(おもみ)を凭(もた)せ、

やさしい目覚めの身振りして、頭を擡(もた)げる夢をばみます。

そして、ぼんやりした目してあたりをずっと眺めます。

彼等は薔薇の色をした楽園にいると思います……

パッと明るい竃(かまど)には薪がかっかと燃えてます、

窓からは、青い空さえ見えてます。

大地は輝き、光は夢中になってます、

半枯(はんかれ)の野面(のも)は蘇生の嬉しさに、

陽射しに身をばまかせています、

さても彼等のあの家が、今では総体(いったい)に心地よく、

古い着物ももはやそこらに散らばっていず、

北風も扉の隙からもう吹込みはしませんでした。

仙女でも見舞ってくれたことでしょう!……

――二人の子供は、夢中になって、叫んだものです…おや其処に、

母さんの寝床の傍に明るい明るい陽を浴びて、

ほら其処に、毛氈(タピー)の上に、何かキラキラ光っている。

それらみんな大きいメタル、銀や黒のや白いのや、

チラチラ耀(かがや)く黒玉や、真珠母や、

小さな黒い額縁や、玻璃(はり)の王冠、

みれば金字が彫り付けてある、『我等が母に!』と。

 

〔千八百六十九年末つ方〕

 

(同上。)

 

 

「だが揺籃を見舞う天子は彼等の涙を拭いに来ます。」は

Ⅴの第5行にあります。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2018年6月12日 (火)

中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「夜寒の都会」続

 

 

「夜寒の都会」は

全篇が比喩で固められた人工の島のようで

はじめは取り付く島もありませんが

ひとたび糸口をつかめば

すんなりと詩世界へ入り込める仕掛けになっています。

 

入って後に

もう一山が立ちはだかりますが。

 

 

夜寒の都会

 

外燈に誘出(さそいだ)された長い板塀(いたべい)、

人々は影を連れて歩く。

 

星の子供は声をかぎりに、

ただよう靄(もや)をコロイドとする。

 

亡国に来て元気になった、

この洟色(はないろ)の目の婦(おんな)、

今夜こそ心もない、魂もない。

 

舗道の上には勇ましく、

黄銅の胸像が歩いて行った。

 

私は沈黙から紫がかった、

数箇の苺(いちご)を受けとった。

 

ガリラヤの湖にしたりながら、

天子は自分の胯(また)を裂いて、

ずたずたに甘えてすべてを呪った。

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えました。編者。)

 

 

詩人はいま

銀座あたりの夜の街頭にいます。

 

どうやら彼女(泰子)と一緒にいるか

もしくはいた時を回想しているのですが

今夜もまた心を開いてはいません(でした)。

 

おりしも舗道を行く兵隊の群れは

勇ましくも元気に歩いて行きます。

 

大きなヤマは次に現われます。

 

 

私は沈黙から紫がかった、

数箇の苺(いちご)を受けとった。

 

ガリラヤの湖にしたりながら、

天子は自分の胯(また)を裂いて、

ずたずたに甘えてすべてを呪った。

 

――という末尾のこの2連で

突如、暗喩に転じるために

立ち止まらざるを得なくなります。

 

 

夜の大都会の喧騒のなかで

詩人の孤独は深まるばかりなのが

ありありと想像できますね。

 

想像できれば、この2連も

詩人のこころの状態や思考の状態に

言い及んでいるであろうことが推察できますね。

 

 

紫がかった数個の苺

――を詩人は沈黙する夜寒の空から

受け取ることになります。

 

この部分を

他の言葉で言いかえることはできませんし

しないほうがよいでしょう。

 

 

そして、最終行ですが――。

 

ランボーのアンチクリストの相貌(かお)が

立ち現れては消えて行くイメージです。

 

ここは

ダダイスティックであるよりも

シュールレアリスティックです。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2018年6月11日 (月)

中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/未発表詩篇「夜寒の都会」

 

 

「盲目の秋」の結末では

私(作者である詩人)は

冥土(よみじ)の道をたどります。

 

詩の作者が死んでしまう詩は

「秋」とか

「骨」とか

「わが半生」とか

「或る男の肖像」とか

 

――発表詩篇だけでも

幾つかがすぐさま思い出され

そちらのほうに興味が誘い出されそうになりますが

それは別の機会に散策することにしましょう。

 

今は

「少年時」を散策しているのですから。

 

 

そうはいっても

「山羊の歌」の第2章「少年時」に

ランボーの足跡をたどるのはもう無理です。

 

無理を強行すれば

それこそ空想、いや妄想のレベルになります。

 

痕跡(こんせき)とか匂いとかを嗅ぎ取るような

マニアックな領域のことにもなりますので

これ以上の深追いは止めることにして

少し時間を戻してみましょう。

 

戻るのは

未発表詩篇「少年時(母は父を送り出すと、部屋に帰って来て溜息をした)」あたりの時間です。

 

そこでめぐり合うのが

またなんとも謎めいた世界です。

 

 

夜寒の都会

 

