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2018年6月 4日 (月)

中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「少年時」その1

 

 

薔薇の茂みのうしろにゐるのは、彼女だ、死んだ娘だ。――年若くて亡つた母親が石段を

降る

 

 

鈴木信太郎訳の「少年時」に

死んだ娘、

年若く亡くなった母親

――が現われ

ランボーは中原中也の感性の中心部に刺さります。

 

死んだ女性や

死んだ児のイメージは

中原中也の詩にしばしば登場することになりますが

その最初の接触と見て間違いありません。

 

これを筆写したのは

大正14年(1924年)後半と推定されているのですから

ランボーを知った直後のことでした。

 

「冬の雨の夜」に現われる

亡き乙女たちにも

その影を認めることができるかもしれません。

 

 

「少年時」はそれどころか

中也の自作詩群の心臓部になります。

 

「山羊の歌」の第2章にあたる章を

ズバリ! 「少年時」とし

冒頭詩にも「少年時」を配置しました。

 

 

少年時

 

黝(あおぐろ)い石に夏の日が照りつけ、

庭の地面が、朱色に睡(ねむ)っていた。

 

地平の果(はて)に蒸気が立って、

世の亡ぶ、兆(きざし)のようだった。

 

麦田(むぎた)には風が低く打ち、

おぼろで、灰色だった。

 

翔(と)びゆく雲の落とす影のように、

田の面(も)を過ぎる、昔の巨人の姿――

 

夏の日の午過(ひるす)ぎ時刻

誰彼(だれかれ)の午睡(ひるね)するとき、

私は野原を走って行った……

 

私は希望を唇に噛みつぶして

私はギロギロする目で諦(あきら)めていた……

噫(ああ)、生きていた、私は生きていた!

 

(「新編中原中也全集」第1巻「詩Ⅰ」より。新かなに変えました。編者。)

 

 

この詩の初稿の制作は

昭和2、3年(1927、1928年)頃に遡れることが

推定されています。

 

とりわけ、

ランボーの「少年時」の第4節が

中也の「少年時」へ

まっすぐに反映していることが広く知られています。

 

第4節の全行を

もう1度、読んでおきましょう。

 

 

 俺は、岡の上に、祈りをあげる聖者、――パレスチナの海までも牧草を喰って行く平和な

動物のやうだ。

 俺は陰鬱な肱掛椅子に靠れた学究。小枝と雨が書斎の硝子窓に打ちつける。

 俺は、矮小な森を貫く街道の歩行者。閘門の水音は、俺の踵を覆ふ。夕陽の金の物悲し

い洗浄を、いつまでも長く俺は眺めてゐる。

 本当に、俺は、沖合に遙かに延びた突堤の上に棄てられた少年かも知れぬ。行く手は空

にうち続く道を辿つて行く小僧かも知れぬ。

 辿る小道は起伏して、丘陵を金雀枝(えにしだ)は覆ふ。大気は動かない。小鳥の歌も泉

の声も随分遠くだ。進んで行けば、世界の涯(はて)は必定だ。

 

(人文書院「ランボオ全集第2巻 飾画・雑纂・文学書簡他」、昭和28年初版より。)

 

 

今回はここまで。

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