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2018年6月14日 (木)

中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「夜寒の都会」から「寒い夜の自我像」へ

 

 

「夜寒の都会」の最終連に現われる天子は

自分の胯を裂いて、

ずたずたに甘えてすべてを呪った

――と暗喩で登場しますが

つまるところ、この天子は

詩人自身のことではないでしょうか?

 

このなんとも面妖(めんよう)な表現を読み解こうとして

あっちへ行ったりこっちへ行ったりしている中で

ふとそのような答が出てきました。

 

 

この天子は前連で

沈黙から紫がかった

数個の苺を受け取った私でした。

 

紫がかった苺は

心や魂の

恐ろしいほどに凍てついた孤独の状態を

シュールに表わしただけのことですよね。

 

それなら

天子だって

同じことですよ。

 

自らの股を裂いて

ずたずたに甘えてすべてを呪った

――というのは

なんらかの苛酷な状態を表わした

シュールレアリスティックな表現です。

 

 

この状態に詩人を追いやったのは

やはり長谷川泰子に逃げられた事件でした。

 

そのことは

「山羊の歌」の「少年時」の章に配置された

「寒い夜の自我像」の来歴をたどれば

くっきりと理解できます。

 

 

「寒い夜の自我像」は

最初に作られた時には

3節で構成されていました。

 

3節構成の詩の第1節だけが

「寒い夜の自我像」として初めて発表されたのは

「白痴群」の創刊号(昭和4年、1929年)4月のことです。

 

まずこの3節構成の「寒い夜の自我像」を

読みましょう。

 

 

寒い夜の自我像

 

   1

 

きらびやかでもないけれど、

この一本の手綱(たづな)をはなさず

この陰暗の地域をすぎる!

その志(こころざし)明らかなれば

冬の夜を、我は嘆かず、

人々の憔懆(しょうそう)のみの悲しみや

憧れに引廻(ひきまわ)される女等の鼻唄を、

わが瑣細(ささい)なる罰と感じ

そが、わが皮膚を刺すにまかす。

蹌踉(よろ)めくままに静もりを保ち、

聊(いささ)か儀文めいた心地をもって

われはわが怠惰を諌(いさ)める、

寒月の下を往きながら、

 

陽気で坦々として、しかも己を売らないことをと、

わが魂の願うことであった!……

 

   2

 

恋人よ、その哀しげな歌をやめてよ、

おまえの魂がいらいらするので、

そんな歌をうたいだすのだ。

しかもおまえはわがままに

親しい人だと歌ってきかせる。

 

ああ、それは不可(いけ)ないことだ!

降りくる悲しみを少しもうけとめないで、

安易で架空な有頂天を幸福と感じ倣(な)し

自分を売る店を探して走り廻るとは、

なんと悲しく悲しいことだ……

 

   3

 

神よ私をお憐(あわ)れみ下さい!

 

 私は弱いので、

 悲しみに出遇(であ)うごとに自分が支えきれずに、

 生活を言葉に換えてしまいます。

 そして堅くなりすぎるか

 自堕落になりすぎるかしなければ、

 自分を保つすべがないような破目(はめ)になります。

 

神よ私をお憐れみ下さい!

この私の弱い骨を、暖いトレモロで満たして下さい。

ああ神よ、私が先(ま)ず、自分自身であれるよう

日光と仕事とをお与え下さい!

                       (一九二九・一・二〇)

 

(「新編中原中也全集」第2巻「詩Ⅱ」より。新かなに変えました。編者。)

 

 

この詩の構造には

見覚えがあります。

 

第1節と第2節、第3節とが

連続していないような作りの詩は

驚くなかれ!

「盲目の秋」とまったく同様です。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

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