外燈に誘出(さそいだ)された長い板塀(いたべい)、

人々は影を連れて歩く。

 

星の子供は声をかぎりに、

ただよう靄(もや)をコロイドとする。

 

亡国に来て元気になった、

この洟色(はないろ)の目の婦(おんな)、

今夜こそ心もない、魂もない。

 

舗道の上には勇ましく、

黄銅の胸像が歩いて行った。

 

私は沈黙から紫がかった、

数箇の苺(いちご)を受けとった。

 

ガリラヤの湖にしたりながら、

天子は自分の胯(また)を裂いて、

ずたずたに甘えてすべてを呪った。

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えました。編者。)

 

 

この詩は

「少年時(母は父を送り出すと、部屋に帰って来て溜息をした)」と

同じ原稿用紙に

同じ筆記具、同じインクで書かれたことがわかっていて

昭和2年(1927年)1月の制作と推定されています。

 

同じ時期の制作でも

これほど異なる風貌(外見)を見せることに

あらためて感心しますよね。

 

 

それにしても

不可思議な、というか

比喩のカオス(混沌)のような

色彩にあふれた詩世界の

どこに糸口を見つけたらよいのでしょう。

 

はじめは戸惑うものですが

何度も読んでいるうちに

けっこう分かりやすい詩であることに気づきます。

 

比喩といっても

直喩がほとんどで

一つ解(ほど)けると

詩のほとんどが溶解していくような

スリルさえ味わえるかもしれません。

 

 

寒い夜の都会。

 

ゾロゾロと人々は

長い影を引いて歩いている。

 

星の子供は

ネオンサインのことらしい、

靄のように犇(ひし)めいている。

 

洟色(はないろ)の目の婦(おんな)は

泰子でしょう。

 

黄銅の胸像は兵隊のことで

舗道を闊歩して行きます。

 

 

ここで私(詩人)が登場――。

 

沈黙から紫がかった、

数箇の苺(いちご)を受けとった、のです。

 

ここ以後が暗喩です。

 

この暗喩が

この詩の臍(へそ)です。

 

この臍を捉えないと

詩をつかむことができません。

 

 

そして

ここにランボーが現れます。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2018年6月10日 (日)

中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「盲目の秋(Ⅰ)」の肉

 

 

 

盲目の秋

 

   Ⅰ

 

風が立ち、浪(なみ)が騒ぎ、

  無限の前に腕を振る。

 

その間(かん)、小さな紅(くれない)の花が見えはするが、

  それもやがては潰(つぶ)れてしまう。

 

風が立ち、浪が騒ぎ、

  無限のまえに腕を振る。

 

もう永遠に帰らないことを思って

  酷薄(こくはく)な嘆息(たんそく)するのも幾(いく)たびであろう……

 

私の青春はもはや堅い血管となり、

  その中を曼珠沙華(ひがんばな)と夕陽とがゆきすぎる。

 

それはしずかで、きらびやかで、なみなみと湛(たた)え、

  去りゆく女が最後にくれる笑(えま)いのように、

 

厳(おごそ)かで、ゆたかで、それでいて佗(わび)しく

  異様で、温かで、きらめいて胸に残る……

 

      ああ、胸に残る……

 

風が立ち、浪が騒ぎ、

  無限のまえに腕を振る。

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えました。編者。)

 

 

「盲目の秋」の第1節(Ⅰ)は

目を凝らして読むと、

 

風が立ち、浪が騒ぎ、

無限の前に腕を振る。

 

――という殺し文句(キリング・フレーズ)が

3回繰り返されて

詩の骨格を作り

その間に歌われる内容が

詩のボディー(肉)を形成していることがわかります。

 

ボディーとなるのが

小さな紅の花ですが

すぐに見えなくなります。

 

この、

小さな花こそは

恋人であった女性、長谷川泰子のメタファ-ですが

ここで消えます。

 

 

もはや永遠に帰らない存在であることを

詩人は何度も思い知らされました。

 

遠い青春の1ページとなった

堅い血管のなかに

この小さな花はふたたび

曼殊沙華となって現われ

夕陽とともに行き過ぎるのです。

 

 

ひとたび思い出すことがあれば

ありありとしたビジョン(姿)を現わし

胸に残ります。

 

しずかで

きらびやかで

なみなみと湛え

 

去って行く女が

最後に呉れる笑みのように

 

厳かで

ゆたかで

侘しく

異様で

温かで

きらめいて

胸に残る……

 

 

風が立ち、浪が騒ぎ、

無限の前に腕を振る。

――という詩行は

前にも後にも

一歩も動けない断崖絶壁(死の淵)に

立ちすくみながらも

なんとか腕を振るって

生きている姿を歌っています。

 

これが

前詩「少年時」の末行

私は生きていた!

