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2018年7月

2018年7月31日 (火)

中原中也・詩の宝島/ベルレーヌの足跡(あしあと)/「アルテュル・ランボオ」その5「坐せる奴等」

 

 

中原中也が訳した

ベルレーヌの「アルテュル・ランボオ」中の「坐せる奴等」は

1934年に「苑」という雑誌に独立した翻訳として発表され

「坐った奴等」となりました。

 

後に「ランボオ詩集」に収録されたときにも手を加えられますから

3度の推敲を経たことになります。

 

旧訳(第1、第2次形態)と新訳(第3次形態)の関係になりますから

こちらにも目を通しておきましょう。

 

 

  坐せる奴等

 

狼の暗愁、緑の指環を留めた眼、

腰に当てられ縮(ちぢ)かみ膨れた奴等の指、

古壁の癩を病む開花の如く

乱れた旋毛(つむじ)の奴等の頭、

 

奴等は癲癇に罹った情愛の中に奴等の椅子の

大きい骨組のように奇妙な骨格を接木した。

奴等はその佝僂(くる)な木柵のような脚を

朝でも夕方でも組んでいる。

 

これ等老ぼれ達は何時も椅子で編物をしている、

活発なお日様が奴等の皮膚に沁みいるのを感じながら、

或は、その上で雪の溶けつつある硝子のような奴等の眼を、

蟇蛙の傷ましき戦慄もて震撼されながら。

 

椅子は奴等に親切なもんだ、茶っぽくなって、

藁芯は奴等の腰の角度どおりに曲っている。

過ぎし日の太陽の霊は、穀粒がウズウズする

穂積の中にくるまれて明るんでいる。

 

して奴等は、膝を歯に、ピアニストさながら、

太鼓のようにガサツク椅子の下に十の指をやり、

わびしげな舟歌をしんねりむっつり聴いている、

そして頭は愛のたゆたいにゆれだす。

 

おお! 奴等を呼ぶな! 呼びでもすりゃあ大変だ……

彼等は昂然として擲られた猫のように唸りだす、

徐(おもむ)ろに肩をいからせながら、おお桑原々々!

ズボンまでが腰のまわりに膨らむだろう。

 

そして君は聞くだろう、奴等が禿げ頭を

暗い壁に打ちつけるのを、曲がった足をジタバタしながら、

奴等の服のボタンは鹿ノ子色の瞳のようで

廊下のどんづまりみたいな視線を君は投げかけられる!

 

いったい奴等は人を刺す目に見えない手を持っている……

ひっ返す時に、奴等の濾過器のような視線・黒い悪意は

打たれた牝犬の嘆かわしげな眼をしている、

君は狂暴な漏斗の中に吸込まれたようでがっかりする。

 

再び着席して、汚れたカフスの中に拳をひっこめて、

奴等は奴等を呼び起した者のことを考えている

そして、夕焼のような奴等の咽喉豆が

か弱い顎の下で刳(えぐ)られるように動くのを覚える。

 

はげしい睡気がきざす時、

奴等は結構な椅子の上で夢みる、

ほんに可愛いい布縁の椅子のことを

立派な事務室にその椅子が並べられたところを。

 

インクの花は花粉の点々と跳ねっかし

蹲った臍に沿って水仙菖(すいせんあやめ)の繊維のように

蜻蛉の飛行のように奴等をこそぐる、

――そして奴等の手は頬鬚に突かれていじもじする。

 

(「新編中原中也全集」第3巻「翻訳」より。新かなに変えました。編者。)

 

 

これが

1929年末~1930年初頭の翻訳(第1次形態)です。

 

「アルテュル・ランボオ」中のこの詩は

未完成、未公開の翻訳であることを

銘記して読まねばなりません。

 

そうであっても、

わびしげな舟歌をしんねりむっつり聴いている、

そして頭は愛のたゆたいにゆれだす。

――といったところや

 

最終連の、

 

奴等の手が頬髯(ほおひげ)に突かれていじもじする

――などの訳には

中原中也が生き生きと姿を見せます。

 

ランボーにより近づこうとした中也の格闘が

彷彿としてきます。

 

 

坐った奴等

 

肉瘤(こぶ)で黒くて痘瘡(あばた)あり、緑(あお)い指環を嵌めたよなその眼(まなこ)、

すくんだ指は腰骨のあたりにしょんぼりちぢかんで、

古壁に、漲る瘡蓋(かさぶた)模様のように、前頭部には、

ぼんやりとした、気六ヶ敷さを貼り付けて。

 

恐ろしく夢中な恋のその時に、彼等は可笑しな体躯(からだ)をば、

彼等の椅子の、黒い大きい骨組に接木(つぎき)したのでありました。

枉がった木杭さながらの彼等の足は、夜(よる)となく

昼となく組み合わされてはおりまする!

 

これら老爺(じじい)は何時もかも、椅子に腰掛け編物し、

強い日射しがチクチクと皮膚を刺すのを感じます、

そんな時、雪が硝子にしぼむよな、彼等のお眼(めめ)は

蟇(ひきがえる)の、いたわし顫動(ふるえ)にふるいます。

 

さてその椅子は、彼等に甚だ親切で、褐(かち)に燻(いぶ)され、

詰藁は、彼等のお尻の形(かた)なりになっているのでございます。

甞て照らせし日輪は、甞ての日、その尖に穀粒さやぎし詰藁の

中にくるまり今も猶、燃(とも)っているのでございます。

 

さて奴等、膝を立て、元気盛んなピアニスト?

