中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/もう一つの「少年時」
地平の果(はて)に蒸気が立って、
世の亡ぶ、兆(きざし)のようだった。
◇
「山羊の歌」に配置された「少年時」は
ランボーの「少年時」とクロスオーバーして
なお中也少年の幼時体験が
湧きあがるかのように迸(ほとばし)るのですが
少年がその中にある風景には
ドメスティックな匂いが
極力削ぎ落とされて
日本の田舎のたたずまいというものを
ほとんど感じさせません。
第5連の、
誰彼(だれかれ)の午睡(ひるね)するとき、
――という詩行に
わずかに少年の生地の面影がただようだけで
ほかはさながらランボーの詩の自然です。
◇
ところが
中也はこの「少年時」を作る前に
もう一つの「少年時」を書いています。
◇
少年時
母は父を送り出すと、部屋に帰って来て溜息(ためいき)をした。
彼の女の溜息にはピンクの竹紙。
それが少し藤色がかって匂(にお)うので、
私は母から顔を反向(そむ)ける。
母は独りで、案じ込んでる。
私は気の毒だが、滑稽(こっけい)でもある。
母の愁(うれ)いは美しい、
母の愁いは愚かしい。
父は今頃もう行き先で、
にこにこ笑って話してるだろう。
父の怒りに罪はない、
父の怒りは障碍(しょうがい)だ。
私は間で悩ましい、
私は間で悩ましい、僕はただもういらいらとする。
私はむやみにいらいらしだす。
何方(どちら)も罪がないので、云(い)ってやる言葉もない。
(では、ああ、僕は、僕を磨こう。
ですから僕に、何にも言うな!)
と、結局何時(いつ)も、僕はそう思った。
由来僕は、孤独なんだ……
(「新編中原中也全集」第2巻「詩Ⅱ」より。新かなに変えました。編者。)
◇
こちらの「少年時」は
昭和2年(1927年)1月に制作されたことが
全集編集委員会による綿密な考証の末に推定されている
未発表詩篇ですから
「少年時(母は父を送り出すと、部屋に帰って来て溜息をした)」と表記して
二つの詩を区別することになっています。
この「少年時(母は父を送り出すと、部屋に帰って来て溜息をした)」を制作して後に
「山羊の歌」の「少年時」は作られました。
◇
なんという違いだろうと驚くのは
無理もありませんが
よく読むと二つの詩は
幼時原風景を扱っているというところでは
同じ流れの詩です。
トーンとか文体とか伝え方とか口ぶりとかの
表現方法がは異っているけれど
どちらの詩も少年時へのオード(熱唱)に他なりません。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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