――に反響していることを

忘れてはなりません。

 

ランボーが洞見した「生の原型」を

中也もここで見ています。

 

 

この詩「盲目の秋」はしかし

第2節、第3節を歌い

最終節最終行では

冥土(よみじ)を昇りゆく私を歌うことになります。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2018年6月 9日 (土)

中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「山羊の歌」第2章「少年時」

 

 

少年時

盲目の秋の「Ⅰ」

――の3作品の流れを見失うことがなければ

第2章「少年時」に

ランボーの足跡を追うことが可能です。

 

ここで

この3作品を抜き出して読んでおきましょう。

 

 

少年時

 

黝(あおぐろ)い石に夏の日が照りつけ、

庭の地面が、朱色に睡(ねむ)っていた。

 

地平の果(はて)に蒸気が立って、

世の亡ぶ、兆(きざし)のようだった。

 

麦田(むぎた)には風が低く打ち、

おぼろで、灰色だった。

 

翔(と)びゆく雲の落とす影のように、

田の面(も)を過ぎる、昔の巨人の姿――

 

夏の日の午過(ひるす)ぎ時刻

誰彼(だれかれ)の午睡(ひるね)するとき、

私は野原を走って行った……

 

私は希望を唇に噛みつぶして

私はギロギロする目で諦(あきら)めていた……

噫(ああ)、生きていた、私は生きていた!

 

 

盲目の秋

 

   Ⅰ

 

風が立ち、浪(なみ)が騒ぎ、

  無限の前に腕を振る。

 

その間(かん)、小さな紅(くれない)の花が見えはするが、

  それもやがては潰(つぶ)れてしまう。

 

風が立ち、浪が騒ぎ、

  無限のまえに腕を振る。

 

もう永遠に帰らないことを思って

  酷薄(こくはく)な嘆息(たんそく)するのも幾(いく)たびであろう……

 

私の青春はもはや堅い血管となり、

  その中を曼珠沙華(ひがんばな)と夕陽とがゆきすぎる。

 

それはしずかで、きらびやかで、なみなみと湛(たた)え、

  去りゆく女が最後にくれる笑(えま)いのように、

 

厳(おごそ)かで、ゆたかで、それでいて佗(わび)しく

  異様で、温かで、きらめいて胸に残る……

 

      ああ、胸に残る……

 

風が立ち、浪が騒ぎ、

  無限のまえに腕を振る。

 

 

 

血を吐くような 倦(もの)うさ、たゆけさ

今日の日も畑に陽は照り、麦に陽は照り

睡(ねむ)るがような悲しさに、み空をとおく

血を吐くような倦うさ、たゆけさ

 

空は燃え、畑はつづき

雲浮び、眩(まぶ)しく光り

今日の日も陽は炎(も)ゆる、地は睡る

血を吐くようなせつなさに。

 

嵐のような心の歴史は

終焉(おわ)ってしまったもののように

そこから繰(たぐ)れる一つの緒(いとぐち)もないもののように

燃ゆる日の彼方(かなた)に睡る。

 

私は残る、亡骸(なきがら)として――

血を吐くようなせつなさかなしさ。

 

(以上「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えました。編者。)

 

 

「少年時」では、

地平の果(はて)。

 

「盲目の秋」の「Ⅰ」では、

無限の前。

 

「夏」では、

空は燃え、畑はつづき

雲浮び、眩(まぶ)しく光り

――などと刻まれた現在に詩(人)は在ります。

 

 

この現在はやがて

「ランボオ詩集」の後記で

ランボオの思想とは?――簡単に云おう。バイヤン(異教徒)の思想だ。

――と中原中也自らが記すことになる

「生の原型」へ通じています。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2018年6月 8日 (金)

中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「盲目の秋」

 

 

「少年時」の次に配置されているのは

中也、恋愛詩の絶唱です。

 

わざわざ恋愛詩と呼ぶのは

空しい限りですが

私の聖母(サンタ・マリヤ)!(第3節)

――に出くわしては

とやかく言う気持ちも萎(な)えます。

 

大岡昇平のように

この第1節はシェストフのチェホフ論の借用である、といっても

この詩を読んだことになりませんし。

 

 

盲目の秋

 

   Ⅰ

 

風が立ち、浪(なみ)が騒ぎ、

  無限の前に腕を振る。

 

その間(かん)、小さな紅(くれない)の花が見えはするが、

  それもやがては潰(つぶ)れてしまう。

 

風が立ち、浪が騒ぎ、

  無限のまえに腕を振る。

 

もう永遠に帰らないことを思って

  酷薄(こくはく)な嘆息(たんそく)するのも幾(いく)たびであろう……

 

私の青春はもはや堅い血管となり、

  その中を曼珠沙華(ひがんばな)と夕陽とがゆきすぎる。

 

それはしずかで、きらびやかで、なみなみと湛(たた)え、

  去りゆく女が最後にくれる笑(えま)いのように、

 

厳(おごそ)かで、ゆたかで、それでいて佗(わび)しく

  異様で、温かで、きらめいて胸に残る……

 

      ああ、胸に残る……

 

風が立ち、浪が騒ぎ、

  無限のまえに腕を振る。

 

   Ⅱ

 

これがどうなろうと、あれがどうなろうと、

そんなことはどうでもいいのだ。

 

これがどういうことであろうと、それがどういうことであろうと、

そんなことはなおさらどうだっていいのだ。

 

人には自恃(じじ)があればよい!