十(じゅう)の指(および)は椅子の下、ぱたりぱたりと弾(たた)きますれば、

かなし船唄ひたひたと、聞こえ来るよな思いにて、

さてこそ奴等の頭(おつむり)は、恋々として横に揺れ。

 

さればこそ、奴等をば、起(た)たさうなぞとは思いめさるな……

それこそは、横面(よこづら)はられた猫のよう、唸りを発し、湧き上り、

おもむろに、肩をばいからせ、おそろしや、

彼等の穿けるズボンさえ、むッくむッくとふくれます。

 

さて彼等、禿げた頭を壁に向け、

打衝(ぶちあ)てるのが聞こえます、枉がった足をふんばって

彼等の服の釦(ボタン)こそ、鹿ノ子の色の瞳にて

それは廊下のどんづまり、みたいな眼付で睨めます。

 

彼等にはまた人殺す、見えないお手(てて)がありまして、

引っ込めがてには彼等の眼(め)、打たれた犬のいたいたし

眼付を想わすどす黒い、悪意を滲(にじ)み出させます。

諸君はゾッとするでしょう、恐ろし漏斗に吸込まれたかと。

 

再び坐れば、汚ないカフスに半ば隠れた拳固(げんこ)して、

起(た)たそうとした人のこと、とつくり思いめぐらします。

と、貧しげな顎の下、夕映(ゆうばえ)や、扁桃腺の色をして、

ぐるりぐるりと、ハチきれそうにうごきます。

 

やがてして、ひどい睡気が、彼等をこっくりさせる時、

腕敷いて、彼等は夢みる、結構な椅子のこと。

ほんに可愛いい愛情もって、お役所の立派な室(へや)に、

ずらり並んだ房の下がった椅子のこと。

 

インキの泡がはねッかす、句点(コンマ)の形の花粉等は、

水仙菖の線真似る、蜻蛉(とんぼ)の飛行の如くにも

彼等のお臍のまわりにて、彼等をあやし眠らする。

――さて彼等、腕をもじもじさせまする。髭がチクチクするのです。

 

(同。)

 

 

これが最終形態で

「ランボオ詩集」に収められた翻訳です。

 

最終連だけを見るだけで

詩行が整えられた跡が

くっきり見えます。

 

第1次形態は――、

インクの花は花粉の点々と跳ねっかし

蹲った臍に沿って水仙菖(すいせんあやめ)の繊維のように

蜻蛉の飛行のように奴等をこそぐる、

――そして奴等の手は頬鬚に突かれていじもじする。

 

第3次形態は――、

インキの泡がはねッかす、句点(コンマ)の形の花粉等は、

水仙菖の線真似る、蜻蛉(とんぼ)の飛行の如くにも

彼等のお臍のまわりにて、彼等をあやし眠らする。

――さて彼等、腕をもじもじさせまする。髭がチクチクするのです。

 

 

ランボーを知っておよそ10年。

 

詩と詩人への親近度が深まり

翻訳も深化したことがわかります。

 

 

ベルレーヌはこの詩を、

 

いともロジックな終りの章、

かくも嬉々として果断な章

――と断言し

読者は、今やイロニイの力、此の詩人が恐るべき言葉の力

それよ、此の詩人が我々に考慮すべく残したものは、

かのいと高き賜物、至上の賜物、智識の壮大な立証、誇りかな仏国的経験である。

――などと絶賛しています。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2018年7月25日 (水)

中原中也・詩の宝島/ベルレーヌーの足跡(あしあと)/「アルテュル・ランボオ」その4「母音」

 

 

中原中也がこの「アルテュル・ランボオ」を翻訳したのは

訳稿Aが1932年(昭和7年)、

訳稿Bが1929年(昭和4年)~1930年(昭和5年)と推定されています。

 

そして、文中に引用された詩の翻訳は

1937年発行の「ランボオ詩集」で改められます。

 

ということで

「アルテュル・ランボオ」の翻訳は第1次形態、

「ランボオ詩集」の翻訳は第2次形態として整理されます。

 

初訳から7、8年後に

詩の部分だけ新訳が試みられたことになりますが

「母音」のケースにも

目を通しておきましょう。

 

先に「アルテュル・ランボオ」中の翻訳

次に「ランボオ詩集」中の翻訳を読みます。

 

 

     母 音

 

A黒、E白、I赤、U緑、O青、母音達よ、

私は語るだろう、何時の日か汝等が隠密の由来を。

A、黒、光る蠅で毛むくじゃらの胸部

むごたらしい悪臭のめぐりに跳び廻る、

暗き入海。E、気鬱と陣営の稚淳、

投げられし誇りかの氷塊、真白の王、繖形花の顫え。

I、緋色、喀かれし血、美しき脣々の笑い――

怒りの裡、悔悛の熱意の裡になされたる。

 

U、天の循環、蒼寒い海のはしけやし神々しさ、

獣ら散在せる牧場の平和、錬金道士が

真摯なる大きい額に刻んだ皺の平和。

 

O、擘(つんざ)く音の至上の軍用喇叭、

人界と天界を横ぎる沈黙(しじま)

――おお いやはてよ、菫と閃く天使の眸よ!

 

(「新編中原中也全集」第3巻「翻訳」より。新かな、洋数字に変えました。編者。)

 

 

母 音

 

Aは黒、Eは白、Iは赤、Uは緑、Oは赤、母音たち、

おまえたちの穏密な誕生をいつの日か私は語ろう。

A、眩ゆいような蠅たちの毛むくじゃらの黒い胸衣(むなぎ)は

むごたらしい悪臭の周囲を飛びまわる、暗い入江。

 

E、蒸気や天幕(テント)のはたためき、誇りかに

槍の形をした氷塊、真白の諸王、繖形花顫動(さんけいかせんどう)、

I、緋色の布、飛散(とびち)った血、怒りやまた

熱烈な悔悛に於けるみごとな笑い。

 

U、循環期、鮮緑の海の聖なる身慄い、

動物散在する牧養地の静けさ、錬金術が

学者の額に刻み付けた皺の静けさ。

 

O、至上な喇叭(らっぱ)の異様にも突裂(つんざ)く叫び、

人の世と天使の世界を貫く沈黙。

――その目紫の光を放つ、物の終末!

