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2018年6月12日 (火)

中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「夜寒の都会」続

 

 

「夜寒の都会」は

全篇が比喩で固められた人工の島のようで

はじめは取り付く島もありませんが

ひとたび糸口をつかめば

すんなりと詩世界へ入り込める仕掛けになっています。

 

入って後に

もう一山が立ちはだかりますが。

 

 

夜寒の都会

 

外燈に誘出(さそいだ)された長い板塀(いたべい)、

人々は影を連れて歩く。

 

星の子供は声をかぎりに、

ただよう靄(もや)をコロイドとする。

 

亡国に来て元気になった、

この洟色(はないろ)の目の婦(おんな)、

今夜こそ心もない、魂もない。

 

舗道の上には勇ましく、

黄銅の胸像が歩いて行った。

 

私は沈黙から紫がかった、

数箇の苺(いちご)を受けとった。

 

ガリラヤの湖にしたりながら、

天子は自分の胯(また)を裂いて、

ずたずたに甘えてすべてを呪った。

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えました。編者。)

 

 

詩人はいま

銀座あたりの夜の街頭にいます。

 

どうやら彼女(泰子)と一緒にいるか

もしくはいた時を回想しているのですが

今夜もまた心を開いてはいません(でした)。

 

おりしも舗道を行く兵隊の群れは

勇ましくも元気に歩いて行きます。

 

大きなヤマは次に現われます。

 

 

私は沈黙から紫がかった、

数箇の苺(いちご)を受けとった。

 

ガリラヤの湖にしたりながら、

天子は自分の胯(また)を裂いて、

ずたずたに甘えてすべてを呪った。

 

――という末尾のこの2連で

突如、暗喩に転じるために

立ち止まらざるを得なくなります。

 

 

夜の大都会の喧騒のなかで

詩人の孤独は深まるばかりなのが

ありありと想像できますね。

 

想像できれば、この2連も

詩人のこころの状態や思考の状態に

言い及んでいるであろうことが推察できますね。

 

 

紫がかった数個の苺

――を詩人は沈黙する夜寒の空から

受け取ることになります。

 

この部分を

他の言葉で言いかえることはできませんし

しないほうがよいでしょう。

 

 

そして、最終行ですが――。

 

ランボーのアンチクリストの相貌(かお)が

立ち現れては消えて行くイメージです。

 

ここは

ダダイスティックであるよりも

シュールレアリスティックです。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

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