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2018年6月28日 (木)

中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「心象」の空

 

 

どこそこと言うと

嘘っぽくなりますから

言わないことにしますが

「夏」に

ランボーの足跡(あしあと)は再び現われました。

 

「少年時」の夏の少年は

「夏」の少年の現在へと

詩集の中で

断絶し連続します。

 

「夏」の少年の現在もまた

歴史的現在ですが

「少年時」という過去を歌っています。

 

 

このようにして

「少年時」の章は

最終詩「心象」へたどり着きます。

 

 

心象   Ⅰ

 

松の木に風が吹き、

踏む砂利(じゃり)の音は寂しかった。

暖い風が私の額を洗い

思いははるかに、なつかしかった。

 

腰をおろすと、

浪(なみ)の音がひときわ聞えた。

星はなく

空は暗い綿(わた)だった。

 

とおりかかった小舟の中で

船頭(せんどう)がその女房に向って何かを云(い)った。

――その言葉は、聞きとれなかった。

 

浪の音がひときわきこえた。

 

   Ⅱ

 

亡(ほろ)びたる過去のすべてに

涙湧(わ)く。

城の塀乾きたり

風の吹く

 

草靡く

丘を越え、野を渉(わた)り

憩(いこ)いなき

白き天使のみえ来ずや

 

 

あわれわれ死なんと欲(ほっ)す、

あわれわれ生きんと欲す

あわれわれ、亡びたる過去のすべてに

 

涙湧く。

み空の方より、

風の吹く

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えました。編者。)

 

 

一読して

人気(じんき)が帯びる

この詩の唐突な感じは

第1節に現われる小舟と

中からする船頭とその女房の声によります。

 

会話の内容が聞こえないのは

浪の音が騒がしいからではなく

詩(人)が聞いた

幻想の風景だったからでしょう。

 

ドラマが起こるわけでもなく

しかしここに小舟と漁師の夫婦が登場するのには

詩(人)の意志が働いています。

 

詩を作る方法の

なんともいえない自由が

ここに躍動しています。

 

この方法が

ランボーに起因しないという理由は

見当たりません。

 

 

第2節に入って

少年詩人は

前作「夏」では嵐のような心の歴史と歌ったのと同じ

亡びたる過去に真っ正面で対峙します。

 

草茫々

夢遥か

 

丘を越え

野を渡り

 

白き天使は

やってこないか

 

来るわけないな。

 

天使というこのボキャブラリーに

かすかにランボーが匂います。

 

 

あわれわれ死なんと欲す

あわれわれ生きむと欲す

――というここは

パラフレーズするところではありません。

 

「少年時」の

ギロギロする目で諦めていた……

――や

「夏」の

血を吐くようなせつなさかなしさ

――の流れの歌と読むほかにありません。

 

最終行、

み空の彼方に風の吹く

――は

blowin’ in the wind(風に吹かれて)

――の気分でしょう。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

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