 

(同。)

 

 

ベルレーヌが「母音」に加えたコメントを

箇条書きに直してみれば、

 

1、14行詩、8行詩、4、5乃至6行を一節とする詩。彼は決して平板な韻は踏まなかった。

2、しっかりした構え、時には凝ってさえいる詩。

3、気儘な句読は稀であり、句の“跨り”は一層稀である。

4、語の選択は何時も粋で、趣向に於ては偶々学者ぶる。

5、語法は判然としていて、観念が濃くなり、感覚が深まる時にも猶明快である。

6、加之(のみならず)謂うべきその韻律。

 

――となります。

 

韻、韻律、句読、句跨りなどと

具体的な指摘を加えているほか

趣向に於ては偶々学者ぶる、

とか、

語の選択は何時も粋で、

観念が濃くなり、感覚が深まる時にも猶明快である。

とかの評言に

ベルレーヌの鋭い読みがあります。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2018年7月22日 (日)

中原中也・詩の宝島/ベルレーヌーの足跡(あしあと)/「アルテュル・ランボオ」その3「夕の辞」

 

中原中也が訳したランボーの詩は

「母音」

「夕の辞」

「坐せる奴等」

――の3作ですが

ベルレーヌの原作はこの他に

「びっくり仰天している子ら」

「虱をとる女たち」

「酔っぱらった船」

――の全行、

「初聖体拝領」

「パリは再び大賑わい」

「永遠」

――の一部があります。

(「新編中原中也全集」第3巻「翻訳・解題篇」。)

 

この選択は

ベルレーヌが記すように

ランボーの初期作品から文学と訣別するまでの

全期間を対象にした結果です。



継続して不足分への言及を

ベルレーヌは構想していたのかもしれません。

 

ランボーの人と作品を

ベルレーヌほどに親しく知っている存在は少なかったのですから

障害事件を起こした過去がありながらも

ベルレーヌによるランボーの紹介は

適役であったのですし

必然的であり

運命的でありました。

 

 

風貌や性格の描写は

ベルレーヌにしかできないような

繊細で優しい眼差しで簡潔的確に捉えられています。

 

 大きい、骨組のしっかりした、殆ど運動家のようで、完全に楕円形のその顔は追放の天

使のようであった。並びのわるい明褐色の髪をもち、蒼ざめた碧眼は気遣わし気に見え

た。

――という記述は

その上、中原中也の言語意識(技術)が

素描(翻訳)したものでした。

 

ランボーは運動家でした。

 

それは、

 アルデンヌ生れの彼は、その綺麗な訛を忽ちに失くしたばかりか、アルデンヌ人らしい速

かな同化力を以て巴里語を駆使した。

――という素描にも及んでいます。

 

 

「訳稿A」「訳稿B」を読んで

すぐさま気づくことの一つに

ここで引用された詩の翻訳と

中原中也のランボー翻訳の集大成である

「ランボオ詩集」中の同一詩との違いです。

 

例えば「夕の辞」は

「ランボオ詩集」ではこうなります。

 



夕べの辞

 

私は坐りっきりだった、理髪師の手をせる天使そのままに、

丸溝のくっきり付いたビールのコップを手に持ちて、

下腹突き出し頸反らし陶土のパイプを口にして、

まるで平(たいら)とさえみえる、荒模様なる空の下。

 

古き鳩舎に煮えかえる鳥糞(うんこ)の如く、

数々の夢は私の胸に燃え、徐かに焦げて。

やがて私のやさしい心は、沈欝にして生々(なまなま)し

溶(とろ)けた金のまみれつく液汁木質さながらだった。

 

さて、夢を、細心もって嚥(の)み下し、

身を転じ、――ビール3、40杯を飲んだので

尿意遂げんとこころをあつめる。

 

しとやかに、排香草(ヒソウ)や杉にかこまれし天主の如く、

いよ高くいよ遐(とお)く、褐色の空には向けて放尿す、

――大いなる、ヘリオトロープにうべなわれ。

 

(「新編中原中也全集」第3巻「翻訳」より。新かな、洋数字に変えました。編者。)



 

読み比べるために

「アルテュル・ランボオ」中の翻訳も

もう一度ここに載せましょう。

 

 

     夕の弁

 

我は理髪師の手もてる天使の如く座してありき、

深き丸溝あるビールのコップを手に持ちて、

小腹と首をつん反(ぞ)らせ、ギャムビエを歯に、

ふくよかに風孕む帆が下に。

 

古き鳩舎の火照りある糞のごと

千の夢は、我をやさいく焦がしたり。

と忽ちに、我が哀しき心、熔けたる

暗き黄金の血を流す 白木質となれりけり。

 

軈(やが)て我、細心をもて我が夢を呑み下せしに、

惑乱す、数十杯のビール傾け、

扨入念す、辛き心を浚はむと。

 

やさしさ、杉とヒップの主の如く、

いや高くいや遠き褐の空向け放尿す、

大いなるヘリオトロープにあやかりて。

(同。)

 

途中ですが

今回はここまで。

2018年7月21日 (土)

中原中也・詩の宝島/ベルレーヌの足跡(あしあと)/「アルテュル・ランボオ」その2

 

 

ベルレーヌの「呪われた詩人たち」のうちで

中原中也が訳したのは

第1章「トリスタン・コルビエール」

第2章「アルチュール・ランボー」

第6章「ポーヴル・レリアン」

――の3作です。

 

このうちの「アルチュール・ランボー」を

中也は「アルテュル・ランボオ」と表記しました。

 

生前には発表されなかった

未完成の草稿です。

 

訳稿Aに引き続いて

訳稿Bとして整理された後半部を読み進めます。

 

 

(訳稿B)

 

     坐せる奴等

 

狼の暗愁、緑の指環を留めた眼、

腰に当てられ縮(ちぢ)かみ膨れた奴等の指、

古壁の癩を病む開花の如く

乱れた旋毛(つむじ)の奴等の頭、

 

奴等は癲癇に罹った情愛の中に奴等の椅子の

大きい骨組のように奇妙な骨格を接木した。

奴等はその佝僂(くる)な木柵のような脚を

朝でも夕方でも組んでいる。

 

