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2018年6月 9日 (土)

中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「山羊の歌」第2章「少年時」

 

 

少年時

盲目の秋の「Ⅰ」

――の3作品の流れを見失うことがなければ

第2章「少年時」に

ランボーの足跡を追うことが可能です。

 

ここで

この3作品を抜き出して読んでおきましょう。

 

 

少年時

 

黝(あおぐろ)い石に夏の日が照りつけ、

庭の地面が、朱色に睡(ねむ)っていた。

 

地平の果(はて)に蒸気が立って、

世の亡ぶ、兆(きざし)のようだった。

 

麦田(むぎた)には風が低く打ち、

おぼろで、灰色だった。

 

翔(と)びゆく雲の落とす影のように、

田の面(も)を過ぎる、昔の巨人の姿――

 

夏の日の午過(ひるす)ぎ時刻

誰彼(だれかれ)の午睡(ひるね)するとき、

私は野原を走って行った……

 

私は希望を唇に噛みつぶして

私はギロギロする目で諦(あきら)めていた……

噫(ああ)、生きていた、私は生きていた!

 

 

盲目の秋

 

   Ⅰ

 

風が立ち、浪(なみ)が騒ぎ、

  無限の前に腕を振る。

 

その間(かん)、小さな紅(くれない)の花が見えはするが、

  それもやがては潰(つぶ)れてしまう。

 

風が立ち、浪が騒ぎ、

  無限のまえに腕を振る。

 

もう永遠に帰らないことを思って

  酷薄(こくはく)な嘆息(たんそく)するのも幾(いく)たびであろう……

 

私の青春はもはや堅い血管となり、

  その中を曼珠沙華(ひがんばな)と夕陽とがゆきすぎる。

 

それはしずかで、きらびやかで、なみなみと湛(たた)え、

  去りゆく女が最後にくれる笑(えま)いのように、

 

厳(おごそ)かで、ゆたかで、それでいて佗(わび)しく

  異様で、温かで、きらめいて胸に残る……

 

      ああ、胸に残る……

 

風が立ち、浪が騒ぎ、

  無限のまえに腕を振る。

 

 

 

血を吐くような 倦(もの)うさ、たゆけさ

今日の日も畑に陽は照り、麦に陽は照り

睡(ねむ)るがような悲しさに、み空をとおく

血を吐くような倦うさ、たゆけさ

 

空は燃え、畑はつづき

雲浮び、眩(まぶ)しく光り

今日の日も陽は炎(も)ゆる、地は睡る

血を吐くようなせつなさに。

 

嵐のような心の歴史は

終焉(おわ)ってしまったもののように

そこから繰(たぐ)れる一つの緒(いとぐち)もないもののように

燃ゆる日の彼方(かなた)に睡る。

 

私は残る、亡骸(なきがら)として――

血を吐くようなせつなさかなしさ。

 

(以上「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えました。編者。)

 

 

「少年時」では、

地平の果(はて)。

 

「盲目の秋」の「Ⅰ」では、

無限の前。

 

「夏」では、

空は燃え、畑はつづき

雲浮び、眩(まぶ)しく光り

――などと刻まれた現在に詩(人)は在ります。

 

 

この現在はやがて

「ランボオ詩集」の後記で

ランボオの思想とは?――簡単に云おう。バイヤン(異教徒)の思想だ。

――と中原中也自らが記すことになる

「生の原型」へ通じています。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

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