その余(あまり)はすべてなるままだ……

 

自恃だ、自恃だ、自恃だ、自恃だ、

ただそれだけが人の行(おこな)いを罪としない。

 

平気で、陽気で、藁束(わらたば)のようにしんみりと、

朝霧を煮釜に塡(つ)めて、跳起(とびお)きられればよい!

 

   Ⅲ

 

私の聖母(サンタ・マリヤ)!

  とにかく私は血を吐いた! ……

おまえが情けをうけてくれないので、

  とにかく私はまいってしまった……

 

それというのも私が素直(すなお)でなかったからでもあるが、

  それというのも私に意気地(いくじ)がなかったからでもあるが、

私がおまえを愛することがごく自然だったので、

  おまえもわたしを愛していたのだが……

 

おお! 私の聖母(サンタ・マリヤ)!

  いまさらどうしようもないことではあるが、

せめてこれだけ知るがいい――

 

ごく自然に、だが自然に愛せるということは、

  そんなにたびたびあることでなく、

そしてこのことを知ることが、そう誰にでも許されてはいないのだ。

 

   Ⅳ

 

せめて死の時には、

あの女が私の上に胸を披(ひら)いてくれるでしょうか。

  その時は白粧(おしろい)をつけていてはいや、

  その時は白粧をつけていてはいや。

 

ただ静かにその胸を披いて、

私の眼に副射(ふくしゃ)していて下さい。

  何にも考えてくれてはいや、

  たとえ私のために考えてくれるのでもいや。

 

ただはららかにはららかに涙を含み、

あたたかく息づいていて下さい。

――もしも涙がながれてきたら、

 

いきなり私の上にうつ俯(ぶ)して、

それで私を殺してしまってもいい。

すれば私は心地よく、うねうねの暝土(よみじ)の径(みち)を昇りゆく。

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えました。編者。)

 

 

まずはこの詩が

「少年時」という章の

「少年時」という詩の次に配置されてあることが

どのような意図なのかを考えるところから

アクセスするのが自然な流れです。

 

そうであるならば

そのようにしたいのですが

そのようにならないのは

第2節(Ⅱ)で起こる突然の変調のせいでしょう。

 

トーンの変化ばかりでなく

内容も文体も変わり

第2節(Ⅱ)は

自分への励ましにはじまり

第3節(Ⅲ)は

聖母である泰子への呼びかけ

第4節(Ⅳ)は

詩の作者(=私)が死ぬ場面へと転じ

ついには黄泉(よみじ)をたどるところを歌います。

 

この劇的な変化に圧倒され

茫然としたまま

一気に結末まで運ばれて

「Ⅰ」と「Ⅱ」との間にある断絶は

断絶ではなくなってしまうところに

この詩の技法があります。

 

どこかで見覚えがあるこの技法は

どこからやってきたものでしょうか。

 

 

それこそ

ランボーにほかなりません。

 

ランボーの詩の

飛躍とか省略とか

夢想とか幻想とか。

 

シュールリアリスティックな文体

――とひとことで言ってしまうと乱暴ですが

中原中也が早くも

この詩を作った時点で

ランボーから摂取した

宝物のような技術です、

それは。

 

ボードレールでもなく

ベルレーヌでもありません。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2018年6月 7日 (木)

中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「夏」

 

 

「山羊の歌」は

第2章にあたる章のタイトルを「少年時」とし

その冒頭に「少年時」を置いたからには

いよいよランボーの足跡が濃くなる作品が並ぶかと思うと

そうではありません。

 

「盲目の秋」

「わが喫煙」

「妹よ」

「寒い夜の自我像」

「木蔭」

「失せし希望」

――とつづく作品に

ランボーは消えてしまいます。

 

どこへ行ってしまったのだろうと読み進むと

「夏」に出合います。

 

 

 

血を吐くような 倦(もの)うさ、たゆけさ

今日の日も畑に陽は照り、麦に陽は照り

睡(ねむ)るがような悲しさに、み空をとおく

血を吐くような倦うさ、たゆけさ

 

空は燃え、畑はつづき

雲浮び、眩(まぶ)しく光り

今日の日も陽は炎(も)ゆる、地は睡る

血を吐くようなせつなさに。

 

嵐のような心の歴史は

終焉(おわ)ってしまったもののように

そこから繰(たぐ)れる一つの緒(いとぐち)もないもののように

燃ゆる日の彼方(かなた)に睡る。

 

私は残る、亡骸(なきがら)として――

血を吐くようなせつなさかなしさ。

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えました。編者。)

 

 

「少年時」の章の第8番詩「夏」には

ギロギロの目で諦めていた少年が

また現われます。

 

そう読んではいけませんか?