これ等老ぼれ達は何時も椅子で編物をしている、

活発なお日様が奴等の皮膚に沁みいるのを感じながら、

或は、その上で雪の溶けつつある硝子のような奴等の眼を、

蟇蛙の傷ましき戦慄もて震撼されながら。

 

椅子は奴等に親切なもんだ、茶っぽくなって、

藁芯は奴等の腰の角度どおりに曲っている。

過ぎし日の太陽の霊は、穀粒がウズウズする

穂積の中にくるまれて明るんでいる。

 

して奴等は、膝を歯に、ピアニストさながら、

太鼓のようにガサツク椅子の下に十の指をやり、

わびしげな舟歌をしんねりむっつり聴いている、

そして頭は愛のたゆたいにゆれだす。

 

おお! 奴等を呼ぶな! 呼びでもすりゃあ大変だ……

彼等は昂然として擲られた猫のように唸りだす、

徐(おもむ)ろに肩をいからせながら、おお桑原々々!

ズボンまでが腰のまわりに膨らむだろう。

 

そして君は聞くだろう、奴等が禿げ頭を

暗い壁に打ちつけるのを、曲がった足をジタバタしながら、

奴等の服のボタンは鹿ノ子色の瞳のようで

廊下のどんづまりみたいな視線を君は投げかけられる!

 

いったい奴等は人を刺す目に見えない手を持っている……

ひっ返す時に、奴等の濾過器のような視線・黒い悪意は

打たれた牝犬の嘆かわしげな眼をしている、

君は狂暴な漏斗の中に吸込まれたようでがっかりする。

 

再び着席して、汚れたカフスの中に拳をひっこめて、

奴等は奴等を呼び起した者のことを考えている

そして、夕焼のような奴等の咽喉豆が

か弱い顎の下で刳(えぐ)られるように動くのを覚える。

 

はげしい睡気がきざす時、

奴等は結構な椅子の上で夢みる、

ほんに可愛いい布縁の椅子のことを

立派な事務室にその椅子が並べられたところを。

 

インクの花は花粉の点々と跳ねっかし

蹲った臍に沿って水仙菖(すいせんあやめ)の繊維のように

蜻蛉の飛行のように奴等をこそぐる、

――そして奴等の手は頬鬚に突かれていじもじする。

 

 私は今此の詩を、学者ぶって冷然と誇張して全部掲げた。そのいともロジックな終りの

章、かくも嬉々として果断な章をまで掲げるを得た。読者は、今やイロニイの力、此の詩人

が恐るべき言葉の力を感得せられたことと思う。それよ、此の詩人が我々に考慮すべく残

したものは、かのいと高き賜物、至上の賜物、智識の壮大な立証、誇りかな仏国的経験で

ある。最近の卑怯なる国際主義流行に際して、力説すべきは、民族生来の宗教的崇高、

即ちランボオが人間的心と魂と精神との不滅の高貴性の不羈の確言である。即ち1883

年の自然主義者等が狭き趣味、絵画的関心によって否みし優しさ、強さ、また大いなる修

辞をである!

 

 強さは、上記の詩篇には殊によく顕れている。その強さたるや逆説や、或る種の形に紛

れてのみ現わされ得る所の恐ろしく美しい気雰の其処に潜められている。その強みは、美し

く純粋な彼が総体の中に、この一文が終る時分にはいよいよ明瞭となるであろう。差当り、

それは「慈悲」だと云っておこう、従来は知られていなかった特殊な慈悲、其処には珍奇

は、かの思想と文体との純潔さ、極度の優しさに、塩や胡椒の役をする。

 

 少しくは野生的で、非常に軟かく、戯画風に綺麗で、親しみ易く、善良で、“なげやりで”、

朗らかで、また先生ぶっている、次の作品の如きを我等嘗ての文学に覓めることは出来な

い。

 

(「新編中原中也全集」第3巻「翻訳」より。新かな、洋数字に変えました。傍点は” “で示

しました。編者。)

 

 

中原中也が訳した「アルテュル・ランボオ」は

以上のように

「訳稿A」と「訳稿B」として整理されています。

 

ベルレーヌ原作の全訳ではありませんが

ベルレーヌがランボーの作品を例示して

一つひとつに短いけれど的確な論評を加えている

原作の構造がよくわかります。

 

ベルレーヌの原作は

1883年末に5回連載で

週刊文芸誌に発表されました。

 

ランボーの存在が

初めてフランスの若い世代に知らされた

画期的なものでしたが

この時ランボーは文学を捨て

アフリカ奥地で商人として活動していました。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2018年7月19日 (木)

中原中也・詩の宝島/ベルレーヌーの足跡(あしあと)/「アルテュル・ランボオ」その1

 

 

中原中也は

ベルレーヌの「呪われた詩人たち」に収められた

「アルチュール・ランボー」を翻訳しています。

 

ベルレーヌのランボー論を訳すことで

ベルレーヌとはどんな人物で

ランボーをどのように捉えていたのか

なによりもどんな詩を書いた詩人だったかを知るための

基礎的な情報(アウトライン)を得ようとしたのでしょう。

 

 

ランボーの足跡を

「山羊の歌」の「初期詩篇」から

第2章の「少年時」にたどってきましたが

必然的に出会うことになったベルレーヌの足跡を

ここでじっくりと中原中也の詩や翻訳の中に追いかけましょう。

 

 

アルテュル・ランボオ

 

      ポール・ヴェルレーヌ

 

(訳稿A)

 

 私はアルテュル・ランボオを知るの喜びを持っている。今日、様々の瑣事は、私を彼から

遠ざけている。尤も、彼が天才及び性格に対する私の嘆賞は、1日として欠けたことはな

いのだが。

 

 私達の親交の少し前、アルテュル・ランボオが16、7才であった頃、既に彼は、公衆が知

り、私などが出来る限り引証し解説してやるべき詩籠を所持していた。

 

 大きい、骨組のしっかりした、殆ど運動家のようで、完全に楕円形のその顔は追放の天

使のようであった。並びのわるい明褐色の髪をもち、蒼ざめた碧眼は気遣わし気に見え

た。

 

