中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「心象」の空
どこそこと言うと
嘘っぽくなりますから
言わないことにしますが
「夏」に
ランボーの足跡(あしあと)は再び現われました。
「少年時」の夏の少年は
「夏」の少年の現在へと
詩集の中で
断絶し連続します。
「夏」の少年の現在もまた
歴史的現在ですが
「少年時」という過去を歌っています。
◇
このようにして
「少年時」の章は
最終詩「心象」へたどり着きます。
◇
心象 Ⅰ
松の木に風が吹き、
踏む砂利(じゃり)の音は寂しかった。
暖い風が私の額を洗い
思いははるかに、なつかしかった。
腰をおろすと、
浪(なみ)の音がひときわ聞えた。
星はなく
空は暗い綿(わた)だった。
とおりかかった小舟の中で
船頭(せんどう)がその女房に向って何かを云(い)った。
――その言葉は、聞きとれなかった。
浪の音がひときわきこえた。
Ⅱ
亡(ほろ)びたる過去のすべてに
涙湧(わ)く。
城の塀乾きたり
風の吹く
草靡く
丘を越え、野を渉(わた)り
憩(いこ)いなき
白き天使のみえ来ずや
あわれわれ死なんと欲(ほっ)す、
あわれわれ生きんと欲す
あわれわれ、亡びたる過去のすべてに
涙湧く。
み空の方より、
風の吹く
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えました。編者。)
◇
一読して
人気(じんき)が帯びる
この詩の唐突な感じは
第1節に現われる小舟と
中からする船頭とその女房の声によります。
会話の内容が聞こえないのは
浪の音が騒がしいからではなく
詩(人)が聞いた
幻想の風景だったからでしょう。
ドラマが起こるわけでもなく
しかしここに小舟と漁師の夫婦が登場するのには
詩(人)の意志が働いています。
詩を作る方法の
なんともいえない自由が
ここに躍動しています。
この方法が
ランボーに起因しないという理由は
見当たりません。
◇
第2節に入って
少年詩人は
前作「夏」では嵐のような心の歴史と歌ったのと同じ
亡びたる過去に真っ正面で対峙します。
草茫々
夢遥か
丘を越え
野を渡り
白き天使は
やってこないか
来るわけないな。
天使というこのボキャブラリーに
かすかにランボーが匂います。
◇
あわれわれ死なんと欲す
あわれわれ生きむと欲す
――というここは
パラフレーズするところではありません。
「少年時」の
ギロギロする目で諦めていた……
――や
「夏」の
血を吐くようなせつなさかなしさ
――の流れの歌と読むほかにありません。
最終行、
み空の彼方に風の吹く
――は
blowin’ in the wind(風に吹かれて)
――の気分でしょう。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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