 

夏の日の昼過ぎの

誰も彼もが午睡するとき

野の道を走って行った少年が

空は燃え、畑はつづき

雲浮び、眩しく光る

この詩にいるではありませんか。

 

 

「少年時」という章は

「盲目の秋」の第3節に

突如、サンタ・マリア(泰子)が現れてから

ランボーは消えます。

 

消えたように見えるのは

ランボーの「少年時」を

見失っているからであることを知ります。

 

ランボーの「少年時」の冒頭には、

オレンヂ色の唇をもつた少女

海のほとりのテラスに渦巻く貴婦人の群

少女たちや巨大な女たち

見事な黒人の女

うら若い母と大きな姉

トルコの王妃

傍若無人に着飾って闊歩する王女達

背の低い異国の女

物静かに薄命な女たち

――と色とりどりの女性たちが歌われています。

(鈴木信太郎・小林秀雄共訳)

 

長谷川泰子を真正面から歌うことは

ランボーの「少年時」から離れたことにはなりません。

 

 

「盲目の秋」の構成が

それを明かすことになります。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2018年6月 6日 (水)

中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「少年時」その2

 

 

未発表詩篇「少年時(母は父を送り出すと、部屋に帰って来て溜息をした)」は

すれ違う両親を見て育った少年が

母と父をそれぞれに理解しながら

その間に立って

行き場のない孤独を貯めて育った幼少期を思う詩。

 

一方の発表詩「少年時」は

同じ幼少期の

煮えたぎる孤独を歌った詩。

 

二つの「少年時」の

一つは

母と父を優しく理解する子どもでありながら

その気持ちを真っすぐに伝えられずに

ひたすら内向する孤独にフォーカスし

もう一つは

同じ孤独をなんとか手なずける術をつかんだかの少年が

燃えあがる孤独をかかえながら

野の道を走って行きます。

 

行き場を失った孤独と

孤独の爆発――。

 

「少年時」には

噛みつぶしながらも希望があり

諦めながらもギロギロの目の少年がいました。

 

 

少年時

 

母は父を送り出すと、部屋に帰って来て溜息(ためいき)をした。

彼の女の溜息にはピンクの竹紙。

それが少し藤色がかって匂(にお)うので、

私は母から顔を反向(そむ)ける。

 

母は独りで、案じ込んでる。

私は気の毒だが、滑稽(こっけい)でもある。

  母の愁(うれ)いは美しい、

  母の愁いは愚かしい。

 

父は今頃もう行き先で、

にこにこ笑って話してるだろう。

  父の怒りに罪はない、

  父の怒りは障碍(しょうがい)だ。

 

私は間で悩ましい、

私は間で悩ましい、僕はただもういらいらとする。

私はむやみにいらいらしだす。

何方(どちら)も罪がないので、云(い)ってやる言葉もない。

 

(では、ああ、僕は、僕を磨こう。

ですから僕に、何にも言うな!)

と、結局何時(いつ)も、僕はそう思った。

由来僕は、孤独なんだ……

 

(「新編中原中也全集」第2巻「詩Ⅱ」より。新かなに変えました。編者。)

 

 

こちらの未発表詩にも

母をとらえる秀逸な詩行があります。

 

彼の女の溜息にはピンクの竹紙。

それが少し藤色がかって匂(にお)うので、

私は母から顔を反向(そむ)ける。

――は象徴的な表現というものでしょうが

中原中也の母親像が

ひょっこり顔を出すのにハッとします。

 

溜息がピンクの竹紙で

それが藤色がかって匂(にお)う、とは

すべての少年が

母親に抱くであろう

永遠の瞬間の母のイメージと思われて

ここでも詩の進境を見ることができます。

 

このような詩の作り方に

ランボーの足跡があるというわけです。

 

発表詩「少年時」は

ランボー1色に染まりました。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

 

少年時

 

黝(あおぐろ)い石に夏の日が照りつけ、

庭の地面が、朱色に睡(ねむ)っていた。

 

地平の果(はて)に蒸気が立って、

世の亡ぶ、兆(きざし)のようだった。

 

麦田(むぎた)には風が低く打ち、

おぼろで、灰色だった。

 

翔(と)びゆく雲の落とす影のように、

田の面(も)を過ぎる、昔の巨人の姿――

 

夏の日の午過(ひるす)ぎ時刻

誰彼(だれかれ)の午睡(ひるね)するとき、

私は野原を走って行った……

 

私は希望を唇に噛みつぶして

私はギロギロする目で諦(あきら)めていた……

噫(ああ)、生きていた、私は生きていた!