 アルデンヌ生れの彼は、その綺麗な訛を忽ちに失くしたばかりか、アルデンヌ人らしい速

かな同化力を以て巴里語を駆使した。

 

 私はまず、アルテュル・ランボオの初期の作品、いとも早熟な彼が青年期の作品に就い

て考えてみよう、――気高い腺疫、奇跡的発情の彼が青春時!――その後で彼のその烈

しい精神が、文学的終焉をみる迄の様々な発展を調べることとしよう。

 

 偖(さて)、前言すべき一事がある。というは、若し此の一文が偶然にも彼の目に止るとす

るならば、アルテュル・ランボオは、私が人間行為の動機を批議する者でなく、又私が彼に

対する全き是認(私達の悲劇に就いても同様)は、彼が詩を放棄したということに対しても

可及するものと諒察するであろう。お疑いならないとなら云うが、この放棄は、彼にあって

は論理的で正直で必要なことであったのです。

 

 ランボオの作品は、その極度の青春時、1869、70、71年を終るに当っては、もはや沢

山であって、敬すべき一巻の書を成していた。それは概して短い詩を含む書である。14行

詩、8行詩、4、5乃至6行を一節とする詩。彼は決して平板な韻は踏まなかった。しっかり

した構え、時には凝ってさえいる詩。気儘な句読は稀であり、句の“跨り”は一層稀である。

語の選択は何時も粋で、趣向に於ては偶々学者ぶる。語法は判然としていて、観念が濃く

なり、感覚が深まる時にも猶明快である。加之(のみならず)謂うべきその韻律。

 

 次の14行詩こそそれらのことを証明しよう。

 

     母 音

 

A黒、E白、I赤、U緑、O青、母音達よ、

私は語るだろう、何時の日か汝等が隠密の由来を。

A、黒、光る蠅で毛むくじゃらの胸部

むごたらしい悪臭のめぐりに跳び廻る、

暗き入海。E、気鬱と陣営の稚淳、

投げられし誇りかの氷塊、真白の王、繖形花の顫え。

I、緋色、喀かれし血、美しき脣々の笑い――

怒りの裡、悔悛の熱意の裡になされたる。

 

U、天の循環、蒼寒い海のはしけやし神々しさ、

獣ら散在せる牧場の平和、錬金道士が

真摯なる大きい額に刻んだ皺の平和。

 

O、擘(つんざ)く音の至上の軍用喇叭、

人界と天界を横ぎる沈黙(しじま)

――おお いやはてよ、菫と閃く天使の眸よ!

 

 アルテュル・ランボオの美神は、すべての調子をとって用いた。竪琴の全和絃、ギタアの

全和絃をかなで、胡弓の弓は宛(さなが)ら自分自身であるよう敏捷に奏せられた。

 

 ランボオが愚弄家、嘲弄家と見えるのはその時である。彼が愚弄家嘲弄家の親玉たる

時こそ、彼が神の手になる大詩人たる時である。

 

 見よ、「夕(ゆうべ)の弁」と「座セル奴等」を、その前に跪くべく。

 

     夕の弁

 

我は理髪師の手もてる天使の如く座してありき、

深き丸溝あるビールのコップを手に持ちて、

小腹と首をつん反(ぞ)らせ、ギャムビエを歯に、

ふくよかに風孕む帆が下に。

 

古き鳩舎の火照りある糞のごと

千の夢は、我をやさいく焦がしたり。

と忽ちに、我が哀しき心、熔けたる

暗き黄金の血を流す 白木質となれりけり。

 

軈(やが)て我、細心をもて我が夢を呑み下せしに、

惑乱す、数十杯のビール傾け、

扨入念す、辛き心を浚はむと。

 

やさしさ、杉とヒップの主の如く、

いや高くいや遠き褐の空向け放尿す、

大いなるヘリオトロープにあやかりて。

 

(「新編中原中也全集」第3巻「翻訳」より。新かな、洋数字に変え、改行を加えました。編

者。)

 

 

ここまでが「訳稿A」として整理された

前半部分です。

 

今回は

目を通すだけにとどめ

このあたりまでにしておきましょう。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2018年7月16日 (月)

中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/感性的陶酔

 

 

ランボーが捉えた永遠のなかに

詩を読む僕たちも

いつしか入り込んでいる感覚。

 

なんだか

危ないような

とろけるような。

 

この感じを

感性的陶酔と中也は名づけました。

 

その感性的陶酔が

生じるところには

繻子の肌した深紅の燠が

赤々と燃えています――。

 

 

より具体的に

よりくっきりと迫られた

この感性的陶酔は

別の言葉にするなら

幸福といってよいでしょう。

 

それはまた

永遠の別称ですが。

 

バイヤン(異教徒)の思想が

信じることのできる唯一のものが

これ、感性的陶酔でした。

 

ランボーの詩と対峙した詩人は

「永遠」が歌う幻想を

このようにとらえ返します。

 

ランボーのこの切れ味に

詩人はぞっこんでした。

 

 

それは

「食うため」に躍起になっている人類が

見失ってしまった夢だ。

 

だから

なかなか受け入れられない考えだ。

 

だからといって

夢の意義がなくなることもないのだが

ランボーの夢ほど

受け入れられ難いものもないのだ。

 

 

言ってみれば

ランボーが見抜いていたものは

「生の原型」であった。

 

これは

風俗、習慣といった

日常を生活する以前の原理だから

一度、見出してしまっては

忘れることができないものなのに

それを言い表すこともできないものだ。

 

在ることが分かっているのに

行き道が分からなくなってしまった

宝島のようなものなのだ。

 

 

行き道があるとすれば

ベルレーヌ風楽天主義くらいかな。

 

ベルレーヌなら

ランボーよりもずっと無頓着に

夢みる道を心得ているから

行けるかもしれないけど

そのベルレーヌにしても

受け入れられないかもしれない。

 

