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« 中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「わが喫煙」の歴史的現在 | トップページ | 中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「少年時」後半部の時(とき) »

2018年6月21日 (木)

中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「妹よ」

 

 

◇

 

妹よ

 

夜、うつくしい魂は涕(な)いて、

  ――かの女こそ正当(あたりき)なのに――

夜、うつくしい魂は涕いて、

  もう死んだっていいよう……というのであった。

 

湿った野原の黒い土、短い草の上を

  夜風は吹いて、 

死んだっていいよう、死んだっていいよう、と、

  うつくしい魂は涕くのであった。

 

夜、み空はたかく、吹く風はこまやかに

  ――祈るよりほか、わたくしに、すべはなかった……

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えました。編者。)

 

◇

 

この詩に

妹がなぜ現われるのでしょうか?

 

妹のいない詩人が

なぜ突如、妹を歌ったのでしょうか?

 

この妹は

またも長谷川泰子以外に

考えられないところがいかにも晦渋で

それはまたこの詩の卓越さでもありますが

妹の出現は謎であり

不思議の極みでもあります。

 

◇

 

それに

この詩についても

なぜ「少年時」の章に配置されているのかという問いを

避けて通ることはできません。

 

この問いは

「わが喫煙」に向けたのと同じように

問われなければならないことでしょう。

 

この詩が

過去の恋を歌ったことを知るまでには

すこし時間がかかるかもしれませんが。

 

◇

 

しかしこの詩に

ランボーの足跡がないことを

断言できるでしょうか。

 

くっきりとは現われませんが

ランボーの影(痕跡)があると見るのは

不自然でしょうか、

不可能でしょうか。

 

死を口にする女性のイメージが

ランボーに起因するなどといえば

馬鹿げたことでしょうか。

 

◇

 

何一つ断言できませんが

「わが喫煙」の現在には

詩人と長谷川泰子が

横浜の街に遊び

途中で歩み疲れた泰子の言うままに

カフェレストランに入った過去のある日を歌ったものと

思わせるリアリティーがあるのに

この詩は

なんら詩人の現実とつながりません。

 

死んだっていいよう

――と泣いている女性は

長谷川泰子以外にないのに

妹に変ってしまうのは

なぜでしょうか?

 

不思議の理由を突き詰めていくと

うっすらとランボーが見えてきては

消えていきます。

 

◇

 

途中ですが

今回はここまで。

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