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2018年7月 4日 (水)

中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「放浪者」

 

 

雨は 今宵(こよい)も 昔 ながらに、

  昔 ながらの 唄を うたってる。

だらだら だらだら しつこい 程だ。

  と、見る ヴェル氏の あの図体(ずうたい)が、

倉庫の 間の 路次(ろじ)を ゆくのだ。

 

――と中原中也が歌ったベルレーヌの後姿は

ランボーがベルレーヌを見るまなざしか

それとも中也のまなざしか。

 

イングランドの夜更けの街を

ずぶ濡れで先を行くベルレーヌを

ランボーが追いかけて歩く姿を描写しますが

ベルレーヌを見るそのまなざしは

中原中也のまなざしのようでもあります。

 

中也は

ランボーの位置に身を置いて

ベルレーヌの後姿を眺めていますから

「夜更の雨」には

まるで3人の詩人のまなざしが存在します。

 

 

放浪者

 

 憫れな兄貴だ。奴の御蔭で、何という耐え難い不眠の夜を、幾夜となく過したことか。『こ

の計画をしっかりと俺は掴んでいなかったのだ。俺は、兄貴の弱点を弄(もてあそ)んでい

た。俺の見込違いから、二人は流浪の身に、奴隷の身分に、成り果てるかも知れない

ぞ。』 兄貴は俺のことを、世にも奇怪な、不運で無邪気な奴と極め付けて、おぼつかない

理屈をくだくだ並べたてた。

 

 俺は、この悪魔博士に冷笑しながら返答していたが、揚句のはては窓際に立つのが落

(おち)だ。俺は、類稀なる音楽の楽隊に貫かれた平野の彼方に、夜の未来の栄耀の幻を

創造していたのだ。

 

 この漠然と衛生的な気晴らしの後、俺は、藁蒲団の上に横になる。すると、殆ど毎夜、

眠ったかと思うと、憫れな兄貴は起き上り、口は汚(よご)れ、眼玉は飛び出し、――夢でも

見ていたのか、――俺を部屋の中に引摺り出して、白痴のような悲哀の夢を喚き立てるの

だ。

 

 実際俺は、心から真面目に、兄貴を“太陽”の子の原始の姿に、連れ返してやろうと請

合っていたのであった。――そして二人は、洞窟の酒をのみ街道のビスケットを嚙って、放

浪した、俺はと言えば、空間と公式とを見出そうとあせりながら。

 

(人文書院「ランボオ全集」第2巻より。昭和28年発行。新かなに変え、改行を加えまし

た。編者。)

 

 

「イルミナシオン」に収録されてあるこの詩は

ランボーがベルレーヌのことを歌った詩として

あまりにも有名ですね。

 

これは小林秀雄と鈴木信太郎の

共同翻訳です。

 

ランボーがベルレーヌをあわれな兄貴と言うのは

やっかいだが愛すべき友だちというニュアンスがあったでしょうか。

 

2人のバガボンド(放浪者)には

互いに相手に求め合うものがあったということです。

 

 

中原中也も昭和の初め

バガボンドでありました。

 

中也が

「放浪者」をいつ読んだか特定できませんが

これもまた早い時期であったことが想像できます。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

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