中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「山羊の歌」第2章「少年時」
少年時
盲目の秋の「Ⅰ」
夏
――の3作品の流れを見失うことがなければ
第2章「少年時」に
ランボーの足跡を追うことが可能です。
ここで
この3作品を抜き出して読んでおきましょう。
◇
少年時
黝(あおぐろ)い石に夏の日が照りつけ、
庭の地面が、朱色に睡(ねむ)っていた。
地平の果(はて)に蒸気が立って、
世の亡ぶ、兆(きざし)のようだった。
麦田(むぎた)には風が低く打ち、
おぼろで、灰色だった。
翔(と)びゆく雲の落とす影のように、
田の面(も)を過ぎる、昔の巨人の姿――
夏の日の午過(ひるす)ぎ時刻
誰彼(だれかれ)の午睡(ひるね)するとき、
私は野原を走って行った……
私は希望を唇に噛みつぶして
私はギロギロする目で諦(あきら)めていた……
噫(ああ)、生きていた、私は生きていた!
◇
盲目の秋
Ⅰ
風が立ち、浪(なみ)が騒ぎ、
無限の前に腕を振る。
その間(かん)、小さな紅(くれない)の花が見えはするが、
それもやがては潰(つぶ)れてしまう。
風が立ち、浪が騒ぎ、
無限のまえに腕を振る。
もう永遠に帰らないことを思って
酷薄(こくはく)な嘆息(たんそく)するのも幾(いく)たびであろう……
私の青春はもはや堅い血管となり、
その中を曼珠沙華(ひがんばな)と夕陽とがゆきすぎる。
それはしずかで、きらびやかで、なみなみと湛(たた)え、
去りゆく女が最後にくれる笑(えま)いのように、
厳(おごそ)かで、ゆたかで、それでいて佗(わび)しく
異様で、温かで、きらめいて胸に残る……
ああ、胸に残る……
風が立ち、浪が騒ぎ、
無限のまえに腕を振る。
◇
夏
血を吐くような 倦(もの)うさ、たゆけさ
今日の日も畑に陽は照り、麦に陽は照り
睡(ねむ)るがような悲しさに、み空をとおく
血を吐くような倦うさ、たゆけさ
空は燃え、畑はつづき
雲浮び、眩(まぶ)しく光り
今日の日も陽は炎(も)ゆる、地は睡る
血を吐くようなせつなさに。
嵐のような心の歴史は
終焉(おわ)ってしまったもののように
そこから繰(たぐ)れる一つの緒(いとぐち)もないもののように
燃ゆる日の彼方(かなた)に睡る。
私は残る、亡骸(なきがら)として――
血を吐くようなせつなさかなしさ。
(以上「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えました。編者。)
◇
「少年時」では、
地平の果(はて)。
「盲目の秋」の「Ⅰ」では、
無限の前。
「夏」では、
空は燃え、畑はつづき
雲浮び、眩(まぶ)しく光り
――などと刻まれた現在に詩(人)は在ります。
◇
この現在はやがて
「ランボオ詩集」の後記で
ランボオの思想とは?――簡単に云おう。バイヤン(異教徒)の思想だ。
――と中原中也自らが記すことになる
「生の原型」へ通じています。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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