中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/トタン屋根に降る雨から亡き乙女たちの声へ
詩人は自ら作った詩の発生の謎を
たやすくは明かさないもののようですね。
オ イア イオ、イア、イア イオ……。
それは「ブリュッセル」では
鳥の声だったのですが
「冬の雨の夜」では
亡き乙女たちの声に変成したのです。
――という読みは個人の勝手な想像です。
空想に近いかもしれませんが
空想にも根拠はあったとは言えるでしょう。
◇
根拠を補強するために
もう少し空想を飛んでみましょう。
「冬の雨の夜」は
「暗い天候」の(二)に連続していましたね。
この二つの詩を
つなげて読んでみます。
◇
冬の黒い夜をこめて
どしゃぶりの雨が降っていた。
――夕明下(ゆうあかりか)に投げいだされた、萎(しお)れ大根(だいこ)の陰惨さ、
あれはまだしも結構だった――
今や黒い冬の夜をこめ
どしゃぶりの雨が降っている。
亡き乙女達(おとめたち)の声さえがして
aé ao, aé ao, éo, aéo éo!
その雨の中を漂いながら
いつだか消えてなくなった、あの乳白の脬囊(ひょうのう)たち……
今や黒い冬の夜をこめ
どしゃぶりの雨が降っていて、
わが母上の帯締(おびじ)めも
雨水(うすい)に流れ、潰(つぶ)れてしまい、
人の情けのかずかずも
竟(つい)に密柑(みかん)の色のみだった?……
*
こんなにフケが落ちる、
秋の夜に、雨の音は
トタン屋根の上でしている……
お道化(どけ)ているな――
しかしあんまり哀しすぎる。
犬が吠える、虫が鳴く、
畜生(ちくしょう)! おまえ達には社交界も世間も、
ないだろ。着物一枚持たずに、
俺も生きてみたいんだよ。
吠えるなら吠えろ、
鳴くなら鳴け、
目に涙を湛(たた)えて俺は仰臥(ぎょうが)さ。
さて、俺は何時(いつ)死ぬるのか、明日(あした)か明後日(あさって)か……
――やい、豚、寝ろ!
こんなにフケが落ちる、
秋の夜に、雨の音は
トタン屋根の上でしている。
なんだかお道化ているな
しかしあんまり哀しすぎる。
(「新編中原中也全集」第1巻「詩Ⅰ」より。)
◇
こういう形で完成された詩は
存在しません。
二つの詩の区切りがわかるように
*を仮に入れてあります。
どうでしょうか?
連続しないことが
はっきりしますか?
◇
トーンとか文体とか
方法とか口ぶりとかは
連続しませんが
どちらも雨の夜であり
前の方が冬の夜で
後の方が秋の夜であることを
ふたたびここで確認できます。
そういう意味では
連続していることがわかりますね。
◇
おそらく
この二つの詩は
別の時期に制作されただけで
同じ題材、同じモチーフ(動機)の詩であり
同じテーマの詩であろうことがわかります。
伝え方や口ぶりが異なるだけ。
中身は同じだけれど
外形が違うだけ。
中身の底にあるものは
同一もしくは同質のもの。
◇
先に作られたのは後の詩で
次に作られたのは前の詩。
お道化調から
深刻調へ移調しました。
トタン屋根を叩く雨の音は
aé ao, aé ao, éo, aéo éo
亡き乙女たちの声に変りました。
この時に
ランボーの詩のイメージが出現します。
◇
今回はここまで。
« 中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/亡き乙女たちと「深夜の思い」 | トップページ | 中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/鈴木信太郎訳「少年時」 »
「064面白い!中也の日本語」カテゴリの記事
- 中原中也・詩の宝島/ベルレーヌーの足跡(あしあと)/「ポーヴル・レリアン」その3(2018.08.11)
- 中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「心象」の空(2018.06.28)
- 中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「少年時」から「夏」へ(2018.06.27)
- 中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「失せし希望」の空(2018.06.24)
- 中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「木蔭」の空(2018.06.23)
« 中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/亡き乙女たちと「深夜の思い」 | トップページ | 中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/鈴木信太郎訳「少年時」 »
コメント