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2018年6月15日 (金)

中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/続・「夜寒の都会」から「寒い夜の自我像」へ

 

 

「寒い夜の自我像」は

「山羊の歌」の第2章「少年時」に

少年時

盲目の秋

わが喫煙

妹よ

寒い夜の自我像

木蔭

失せし希望

夏

心象

――の順で配置された9篇の一つで

中原中也の代表作の一つです。

 

この詩の第1次形態が3節構成でした。

 

その草稿が「ノート小年時」に記されて現存し

詩の末尾に「1929、1、20」とあることから

制作日は特定されています。

 

◇

 

いっぽうの「夜寒の都会」の制作は

「少年時(母は父を送り出すと、部屋に帰って来て溜息(ためいき)をした)」と

同じ原稿用紙に書かれてあることから

1927年(昭和2年)に制作されたことが推定されています。

 

冬の都会の夜を背景にした詩は

このほかにもあるかもしれませんが

「夜寒の都会」を作って2年後に

「寒い夜の自我像」が作られたことになります。

 

◇

 

すでに見てきたように

「盲目の秋」の第1節(Ⅰ)にはランボーの足跡があり

その第1節が第2節以後、長谷川泰子への恋歌に転じる構造がありました。

 

この構造が

「寒い夜の自我像」の原形詩の

第1節と第2節以後の詩にもありました。

 

「寒い夜の自我像」へとつながる

未発表詩篇「夜寒の都会」の最終行にランボーの足跡があり

この詩の中にもまた

泰子の面影があります。

 

◇

 

中也は

長谷川泰子を失なって以後

失なったこと自体の意味を確認する過程で

多量の恋愛詩を生み出します。

 

その仕事は

自身に死が突然やってくる年(1938年)にも及びました。

 

ほぼ10年にわたって

恋愛詩を書いたことになります。

 

◇

 

「山羊の歌」の「少年時」に

長谷川泰子が現われるのは

長谷川泰子との過去を歌った初めであるでしょう。

 

その影に

ランボーの足跡はあり

時折、姿を現わします。

 

◇

 

「わが喫煙」は

今、目の前にいる泰子との時間を歌いますが

詩の外の現実では

遠い時間でした。

 

◇

 

わが喫煙

 

おまえのその、白い二本の脛(すね)が、

  夕暮(ゆうぐれ)、港の町の寒い夕暮、

にょきにょきと、ペエヴの上を歩むのだ。

  店々に灯(ひ)がついて、灯がついて、

私がそれをみながら歩いていると、

  おまえが声をかけるのだ、

どっかにはいって憩(やす)みましょうよと。

 

そこで私は、橋や荷足を見残しながら、

  レストオランに這入(はい)るのだ――

わんわんいう喧騒(どよもし)、むっとするスチーム、

  さても此処(ここ)は別世界。

そこで私は、時宜(じぎ)にも合わないおまえの陽気な顔を眺め、

  かなしく煙草(たばこ)を吹かすのだ、

一服(いっぷく)、一服、吹かすのだ……

 

◇

 

途中ですが

今回はここまで。

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