 

中原中也は

このようにまでベルレーヌを

ランボーの夢を理解し

その夢を追いかける生活をはじめる存在と認めますが

ランボーは夢は夢であって

生活とは別個のことでしかなかった

――と見極めたのです。

 

 

あれ、ですね。

 

ゴタールの映画「気狂いピエロ」が

つかまえた瞬間に消えてしまう世界に似た……。

 

 

永遠って

長い長―い時間のようですけど

それって

どこにあるのでしょうか。

 

海って

ずっとそこにありますよね。

 

ずっとそこにあるのですから

ずっとそこにいれば

長い長―い時間いられるのに

ずっとそこにいることはできませんね。

 

 

中也のなかで親近する

ベルレーヌの夢も

ランボーの夢も

このように見分けられていました。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2018年7月15日 (日)

中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「永遠 Éternité」

 

 

中原中也が訳した「ランボオ詩集」の後記に

繻子の肌した深紅の燠よ、

それそのおまへと燃えてゐれあ

義務(つとめ)はすむといふものだ、

――と引用された詩行は

ランボーの詩「永遠 Éternité」の第5連です。

 

この詩を何故

中也は引いたのでしょうか。

 

その意図を

明確に理解するためには

この詩の全行を読むに限ります。

 

 

永遠

 

また見付かった。

何がだ? 永遠。

去(い)ってしまった海のことさあ

太陽もろとも去(い)ってしまった。

 

見張番の魂よ、

白状しようぜ

空無な夜(よ)に就き

燃ゆる日に就き。

 

人間共の配慮から、

世間共通(ならし)の逆上(のぼせ)から、

おまえはさっさと手を切って

飛んでゆくべし……

 

もとより希望があるものか、

願いの条(すじ)があるものか

黙って黙って勘忍して……

苦痛なんざあ覚悟の前。

 

繻子(しゅす)の肌した深紅の燠(おき)よ、

それそのおまえと燃えていりゃあ

義務(つとめ)はすむというものだ

やれやれという暇もなく。

 

また見付かった。

何がだ? 永遠。

去(い)ってしまった海のことさあ

太陽もろとも去(い)ってしまった。

 

(「新編中原中也全集」第3巻「翻訳」より。新かなに変えました。編者。)

 

 

「地獄の季節」中の「言葉の錬金術」の章には

ランボーの傑作中の傑作が

選(よ)りに選(よ)られて引用され

圧巻、壮観の様相を呈していますが

「永遠」も

この壮観さを構成する詩の一つとして登場します。

 

中也が「地獄の季節」の翻訳に取り組まなかったのには

小林秀雄との役割分担とか

住み分けとか

様々な解釈があるようですが

「地獄の季節」を読まなかったということではありません。

 

小林秀雄が京都滞在中の富永太郎に

初めて「地獄の季節」に触れた衝撃を伝えた

1925年(大正14年)に

富永の興奮を通じて中原中也も

「地獄の季節」の存在を知った可能性は高く

以来、中也の関心がランボーに向かう中で

「地獄の季節」を読む機会は何度もあったはずでした。

 

ベリション版ランボー著作集を入手した

1926年(大正15年)1月以後

幾度となく「地獄の季節」のページをめくったであろうことを

想像するのは難(かた)くありません。

 

以来、ランボーの幸福論あるいは幸福観といったものへ

中也の関心のまなざしは向けられました。

 

 

「永遠」は

「地獄の季節」に引用されてあるばかりでなく

「飾画篇」にも収録されていました。

 

ランボーを原詩で読みはじめ

「ランボオ詩集」の翻訳を完成し

後記を記すまでのおよそ10余年

ランボーの詩は

常に中原中也の傍らにありましたから

「飾画篇」の「永遠」には

何度も触れていました。

 

 

また見付かった。

何がだ? 永遠。

去(い)ってしまった海のことさあ

太陽もろとも去(い)ってしまった。

 

――という詩行の

目の眩(くら)むようなビジョンの

巨大なスケール!

 

海の向こうに太陽が消える光景のようですが

映像ばかりか

人間のつぶやきか

ダイアローグ(対話)かを思わせる親近感とともに

海それ自体の声が聞こえるような

神々しくもあるこの荘厳さは

いったいなんでしょう。

 

海が行ってしまう、とは!

 

ランボーが捉えた永遠のなかに

僕たちもいる気分です。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2018年7月 9日 (月)

中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「後記」のベルレーヌ

 

 

ベルレーヌについては

中原中也が訳した「ランボー詩集」の後記の記述を

見逃すわけにはいきません。

 

その中で

中原中也はランボーの思想について語り

ベルレーヌを語っています。

 

ランボーの思想を語る中に

ベルレーヌは欠かせない存在でした。

 

 

後 記

 

 私が茲(ここ)に訳出したのは、メルキュル版1924年刊行の「アルチュル・ラン

ボー作品集」中、韻文で書かれたものの殆んど全部である。ただ数篇を割愛したが、その

ためにランボーの特質が失われるというようなことはない。

 

 私は随分と苦心はしたつもりだ。世の多くの訳詩にして、正確には訳されているが分りに

くいという場合が少くないのは、語勢というものに無頓着過ぎるからだと私は思う。私はだ

からその点でも出来るだけ注意した。

 

 出来る限り逐字訳をしながら、その逐字訳が日本語となっているように気を付けた。

 

 語呂ということも大いに尊重したが、語呂のために語義を無視するようなことはしなかっ

た。

 

     ★

 

 附録とした「失われた毒薬」は、今はそのテキストが分らない。これは大正も末の頃、或

る日小林秀雄が大学の図書館か何処かから、写して来たものを私が訳したものだ。とにか

く未発表詩として、その頃出たフランスの雑誌か、それともやはりその頃出たランボーに関

する研究書の中から、小林が書抜いて来たのであった、ことは覚えている。――テキストを

御存知の方があったら、何卒御一報下さる様お願します。

 

     ★

 

