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2018年6月 7日 (木)

中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「夏」

 

 

「山羊の歌」は

第2章にあたる章のタイトルを「少年時」とし

その冒頭に「少年時」を置いたからには

いよいよランボーの足跡が濃くなる作品が並ぶかと思うと

そうではありません。

 

「盲目の秋」

「わが喫煙」

「妹よ」

「寒い夜の自我像」

「木蔭」

「失せし希望」

――とつづく作品に

ランボーは消えてしまいます。

 

どこへ行ってしまったのだろうと読み進むと

「夏」に出合います。

 

 

 

血を吐くような 倦(もの)うさ、たゆけさ

今日の日も畑に陽は照り、麦に陽は照り

睡(ねむ)るがような悲しさに、み空をとおく

血を吐くような倦うさ、たゆけさ

 

空は燃え、畑はつづき

雲浮び、眩(まぶ)しく光り

今日の日も陽は炎(も)ゆる、地は睡る

血を吐くようなせつなさに。

 

嵐のような心の歴史は

終焉(おわ)ってしまったもののように

そこから繰(たぐ)れる一つの緒(いとぐち)もないもののように

燃ゆる日の彼方(かなた)に睡る。

 

私は残る、亡骸(なきがら)として――

血を吐くようなせつなさかなしさ。

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えました。編者。)

 

 

「少年時」の章の第8番詩「夏」には

ギロギロの目で諦めていた少年が

また現われます。

 

そう読んではいけませんか?

 

夏の日の昼過ぎの

誰も彼もが午睡するとき

野の道を走って行った少年が

空は燃え、畑はつづき

雲浮び、眩しく光る

この詩にいるではありませんか。

 

 

「少年時」という章は

「盲目の秋」の第3節に

突如、サンタ・マリア(泰子)が現れてから

ランボーは消えます。

 

消えたように見えるのは

ランボーの「少年時」を

見失っているからであることを知ります。

 

ランボーの「少年時」の冒頭には、

オレンヂ色の唇をもつた少女

海のほとりのテラスに渦巻く貴婦人の群

少女たちや巨大な女たち

見事な黒人の女

うら若い母と大きな姉

トルコの王妃

傍若無人に着飾って闊歩する王女達

背の低い異国の女

物静かに薄命な女たち

――と色とりどりの女性たちが歌われています。

(鈴木信太郎・小林秀雄共訳)

 

長谷川泰子を真正面から歌うことは

ランボーの「少年時」から離れたことにはなりません。

 

 

「盲目の秋」の構成が

それを明かすことになります。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

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