中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/鈴木信太郎訳「少年時」
中原中也は
京都へ遊んだ富永太郎から
ランボーの名を知り
大正13年(1924年)秋に
上田敏訳の「酔ひどれ船」を筆写しました。
続いて、大正14年後半には
鈴木信太郎訳の「少年時」を筆写しています。
これが
ランボーへの足跡(あしあと)の第1歩でした。
◇
鈴木信太郎訳「少年時」は
「近代仏蘭西象徴詩抄」(春陽堂、1924年)からの筆写でしたが
ここにいま手元にある
小林秀雄との共訳で読んでみましょう。
◇
少年時
アルチュール・ランボオ
鈴木信太郎、小林秀雄共訳
一
この偶像、眼は黒く髪は黄に、親もなく、侍者もなく、物語よりも気高く、メキシコ人であり
またフラマン人、その領土は、傲岸無頼の紺碧の空と緑の野辺、船も通はぬ波濤を越え
て、猛々しくもギリシャ、スラヴ ケルトの名をもて呼ばれた浜辺から浜辺に亘る。
森のはづれに、――夢の花、静かに鳴り、鳴り響き、光り輝く、――オレンヂ色の唇をも
つた少女、草原から湧き出る明るい流の中に組み合せた膝、裸身、虹の橋と花と海とは、
その裸身を暈(くま)どり、貫き、また着物で包む。
海のほとりのテラスに渦巻く貴婦人の群。少女たちや巨大な女たち、緑青の苔の中には
見事な黒人の女、木立と雪解けの小庭の肥沃な土の上に、直立する宝石の装身具、――
巡礼の旅愁に溢れた眼の、うら若い母と大きな姉、トルコの王妃、傍若無人に着飾って闊
歩する王女達、背の低い異国の女、また物静かに薄命な女たち。
何という倦怠だろう、「親しい肉体」と「親しい心」の時刻。
二
薔薇の茂みのうしろにゐるのは、彼女だ、死んだ娘だ。――年若くて亡つた母親が石段
を降る。――従兄の乗つた軽快な幌馬車は砂地を軋る。――(インドに住んでゐる)弟が、
――夕陽を浴びて、あそこ、石竹の花咲く草原にゐる。――埋葬された老人達は、丁字香
の漂ふ砦に、すつくと立ちあがる。
黄金の木の葉の群は、将軍の家を取り巻く。家中が南方に居るのだ。――赤い街道を辿
れば、空家になつた宿屋に行き著く。城は売りもの。鎧戸ははづされてゐる。
――教会の鍵を、司祭は持つて行つたのだらう。――庭園の周りの番小屋には、人が住
んでゐない。柵は高く、風わたる梢しか見えぬ。尤も、中には見るものもないのだが。
草原を登つて行くと、鶏も鳴かぬ、鉄砧(かなしき)の音も聞えぬ小さな村落。閘門は揚げ
られてゐる。ああ、立ち竝ぶ十字架の塚と砂漠の風車、島々と風車の挽臼。
魔法の花々は呟いてゐた。勾配が静かに彼を揺つた。物語のやうに典雅な動物が輪を
描いてゐた。熱い涙の永遠により創り出された沖合いに、雲がむらがり重つてゐた。
三
森に一羽の鳥がゐて、その歌が、人の足を止め、顔を赤くさせる。
時刻を打たない時計がある。
白い生き物の巣を一つ抱えた窪地がある。
降り行く大伽藍、昇り行く湖がある。
輪伐林の中に棄てられた小さな車、或はリボンを飾つて、小径を駆け下る車がある。
森の裾を貫く街道の上には、衣裳を著けた小さな俳優たちの一団が見える。
最後に、人が餓え渇する時に、何者か追ひ立てるものがある。
四
俺は、岡の上に、祈りをあげる聖者、――パレスチナの海までも牧草を喰って行く平和な
動物のやうだ。
俺は陰鬱な肱掛椅子に靠れた学究。小枝と雨が書斎の硝子窓に打ちつける。
俺は、矮小な森を貫く街道の歩行者。閘門の水音は、俺の踵を覆ふ。夕陽の金の物悲し
い洗浄を、いつまでも長く俺は眺めてゐる。
本当に、俺は、沖合に遙かに延びた突堤の上に棄てられた少年かも知れぬ。行く手は空
にうち続く道を辿つて行く小僧かも知れぬ。
辿る小道は起伏して、丘陵を金雀枝(えにしだ)は覆ふ。大気は動かない。小鳥の歌も泉
の声も随分遠くだ。進んで行けば、世界の涯(はて)は必定だ。
五
終に人は、漆喰の条目の浮き出した、石灰のやうに真つ白なこの墓を、俺に貸してくれる
のだ、――地の下の遙か彼方に。
俺は卓子(てえぶる)に肘をつく。ランプは、俺が痴呆のやうに読み返す新聞や何の興味
もない書籍を、あかあかと照らしてゐる。
俺の地底のサロンの上を遙かに遠く隔つて、人々の家が竝び立ち、霧が立ちこめる。泥
は赤く或は黒い。怪物の都会、果てしない夜。
それより低くに、地下の下水道。四方は地球の厚みだけだ。恐らく藍色の深淵か、火の
井戸もあらう。月と彗星、海と神話のめぐり会ふのも、恐らくこの平面かもしれぬ。
懊悩の時の来る毎に、この身を、碧玉(サファイア)の球体、金属の球体と想ひなす。俺
は沈黙の主人。円天井の片隅に、換気窓のやうな一つの姿が、蒼ざめてゐるのは何故だ
らうか。
(人文書院「ランボオ全集第2巻 飾画・雑纂・文学書簡他」、昭和28年初版より。)
◇
中原中也はやがて
この詩と同題の詩「少年時」を2作書き
第1詩集「山羊の歌」にはこのうち一つを収録し
さらに第2章の章題をも「少年時」とします。
「山羊の歌」は当初
「少年時」を詩集題とする時期があったほどに
ランボーの足跡をくっきりさせますが
その淵源がこの詩にあります。
◇
今回はここまで。
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