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2018年6月 3日 (日)

中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/鈴木信太郎訳「少年時」

 

 

中原中也は

京都へ遊んだ富永太郎から

ランボーの名を知り

大正13年(1924年)秋に

上田敏訳の「酔ひどれ船」を筆写しました。

 

続いて、大正14年後半には

鈴木信太郎訳の「少年時」を筆写しています。

 

これが

ランボーへの足跡(あしあと)の第1歩でした。

 

 

鈴木信太郎訳「少年時」は

「近代仏蘭西象徴詩抄」(春陽堂、1924年)からの筆写でしたが

ここにいま手元にある

小林秀雄との共訳で読んでみましょう。

 

 

少年時  

 

    アルチュール・ランボオ 

    鈴木信太郎、小林秀雄共訳

 

        一

 

 この偶像、眼は黒く髪は黄に、親もなく、侍者もなく、物語よりも気高く、メキシコ人であり

またフラマン人、その領土は、傲岸無頼の紺碧の空と緑の野辺、船も通はぬ波濤を越え

て、猛々しくもギリシャ、スラヴ ケルトの名をもて呼ばれた浜辺から浜辺に亘る。

 森のはづれに、――夢の花、静かに鳴り、鳴り響き、光り輝く、――オレンヂ色の唇をも

つた少女、草原から湧き出る明るい流の中に組み合せた膝、裸身、虹の橋と花と海とは、

その裸身を暈(くま)どり、貫き、また着物で包む。

 海のほとりのテラスに渦巻く貴婦人の群。少女たちや巨大な女たち、緑青の苔の中には

見事な黒人の女、木立と雪解けの小庭の肥沃な土の上に、直立する宝石の装身具、――

巡礼の旅愁に溢れた眼の、うら若い母と大きな姉、トルコの王妃、傍若無人に着飾って闊

歩する王女達、背の低い異国の女、また物静かに薄命な女たち。

 何という倦怠だろう、「親しい肉体」と「親しい心」の時刻。

 

        二

 

 薔薇の茂みのうしろにゐるのは、彼女だ、死んだ娘だ。――年若くて亡つた母親が石段

を降る。――従兄の乗つた軽快な幌馬車は砂地を軋る。――(インドに住んでゐる)弟が、

――夕陽を浴びて、あそこ、石竹の花咲く草原にゐる。――埋葬された老人達は、丁字香

の漂ふ砦に、すつくと立ちあがる。

 黄金の木の葉の群は、将軍の家を取り巻く。家中が南方に居るのだ。――赤い街道を辿

れば、空家になつた宿屋に行き著く。城は売りもの。鎧戸ははづされてゐる。

――教会の鍵を、司祭は持つて行つたのだらう。――庭園の周りの番小屋には、人が住

んでゐない。柵は高く、風わたる梢しか見えぬ。尤も、中には見るものもないのだが。

 草原を登つて行くと、鶏も鳴かぬ、鉄砧(かなしき)の音も聞えぬ小さな村落。閘門は揚げ

られてゐる。ああ、立ち竝ぶ十字架の塚と砂漠の風車、島々と風車の挽臼。

 魔法の花々は呟いてゐた。勾配が静かに彼を揺つた。物語のやうに典雅な動物が輪を

描いてゐた。熱い涙の永遠により創り出された沖合いに、雲がむらがり重つてゐた。

 

        三

 

 森に一羽の鳥がゐて、その歌が、人の足を止め、顔を赤くさせる。

 時刻を打たない時計がある。

 白い生き物の巣を一つ抱えた窪地がある。

 降り行く大伽藍、昇り行く湖がある。

 輪伐林の中に棄てられた小さな車、或はリボンを飾つて、小径を駆け下る車がある。

 森の裾を貫く街道の上には、衣裳を著けた小さな俳優たちの一団が見える。

 最後に、人が餓え渇する時に、何者か追ひ立てるものがある。

 

        四

 

 俺は、岡の上に、祈りをあげる聖者、――パレスチナの海までも牧草を喰って行く平和な

動物のやうだ。

 俺は陰鬱な肱掛椅子に靠れた学究。小枝と雨が書斎の硝子窓に打ちつける。

 俺は、矮小な森を貫く街道の歩行者。閘門の水音は、俺の踵を覆ふ。夕陽の金の物悲し

い洗浄を、いつまでも長く俺は眺めてゐる。

 本当に、俺は、沖合に遙かに延びた突堤の上に棄てられた少年かも知れぬ。行く手は空

にうち続く道を辿つて行く小僧かも知れぬ。

 辿る小道は起伏して、丘陵を金雀枝(えにしだ)は覆ふ。大気は動かない。小鳥の歌も泉

の声も随分遠くだ。進んで行けば、世界の涯(はて)は必定だ。

 

        五

 

 終に人は、漆喰の条目の浮き出した、石灰のやうに真つ白なこの墓を、俺に貸してくれる

のだ、――地の下の遙か彼方に。

 俺は卓子(てえぶる)に肘をつく。ランプは、俺が痴呆のやうに読み返す新聞や何の興味

もない書籍を、あかあかと照らしてゐる。

 俺の地底のサロンの上を遙かに遠く隔つて、人々の家が竝び立ち、霧が立ちこめる。泥

は赤く或は黒い。怪物の都会、果てしない夜。

 それより低くに、地下の下水道。四方は地球の厚みだけだ。恐らく藍色の深淵か、火の

井戸もあらう。月と彗星、海と神話のめぐり会ふのも、恐らくこの平面かもしれぬ。

 懊悩の時の来る毎に、この身を、碧玉(サファイア)の球体、金属の球体と想ひなす。俺

は沈黙の主人。円天井の片隅に、換気窓のやうな一つの姿が、蒼ざめてゐるのは何故だ

らうか。

 

(人文書院「ランボオ全集第2巻 飾画・雑纂・文学書簡他」、昭和28年初版より。)

 

 

中原中也はやがて

この詩と同題の詩「少年時」を2作書き

第1詩集「山羊の歌」にはこのうち一つを収録し

さらに第2章の章題をも「少年時」とします。

 

「山羊の歌」は当初

「少年時」を詩集題とする時期があったほどに

ランボーの足跡をくっきりさせますが

その淵源がこの詩にあります。

 

 

今回はここまで。

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