 いったいランボーの思想とは?――簡単に云おう。パイヤン(異教徒)の思想だ。彼はそ

れを確信していた。彼にとって基督教とは、多分一牧歌としての価値を有っていた。

 

 そういう彼にはもはや信憑すべきものとして、感性的陶酔以外には何にもなかった筈だ。

その陶酔を発想するということもはや殆んど問題ではなかったろう。その陶酔は全一で、

「地獄の季節」の中であんなにガンガン云っていることも、要するにその陶酔の全一性とい

うことが全ての全てで、他のことはもうとるに足りぬ、而も人類とは如何にそのとるに足り

ぬことにかかずらっていることだろう、ということに他ならぬ。

 

繻子の色した深紅の燠よ、

それそのおまえと燃えていれあ

義務(つとめ)はすむというものだ、

 

 つまり彼には感性的陶酔が、全然新しい人類史を生むべきであると見える程、忘れられ

てはいるが貴重なものであると思われた。彼の悲劇も喜劇も、恐らくは茲に発した。

 

 所で、人類は「食うため」には感性上のことなんか犠牲にしている。ランボーの思想は、

だから嫌われはしないまでも容れられはしまい。勿論夢というものは、容れられないからと

いって意義を減ずるものでもない。然しランボーの夢たるや、なんと容れられ難いものだろ

う!

 

 云換れば、ランボーの洞見したものは、結局「生の原型」というべきもので、謂わば凡ゆ

る風俗凡ゆる習慣以前の生の原理であり、それを一度洞見した以上、忘れられもしないが

又表現することも出来ない、恰(あたか)も在るには在るが行き道の分らなくなった宝島の

如きものである。

 

 もし曲りなりにも行き道があるとすれば、やっとヴェルレーヌ風の楽天主義があるくらいのも

ので、つまりランボーの夢を、謂わばランボーよりもうんと無頓着に夢みる道なのだが、勿

論、それにしてもその夢は容れられはしない。唯ヴェルレーヌには、謂わば夢みる生活が始ま

るのだが、ランボーでは、夢は夢であって遂に生活とは甚だ別個のことでしかなかった。

 

 ランボーの一生が、恐ろしく急テンポな悲劇であったのも、恐らくこういう所からである。

 

     ★

 

 終りに、訳出のその折々に、教示を乞うた小林秀雄、中島健蔵、今日出海の諸兄に、厚

く御礼を申述べておく。

 

〔昭和12年8月21日〕

 

(「新編中原中也全集」第3巻「翻訳」より。新かな、洋数字に変えました。編者。)

 

 

ランボーの思想は

パイヤン(異教徒)の思想だ。

――と見抜いた有名な一節が書かれ

つづいてそれを補強する中に

ベルレーヌは現われます。

 

「ランボー詩集」のこの後記は

昭和12年(1937年)8月21日に書かれました。

 

続いて書かれた「在りし日の歌」の後記には

1937年9月23日の日付があります。

 

中也は

この二つの後記を書いてまもなくの10月22日に亡くなります。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

2018年7月 6日 (金)

中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/ベルレーヌとランボー

 

 

ここで

中原中也がベルレーヌの翻訳にどのように取り組んだか

ざっと見ておきましょう。

 

といっても

全集の目次に目を通すくらいのことですが。

 

 

ランボーの翻訳が

ランボオ詩集<学校時代の詩>

ランボオ詩集

――と詩(韻文)のほとんどに渡ったのに比べれば

ベルレーヌの詩の翻訳で

生前に公開したものは一つもありません。

 

翻訳に取り組まなかったわけではありませんが

公開するまでに至らなかった作品が幾つかあります。

 

「未発表翻訳詩篇」として、

Never More

Ⅳ(われ等物事に寛大でありましょう)

Ⅴ(たをやけき手の接唇くるそのピアノ)

木馬

――の4作があります。

 

ⅣとⅤは

「言葉なき恋歌」の第1詩群「忘れられた小曲」の第4番、第5番のことです。

 

中原中也が原典としたメッサン版ヴェルレーヌ全集では

「忘れられた小曲」の章が立てられていなかったため

このように表記しています。

 

( )で冒頭行を示し

タイトルの代わりにしています。

 

このほかに

完成されなかった草稿に

序曲

――の1作がありますから

ベルレーヌの詩(韻文)の翻訳は

合計で5件ということになります。

 

 

散文で生前に発表したもの(生前発表翻訳散文)は

トリスタン・コルビエール

ポーヴル・レリアン

――の2件。

 

生前に発表していない散文は

アルチュル・ランボオ

ルイーズ・ルクレルク

――の2件です。

 

詩も散文も

いかにも少ないことがわかりますが

「ポーヴル・レリアン」は

ベルレーヌが自らの名を隠して評論した自伝のようなものですし

「アルチュル・ランボオ」もランボーの小伝のようなものですから

両詩人の輪郭をつかもうとした

中原中也の戦略が見えます。

 

 

ランボーとベルレーヌの関係については

フランス文学者、鈴木信太郎が記している次の案内は

今でも古びれずに通用するものでしょう。

 

鈴木信太郎は、

 

この天才詩人は忽ちヴェルレエヌを幻惑してしまった。翌年二人は相携えて巴里を出奔し

た。英国に白耳義に北仏に転々とするうち、終いにブリュッセルに於いてランボオに拳銃を

発射し、ヴェルレエヌは約1ヶ年半の監獄生活を送り、妻とは別居の後離婚しなければなら

なかった。詩人の一生は全くこの少年のために蹂躙されたのであった。

 

 併しながらヴェルレエヌの詩は、この天才との邂逅によって、始めて完全な光輝を発した

のであった。文学的影響は、詩人ヴェルレエヌから少年に及んだのではなくて、全くその逆

であった。ランボオが彼に新しい思考と感覚との世界を開き、宇宙の底を独特の視覚に

よって見透す方法を強要したのであった。

 

――などと「ヴェルレエヌ詩集」(岩波文庫、1952年初版)の

巻末付録「ポオル・ヴェルレエヌについて」の中に記録しています。

 