2018年6月 5日 (火)

中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/もう一つの「少年時」

 

 

地平の果(はて)に蒸気が立って、

世の亡ぶ、兆(きざし)のようだった。

 

 

「山羊の歌」に配置された「少年時」は

ランボーの「少年時」とクロスオーバーして

なお中也少年の幼時体験が

湧きあがるかのように迸(ほとばし)るのですが

少年がその中にある風景には

ドメスティックな匂いが

極力削ぎ落とされて

日本の田舎のたたずまいというものを

ほとんど感じさせません。

 

第5連の、

誰彼(だれかれ)の午睡(ひるね)するとき、

――という詩行に

わずかに少年の生地の面影がただようだけで

ほかはさながらランボーの詩の自然です。

 

 

ところが

中也はこの「少年時」を作る前に

もう一つの「少年時」を書いています。

 

 

少年時

 

母は父を送り出すと、部屋に帰って来て溜息(ためいき)をした。

彼の女の溜息にはピンクの竹紙。

それが少し藤色がかって匂(にお)うので、

私は母から顔を反向(そむ)ける。

 

母は独りで、案じ込んでる。

私は気の毒だが、滑稽(こっけい)でもある。

  母の愁(うれ)いは美しい、

  母の愁いは愚かしい。

 

父は今頃もう行き先で、

にこにこ笑って話してるだろう。

  父の怒りに罪はない、

  父の怒りは障碍(しょうがい)だ。

 

私は間で悩ましい、

私は間で悩ましい、僕はただもういらいらとする。

私はむやみにいらいらしだす。

何方(どちら)も罪がないので、云(い)ってやる言葉もない。

 

(では、ああ、僕は、僕を磨こう。

ですから僕に、何にも言うな!)

と、結局何時(いつ)も、僕はそう思った。

由来僕は、孤独なんだ……

 

(「新編中原中也全集」第2巻「詩Ⅱ」より。新かなに変えました。編者。)

 

 

こちらの「少年時」は

昭和2年(1927年)1月に制作されたことが

全集編集委員会による綿密な考証の末に推定されている

未発表詩篇ですから

「少年時(母は父を送り出すと、部屋に帰って来て溜息をした)」と表記して

二つの詩を区別することになっています。

 

この「少年時(母は父を送り出すと、部屋に帰って来て溜息をした)」を制作して後に

「山羊の歌」の「少年時」は作られました。

 

 

なんという違いだろうと驚くのは

無理もありませんが

よく読むと二つの詩は

幼時原風景を扱っているというところでは

同じ流れの詩です。

 

トーンとか文体とか伝え方とか口ぶりとかの

表現方法がは異っているけれど

どちらの詩も少年時へのオード(熱唱)に他なりません。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2018年6月 4日 (月)

中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「少年時」その1

 

 

薔薇の茂みのうしろにゐるのは、彼女だ、死んだ娘だ。――年若くて亡つた母親が石段を

降る

 

 

鈴木信太郎訳の「少年時」に

死んだ娘、

年若く亡くなった母親

――が現われ

ランボーは中原中也の感性の中心部に刺さります。

 

死んだ女性や

死んだ児のイメージは

中原中也の詩にしばしば登場することになりますが

その最初の接触と見て間違いありません。

 

これを筆写したのは

大正14年(1924年)後半と推定されているのですから

ランボーを知った直後のことでした。

 

「冬の雨の夜」に現われる

亡き乙女たちにも

その影を認めることができるかもしれません。

 

 

「少年時」はそれどころか

中也の自作詩群の心臓部になります。

 

「山羊の歌」の第2章にあたる章を

ズバリ! 「少年時」とし

冒頭詩にも「少年時」を配置しました。

 

 

少年時

 

黝(あおぐろ)い石に夏の日が照りつけ、

庭の地面が、朱色に睡(ねむ)っていた。

 

地平の果(はて)に蒸気が立って、

世の亡ぶ、兆(きざし)のようだった。

 

麦田(むぎた)には風が低く打ち、

おぼろで、灰色だった。

 

翔(と)びゆく雲の落とす影のように、

田の面(も)を過ぎる、昔の巨人の姿――

 

夏の日の午過(ひるす)ぎ時刻

誰彼(だれかれ)の午睡(ひるね)するとき、

私は野原を走って行った……

 

私は希望を唇に噛みつぶして

私はギロギロする目で諦(あきら)めていた……

噫(ああ)、生きていた、私は生きていた!

 

(「新編中原中也全集」第1巻「詩Ⅰ」より。新かなに変えました。編者。)

 

 

この詩の初稿の制作は

昭和2、3年(1927、1928年)頃に遡れることが

推定されています。

 

とりわけ、

ランボーの「少年時」の第4節が

中也の「少年時」へ

まっすぐに反映していることが広く知られています。

 

第4節の全行を

もう1度、読んでおきましょう。

 

 

 俺は、岡の上に、祈りをあげる聖者、――パレスチナの海までも牧草を喰って行く平和な

動物のやうだ。

 俺は陰鬱な肱掛椅子に靠れた学究。小枝と雨が書斎の硝子窓に打ちつける。

 俺は、矮小な森を貫く街道の歩行者。閘門の水音は、俺の踵を覆ふ。夕陽の金の物悲し

い洗浄を、いつまでも長く俺は眺めてゐる。

 本当に、俺は、沖合に遙かに延びた突堤の上に棄てられた少年かも知れぬ。行く手は空

にうち続く道を辿つて行く小僧かも知れぬ。

 辿る小道は起伏して、丘陵を金雀枝(えにしだ)は覆ふ。大気は動かない。小鳥の歌も泉

の声も随分遠くだ。進んで行けば、世界の涯(はて)は必定だ。

 

