中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/続・「夜寒の都会」から「寒い夜の自我像」へ
「寒い夜の自我像」は
「山羊の歌」の第2章「少年時」に
少年時
盲目の秋
わが喫煙
妹よ
寒い夜の自我像
木蔭
失せし希望
夏
心象
――の順で配置された9篇の一つで
中原中也の代表作の一つです。
この詩の第1次形態が3節構成でした。
その草稿が「ノート小年時」に記されて現存し
詩の末尾に「1929、1、20」とあることから
制作日は特定されています。
◇
いっぽうの「夜寒の都会」の制作は
「少年時(母は父を送り出すと、部屋に帰って来て溜息(ためいき)をした)」と
同じ原稿用紙に書かれてあることから
1927年(昭和2年)に制作されたことが推定されています。
冬の都会の夜を背景にした詩は
このほかにもあるかもしれませんが
「夜寒の都会」を作って2年後に
「寒い夜の自我像」が作られたことになります。
◇
すでに見てきたように
「盲目の秋」の第1節(Ⅰ)にはランボーの足跡があり
その第1節が第2節以後、長谷川泰子への恋歌に転じる構造がありました。
この構造が
「寒い夜の自我像」の原形詩の
第1節と第2節以後の詩にもありました。
「寒い夜の自我像」へとつながる
未発表詩篇「夜寒の都会」の最終行にランボーの足跡があり
この詩の中にもまた
泰子の面影があります。
◇
中也は
長谷川泰子を失なって以後
失なったこと自体の意味を確認する過程で
多量の恋愛詩を生み出します。
その仕事は
自身に死が突然やってくる年(1938年)にも及びました。
ほぼ10年にわたって
恋愛詩を書いたことになります。
◇
「山羊の歌」の「少年時」に
長谷川泰子が現われるのは
長谷川泰子との過去を歌った初めであるでしょう。
その影に
ランボーの足跡はあり
時折、姿を現わします。
◇
「わが喫煙」は
今、目の前にいる泰子との時間を歌いますが
詩の外の現実では
遠い時間でした。
◇
わが喫煙
おまえのその、白い二本の脛(すね)が、
夕暮(ゆうぐれ)、港の町の寒い夕暮、
にょきにょきと、ペエヴの上を歩むのだ。
店々に灯(ひ)がついて、灯がついて、
私がそれをみながら歩いていると、
おまえが声をかけるのだ、
どっかにはいって憩(やす)みましょうよと。
そこで私は、橋や荷足を見残しながら、
レストオランに這入(はい)るのだ――
わんわんいう喧騒(どよもし)、むっとするスチーム、
さても此処(ここ)は別世界。
そこで私は、時宜(じぎ)にも合わないおまえの陽気な顔を眺め、
かなしく煙草(たばこ)を吹かすのだ、
一服(いっぷく)、一服、吹かすのだ……
◇
途中ですが
今回はここまで。
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