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2018年6月23日 (土)

中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「木蔭」の空

 

 

木蔭

 

神社の鳥居が光をうけて

楡(にれ)の葉が小さく揺すれる

夏の昼の青々した木蔭(こかげ)は

私の後悔を宥(なだ)めてくれる

 

暗い後悔 いつでも附纏(つきまと)う後悔

馬鹿々々しい破笑(はしょう)にみちた私の過去は

やがて涙っぽい晦暝(かいめい)となり

やがて根強い疲労となった

 

かくて今では朝から夜まで

忍従(にんじゅう)することのほかに生活を持たない

怨みもなく喪心(そうしん)したように

空を見上げる私の眼(まなこ)――

 

神社の鳥居が光をうけて

楡の葉が小さく揺すれる

夏の昼の青々した木蔭は

私の後悔を宥めてくれる

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えました。編者。)

 

 

「木蔭」の現在は

神社の森で

楡の木蔭に詩人はいます。

 

木蔭が

後悔をやわらげてくれる――。

 

そのことを歌う現在なのですが

木蔭が与えてくれる

安らぎのひとときの背後には

馬鹿々々しい破笑にみちた私の過去があります。

 

やすらぎの現在を歌うのですが

その裏には

後悔ばかりの過去が

ぎゅうぎゅう詰めに犇めいています。

 

後悔はいつまでもつきまとい

涙っぽい晦冥の日々。

 

忍従

喪失

……。

 

 

身心ともに疲労の極に

詩人はあります。

 

たった今

木蔭のやすらぎの中にある詩人のこころは

後悔にめげそうです。

 

こころは折れそうになり

空を見上げるばかりです。

 

 

空に

いったい

何が見えるでしょうか。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

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