(人文書院「ランボオ全集第2巻 飾画・雑纂・文学書簡他」、昭和28年初版より。)

 

 

今回はここまで。

2018年6月 3日 (日)

中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/鈴木信太郎訳「少年時」

 

 

中原中也は

京都へ遊んだ富永太郎から

ランボーの名を知り

大正13年(1924年)秋に

上田敏訳の「酔ひどれ船」を筆写しました。

 

続いて、大正14年後半には

鈴木信太郎訳の「少年時」を筆写しています。

 

これが

ランボーへの足跡(あしあと)の第1歩でした。

 

 

鈴木信太郎訳「少年時」は

「近代仏蘭西象徴詩抄」(春陽堂、1924年)からの筆写でしたが

ここにいま手元にある

小林秀雄との共訳で読んでみましょう。

 

 

少年時  

 

    アルチュール・ランボオ 

    鈴木信太郎、小林秀雄共訳

 

        一

 

 この偶像、眼は黒く髪は黄に、親もなく、侍者もなく、物語よりも気高く、メキシコ人であり

またフラマン人、その領土は、傲岸無頼の紺碧の空と緑の野辺、船も通はぬ波濤を越え

て、猛々しくもギリシャ、スラヴ ケルトの名をもて呼ばれた浜辺から浜辺に亘る。

 森のはづれに、――夢の花、静かに鳴り、鳴り響き、光り輝く、――オレンヂ色の唇をも

つた少女、草原から湧き出る明るい流の中に組み合せた膝、裸身、虹の橋と花と海とは、

その裸身を暈(くま)どり、貫き、また着物で包む。

 海のほとりのテラスに渦巻く貴婦人の群。少女たちや巨大な女たち、緑青の苔の中には

見事な黒人の女、木立と雪解けの小庭の肥沃な土の上に、直立する宝石の装身具、――

巡礼の旅愁に溢れた眼の、うら若い母と大きな姉、トルコの王妃、傍若無人に着飾って闊

歩する王女達、背の低い異国の女、また物静かに薄命な女たち。

 何という倦怠だろう、「親しい肉体」と「親しい心」の時刻。

 

        二

 

 薔薇の茂みのうしろにゐるのは、彼女だ、死んだ娘だ。――年若くて亡つた母親が石段

を降る。――従兄の乗つた軽快な幌馬車は砂地を軋る。――(インドに住んでゐる)弟が、

――夕陽を浴びて、あそこ、石竹の花咲く草原にゐる。――埋葬された老人達は、丁字香

の漂ふ砦に、すつくと立ちあがる。

 黄金の木の葉の群は、将軍の家を取り巻く。家中が南方に居るのだ。――赤い街道を辿

れば、空家になつた宿屋に行き著く。城は売りもの。鎧戸ははづされてゐる。

――教会の鍵を、司祭は持つて行つたのだらう。――庭園の周りの番小屋には、人が住

んでゐない。柵は高く、風わたる梢しか見えぬ。尤も、中には見るものもないのだが。

 草原を登つて行くと、鶏も鳴かぬ、鉄砧(かなしき)の音も聞えぬ小さな村落。閘門は揚げ

られてゐる。ああ、立ち竝ぶ十字架の塚と砂漠の風車、島々と風車の挽臼。

 魔法の花々は呟いてゐた。勾配が静かに彼を揺つた。物語のやうに典雅な動物が輪を

描いてゐた。熱い涙の永遠により創り出された沖合いに、雲がむらがり重つてゐた。

 

        三

 

 森に一羽の鳥がゐて、その歌が、人の足を止め、顔を赤くさせる。

 時刻を打たない時計がある。

 白い生き物の巣を一つ抱えた窪地がある。

 降り行く大伽藍、昇り行く湖がある。

 輪伐林の中に棄てられた小さな車、或はリボンを飾つて、小径を駆け下る車がある。

 森の裾を貫く街道の上には、衣裳を著けた小さな俳優たちの一団が見える。

 最後に、人が餓え渇する時に、何者か追ひ立てるものがある。

 

        四

 

 俺は、岡の上に、祈りをあげる聖者、――パレスチナの海までも牧草を喰って行く平和な

動物のやうだ。

 俺は陰鬱な肱掛椅子に靠れた学究。小枝と雨が書斎の硝子窓に打ちつける。

 俺は、矮小な森を貫く街道の歩行者。閘門の水音は、俺の踵を覆ふ。夕陽の金の物悲し

い洗浄を、いつまでも長く俺は眺めてゐる。

 本当に、俺は、沖合に遙かに延びた突堤の上に棄てられた少年かも知れぬ。行く手は空

にうち続く道を辿つて行く小僧かも知れぬ。

 辿る小道は起伏して、丘陵を金雀枝(えにしだ)は覆ふ。大気は動かない。小鳥の歌も泉

の声も随分遠くだ。進んで行けば、世界の涯(はて)は必定だ。

 

        五

 

