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2018年6月10日 (日)

中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「盲目の秋(Ⅰ)」の肉

 

 

 

盲目の秋

 

   Ⅰ

 

風が立ち、浪(なみ)が騒ぎ、

  無限の前に腕を振る。

 

その間(かん)、小さな紅(くれない)の花が見えはするが、

  それもやがては潰(つぶ)れてしまう。

 

風が立ち、浪が騒ぎ、

  無限のまえに腕を振る。

 

もう永遠に帰らないことを思って

  酷薄(こくはく)な嘆息(たんそく)するのも幾(いく)たびであろう……

 

私の青春はもはや堅い血管となり、

  その中を曼珠沙華(ひがんばな)と夕陽とがゆきすぎる。

 

それはしずかで、きらびやかで、なみなみと湛(たた)え、

  去りゆく女が最後にくれる笑(えま)いのように、

 

厳(おごそ)かで、ゆたかで、それでいて佗(わび)しく

  異様で、温かで、きらめいて胸に残る……

 

      ああ、胸に残る……

 

風が立ち、浪が騒ぎ、

  無限のまえに腕を振る。

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えました。編者。)

 

 

「盲目の秋」の第1節(Ⅰ)は

目を凝らして読むと、

 

風が立ち、浪が騒ぎ、

無限の前に腕を振る。

 

――という殺し文句(キリング・フレーズ)が

3回繰り返されて

詩の骨格を作り

その間に歌われる内容が

詩のボディー(肉)を形成していることがわかります。

 

ボディーとなるのが

小さな紅の花ですが

すぐに見えなくなります。

 

この、

小さな花こそは

恋人であった女性、長谷川泰子のメタファ-ですが

ここで消えます。

 

 

もはや永遠に帰らない存在であることを

詩人は何度も思い知らされました。

 

遠い青春の1ページとなった

堅い血管のなかに

この小さな花はふたたび

曼殊沙華となって現われ

夕陽とともに行き過ぎるのです。

 

 

ひとたび思い出すことがあれば

ありありとしたビジョン(姿)を現わし

胸に残ります。

 

しずかで

きらびやかで

なみなみと湛え

 

去って行く女が

最後に呉れる笑みのように

 

厳かで

ゆたかで

侘しく

異様で

温かで

きらめいて

胸に残る……

 

 

風が立ち、浪が騒ぎ、

無限の前に腕を振る。

――という詩行は

前にも後にも

一歩も動けない断崖絶壁(死の淵)に

立ちすくみながらも

なんとか腕を振るって

生きている姿を歌っています。

 

これが

前詩「少年時」の末行

私は生きていた!

――に反響していることを

忘れてはなりません。

 

ランボーが洞見した「生の原型」を

中也もここで見ています。

 

 

この詩「盲目の秋」はしかし

第2節、第3節を歌い

最終節最終行では

冥土(よみじ)を昇りゆく私を歌うことになります。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

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