ベルレーヌがランボーに教わったことは

まことに多大でした。

 

 

中原中也が

鈴木信太郎からランボーとベルレーヌの関係を

直接聞き及んだかどうか

実際のところは確認されていないようですが

小林秀雄や河上徹太郎らを通じたりして

ランボー像の伝説的な輪郭は

早い時期につかんでいたことでしょう。

 

ランボーはあんなに歌が切れた

ベルレーヌがいて安心だったからだ

――という感想を

中也が書いたのは

昭和2年(1927年)でした。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

2018年7月 4日 (水)

中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「放浪者」

 

 

雨は 今宵(こよい)も 昔 ながらに、

  昔 ながらの 唄を うたってる。

だらだら だらだら しつこい 程だ。

  と、見る ヴェル氏の あの図体(ずうたい)が、

倉庫の 間の 路次(ろじ)を ゆくのだ。

 

――と中原中也が歌ったベルレーヌの後姿は

ランボーがベルレーヌを見るまなざしか

それとも中也のまなざしか。

 

イングランドの夜更けの街を

ずぶ濡れで先を行くベルレーヌを

ランボーが追いかけて歩く姿を描写しますが

ベルレーヌを見るそのまなざしは

中原中也のまなざしのようでもあります。

 

中也は

ランボーの位置に身を置いて

ベルレーヌの後姿を眺めていますから

「夜更の雨」には

まるで3人の詩人のまなざしが存在します。

 

 

放浪者

 

 憫れな兄貴だ。奴の御蔭で、何という耐え難い不眠の夜を、幾夜となく過したことか。『こ

の計画をしっかりと俺は掴んでいなかったのだ。俺は、兄貴の弱点を弄(もてあそ)んでい

た。俺の見込違いから、二人は流浪の身に、奴隷の身分に、成り果てるかも知れない

ぞ。』 兄貴は俺のことを、世にも奇怪な、不運で無邪気な奴と極め付けて、おぼつかない

理屈をくだくだ並べたてた。

 

 俺は、この悪魔博士に冷笑しながら返答していたが、揚句のはては窓際に立つのが落

(おち)だ。俺は、類稀なる音楽の楽隊に貫かれた平野の彼方に、夜の未来の栄耀の幻を

創造していたのだ。

 

 この漠然と衛生的な気晴らしの後、俺は、藁蒲団の上に横になる。すると、殆ど毎夜、

眠ったかと思うと、憫れな兄貴は起き上り、口は汚(よご)れ、眼玉は飛び出し、――夢でも

見ていたのか、――俺を部屋の中に引摺り出して、白痴のような悲哀の夢を喚き立てるの

だ。

 

 実際俺は、心から真面目に、兄貴を“太陽”の子の原始の姿に、連れ返してやろうと請

合っていたのであった。――そして二人は、洞窟の酒をのみ街道のビスケットを嚙って、放

浪した、俺はと言えば、空間と公式とを見出そうとあせりながら。

 

(人文書院「ランボオ全集」第2巻より。昭和28年発行。新かなに変え、改行を加えまし

た。編者。)

 

 

「イルミナシオン」に収録されてあるこの詩は

ランボーがベルレーヌのことを歌った詩として

あまりにも有名ですね。

 

これは小林秀雄と鈴木信太郎の

共同翻訳です。

 

ランボーがベルレーヌをあわれな兄貴と言うのは

やっかいだが愛すべき友だちというニュアンスがあったでしょうか。

 

2人のバガボンド(放浪者)には

互いに相手に求め合うものがあったということです。

 

 

中原中也も昭和の初め

バガボンドでありました。

 

中也が

「放浪者」をいつ読んだか特定できませんが

これもまた早い時期であったことが想像できます。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2018年7月 1日 (日)

中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「帰郷」とベルレーヌ「叡智」

 

 

「帰郷」が

ベルレーヌの「叡智」を参照しているであろうことは

多くの中也ファンの知るところでしょう。

 

中原中也は

メッサン版「ヴェルレーヌ全集」第1巻を

大正15年(1926年)5月に購入しています。

 

同年1月に

第2次ベリション版「ランボー著作集」を購入したのに

引き続いて。

 

 

「叡智」を中原中也が翻訳した形跡はないようですが

フランス語を学習しはじめて

かなり早い時期に接したことが推測されます。

 

これを河上徹太郎の訳で

読んでみましょう。

 

 

叡智 Ⅲ-6

 

空は屋根の彼方で

  あんなに青く、あんなに静かに、

樹は屋根の彼方で

  枝を揺がす。

 

鐘はあすこの空で、

  やさしく鳴る。

鳥はあすこの樹で、

  悲しく歌う。

 

あゝ神様、これが人生です、

  卑ましく静かです。

あの平和な物音は

街(まち)から来ます。

 

――どうしたのだ? お前は又、

  涙ばかり流して?

さあ、一体どうしたのだ、

  お前の青春は?

 

(河上徹太郎訳、ポール=マリー・ヴェルレーヌ「叡智」より。新潮文庫。)

 

 

最終連の問いかけは

自身へ向かうものですが

中原中也は

それを風に言わせています。

 

あゝ おまえはなにをして来たのだと……

吹き来る風が私に云う

――と。

 

 

「叡智」の中のこの詩「Ⅲ-6」は

「少年時」の章の「木蔭」にも反響しているようです。

 

第1連、

神社の鳥居が光をうけて

楡(にれ)の葉が小さく揺すれる

夏の昼の青々した木蔭(こかげ)は

私の後悔を宥(なだ)めてくれる

 

――の青々とした木蔭は

「叡知」の

あんなに青く

枝を揺るがす景色を反映します。

 

 

ベルレーヌは

ブリュッセルでランボーを銃撃した罪で

1年半の間、モンスの監獄に囚われの身となり

この獄中で「叡智」は書かれたそうです。

 

深い後悔の感情が

中也にあっては

失われた青春への慚愧の思いに重なりました。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

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