 終に人は、漆喰の条目の浮き出した、石灰のやうに真つ白なこの墓を、俺に貸してくれる

のだ、――地の下の遙か彼方に。

 俺は卓子(てえぶる)に肘をつく。ランプは、俺が痴呆のやうに読み返す新聞や何の興味

もない書籍を、あかあかと照らしてゐる。

 俺の地底のサロンの上を遙かに遠く隔つて、人々の家が竝び立ち、霧が立ちこめる。泥

は赤く或は黒い。怪物の都会、果てしない夜。

 それより低くに、地下の下水道。四方は地球の厚みだけだ。恐らく藍色の深淵か、火の

井戸もあらう。月と彗星、海と神話のめぐり会ふのも、恐らくこの平面かもしれぬ。

 懊悩の時の来る毎に、この身を、碧玉(サファイア)の球体、金属の球体と想ひなす。俺

は沈黙の主人。円天井の片隅に、換気窓のやうな一つの姿が、蒼ざめてゐるのは何故だ

らうか。

 

(人文書院「ランボオ全集第2巻 飾画・雑纂・文学書簡他」、昭和28年初版より。)

 

 

中原中也はやがて

この詩と同題の詩「少年時」を2作書き

第1詩集「山羊の歌」にはこのうち一つを収録し

さらに第2章の章題をも「少年時」とします。

 

「山羊の歌」は当初

「少年時」を詩集題とする時期があったほどに

ランボーの足跡をくっきりさせますが

その淵源がこの詩にあります。

 

 

今回はここまで。

2018年6月 2日 (土)

中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/トタン屋根に降る雨から亡き乙女たちの声へ

 

 

詩人は自ら作った詩の発生の謎を

たやすくは明かさないもののようですね。

 

オ イア イオ、イア、イア イオ……。

 

それは「ブリュッセル」では

鳥の声だったのですが

「冬の雨の夜」では

亡き乙女たちの声に変成したのです。

 

――という読みは個人の勝手な想像です。

 

空想に近いかもしれませんが

空想にも根拠はあったとは言えるでしょう。

 

 

根拠を補強するために

もう少し空想を飛んでみましょう。

 

「冬の雨の夜」は

「暗い天候」の(二)に連続していましたね。

 

この二つの詩を

つなげて読んでみます。

 

 

 冬の黒い夜をこめて

どしゃぶりの雨が降っていた。

――夕明下(ゆうあかりか)に投げいだされた、萎(しお)れ大根(だいこ)の陰惨さ、

あれはまだしも結構だった――

今や黒い冬の夜をこめ

どしゃぶりの雨が降っている。

亡き乙女達(おとめたち)の声さえがして

aé ao, aé ao, éo, aéo éo!

 その雨の中を漂いながら

いつだか消えてなくなった、あの乳白の脬囊(ひょうのう)たち……

今や黒い冬の夜をこめ

どしゃぶりの雨が降っていて、

わが母上の帯締(おびじ)めも

雨水(うすい)に流れ、潰(つぶ)れてしまい、

人の情けのかずかずも

竟(つい)に密柑(みかん)の色のみだった?……

 

 

こんなにフケが落ちる、

   秋の夜に、雨の音は

トタン屋根の上でしている……

   お道化(どけ)ているな――

しかしあんまり哀しすぎる。

犬が吠える、虫が鳴く、

   畜生(ちくしょう)! おまえ達には社交界も世間も、

ないだろ。着物一枚持たずに、

   俺も生きてみたいんだよ。

吠えるなら吠えろ、

   鳴くなら鳴け、

目に涙を湛(たた)えて俺は仰臥(ぎょうが)さ。

   さて、俺は何時(いつ)死ぬるのか、明日(あした)か明後日(あさって)か……

――やい、豚、寝ろ!

こんなにフケが落ちる、

   秋の夜に、雨の音は

トタン屋根の上でしている。

   なんだかお道化ているな

しかしあんまり哀しすぎる。

 

(「新編中原中也全集」第1巻「詩Ⅰ」より。)

 

 

こういう形で完成された詩は

存在しません。

 

二つの詩の区切りがわかるように

*を仮に入れてあります。

 

どうでしょうか?

 

連続しないことが

はっきりしますか?

 

 

トーンとか文体とか

方法とか口ぶりとかは

連続しませんが

どちらも雨の夜であり

前の方が冬の夜で

後の方が秋の夜であることを

ふたたびここで確認できます。

 

そういう意味では

連続していることがわかりますね。

 

 

おそらく

この二つの詩は

別の時期に制作されただけで

同じ題材、同じモチーフ(動機)の詩であり

同じテーマの詩であろうことがわかります。

 

伝え方や口ぶりが異なるだけ。

 

中身は同じだけれど

外形が違うだけ。

 

中身の底にあるものは

同一もしくは同質のもの。

 

 

先に作られたのは後の詩で

次に作られたのは前の詩。

 

お道化調から

深刻調へ移調しました。

 

トタン屋根を叩く雨の音は

aé ao, aé ao, éo, aéo éo

亡き乙女たちの声に変りました。

 

この時に

ランボーの詩のイメージが出現します。

 

 

今回はここまで。

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