中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「夜寒の都会」から「寒い夜の自我像」へ
「夜寒の都会」の最終連に現われる天子は
自分の胯を裂いて、
ずたずたに甘えてすべてを呪った
――と暗喩で登場しますが
つまるところ、この天子は
詩人自身のことではないでしょうか?
このなんとも面妖(めんよう)な表現を読み解こうとして
あっちへ行ったりこっちへ行ったりしている中で
ふとそのような答が出てきました。
◇
この天子は前連で
沈黙から紫がかった
数個の苺を受け取った私でした。
紫がかった苺は
心や魂の
恐ろしいほどに凍てついた孤独の状態を
シュールに表わしただけのことですよね。
それなら
天子だって
同じことですよ。
自らの股を裂いて
ずたずたに甘えてすべてを呪った
――というのは
なんらかの苛酷な状態を表わした
シュールレアリスティックな表現です。
◇
この状態に詩人を追いやったのは
やはり長谷川泰子に逃げられた事件でした。
そのことは
「山羊の歌」の「少年時」の章に配置された
「寒い夜の自我像」の来歴をたどれば
くっきりと理解できます。
◇
「寒い夜の自我像」は
最初に作られた時には
3節で構成されていました。
3節構成の詩の第1節だけが
「寒い夜の自我像」として初めて発表されたのは
「白痴群」の創刊号(昭和4年、1929年)4月のことです。
まずこの3節構成の「寒い夜の自我像」を
読みましょう。
◇
寒い夜の自我像
1
きらびやかでもないけれど、
この一本の手綱(たづな)をはなさず
この陰暗の地域をすぎる!
その志(こころざし)明らかなれば
冬の夜を、我は嘆かず、
人々の憔懆(しょうそう)のみの悲しみや
憧れに引廻(ひきまわ)される女等の鼻唄を、
わが瑣細(ささい)なる罰と感じ
そが、わが皮膚を刺すにまかす。
蹌踉(よろ)めくままに静もりを保ち、
聊(いささ)か儀文めいた心地をもって
われはわが怠惰を諌(いさ)める、
寒月の下を往きながら、
陽気で坦々として、しかも己を売らないことをと、
わが魂の願うことであった!……
2
恋人よ、その哀しげな歌をやめてよ、
おまえの魂がいらいらするので、
そんな歌をうたいだすのだ。
しかもおまえはわがままに
親しい人だと歌ってきかせる。
ああ、それは不可(いけ)ないことだ!
降りくる悲しみを少しもうけとめないで、
安易で架空な有頂天を幸福と感じ倣(な)し
自分を売る店を探して走り廻るとは、
なんと悲しく悲しいことだ……
3
神よ私をお憐(あわ)れみ下さい!
私は弱いので、
悲しみに出遇(であ)うごとに自分が支えきれずに、
生活を言葉に換えてしまいます。
そして堅くなりすぎるか
自堕落になりすぎるかしなければ、
自分を保つすべがないような破目(はめ)になります。
神よ私をお憐れみ下さい!
この私の弱い骨を、暖いトレモロで満たして下さい。
ああ神よ、私が先(ま)ず、自分自身であれるよう
日光と仕事とをお与え下さい!
(一九二九・一・二〇)
(「新編中原中也全集」第2巻「詩Ⅱ」より。新かなに変えました。編者。)
◇
この詩の構造には
見覚えがあります。
第1節と第2節、第3節とが
連続していないような作りの詩は
驚くなかれ!
「盲目の秋」とまったく同様です。
◇
途中ですが
今回はここまで。
« 中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「夜寒の都会」の天子 | トップページ | 中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/続・「夜寒の都会」から「寒い夜の自我像」へ »
「064面白い!中也の日本語」カテゴリの記事
- 中原中也・詩の宝島/ベルレーヌーの足跡(あしあと)/「ポーヴル・レリアン」その3(2018.08.11)
- 中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「心象」の空(2018.06.28)
- 中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「少年時」から「夏」へ(2018.06.27)
- 中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「失せし希望」の空(2018.06.24)
- 中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「木蔭」の空(2018.06.23)
« 中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「夜寒の都会」の天子 | トップページ | 中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/続・「夜寒の都会」から「寒い夜の自我像」へ »
コメント