中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「夜寒の都会」続
「夜寒の都会」は
全篇が比喩で固められた人工の島のようで
はじめは取り付く島もありませんが
ひとたび糸口をつかめば
すんなりと詩世界へ入り込める仕掛けになっています。
入って後に
もう一山が立ちはだかりますが。
◇
夜寒の都会
外燈に誘出(さそいだ)された長い板塀(いたべい)、
人々は影を連れて歩く。
星の子供は声をかぎりに、
ただよう靄(もや)をコロイドとする。
亡国に来て元気になった、
この洟色(はないろ)の目の婦(おんな)、
今夜こそ心もない、魂もない。
舗道の上には勇ましく、
黄銅の胸像が歩いて行った。
私は沈黙から紫がかった、
数箇の苺(いちご)を受けとった。
ガリラヤの湖にしたりながら、
天子は自分の胯(また)を裂いて、
ずたずたに甘えてすべてを呪った。
(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えました。編者。)
◇
詩人はいま
銀座あたりの夜の街頭にいます。
どうやら彼女(泰子)と一緒にいるか
もしくはいた時を回想しているのですが
今夜もまた心を開いてはいません(でした)。
おりしも舗道を行く兵隊の群れは
勇ましくも元気に歩いて行きます。
大きなヤマは次に現われます。
◇
私は沈黙から紫がかった、
数箇の苺(いちご)を受けとった。
ガリラヤの湖にしたりながら、
天子は自分の胯(また)を裂いて、
ずたずたに甘えてすべてを呪った。
――という末尾のこの2連で
突如、暗喩に転じるために
立ち止まらざるを得なくなります。
◇
夜の大都会の喧騒のなかで
詩人の孤独は深まるばかりなのが
ありありと想像できますね。
想像できれば、この2連も
詩人のこころの状態や思考の状態に
言い及んでいるであろうことが推察できますね。
◇
紫がかった数個の苺
――を詩人は沈黙する夜寒の空から
受け取ることになります。
この部分を
他の言葉で言いかえることはできませんし
しないほうがよいでしょう。
◇
そして、最終行ですが――。
ランボーのアンチクリストの相貌(かお)が
立ち現れては消えて行くイメージです。
ここは
ダダイスティックであるよりも
シュールレアリスティックです。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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