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2018年7月22日 (日)

中原中也・詩の宝島/ベルレーヌーの足跡(あしあと)/「アルテュル・ランボオ」その3「夕の辞」

 

中原中也が訳したランボーの詩は

「母音」

「夕の辞」

「坐せる奴等」

――の3作ですが

ベルレーヌの原作はこの他に

「びっくり仰天している子ら」

「虱をとる女たち」

「酔っぱらった船」

――の全行、

「初聖体拝領」

「パリは再び大賑わい」

「永遠」

――の一部があります。

(「新編中原中也全集」第3巻「翻訳・解題篇」。)

 

この選択は

ベルレーヌが記すように

ランボーの初期作品から文学と訣別するまでの

全期間を対象にした結果です。



継続して不足分への言及を

ベルレーヌは構想していたのかもしれません。

 

ランボーの人と作品を

ベルレーヌほどに親しく知っている存在は少なかったのですから

障害事件を起こした過去がありながらも

ベルレーヌによるランボーの紹介は

適役であったのですし

必然的であり

運命的でありました。

 

 

風貌や性格の描写は

ベルレーヌにしかできないような

繊細で優しい眼差しで簡潔的確に捉えられています。

 

 大きい、骨組のしっかりした、殆ど運動家のようで、完全に楕円形のその顔は追放の天

使のようであった。並びのわるい明褐色の髪をもち、蒼ざめた碧眼は気遣わし気に見え

た。

――という記述は

その上、中原中也の言語意識(技術)が

素描(翻訳)したものでした。

 

ランボーは運動家でした。

 

それは、

 アルデンヌ生れの彼は、その綺麗な訛を忽ちに失くしたばかりか、アルデンヌ人らしい速

かな同化力を以て巴里語を駆使した。

――という素描にも及んでいます。

 

 

「訳稿A」「訳稿B」を読んで

すぐさま気づくことの一つに

ここで引用された詩の翻訳と

中原中也のランボー翻訳の集大成である

「ランボオ詩集」中の同一詩との違いです。

 

例えば「夕の辞」は

「ランボオ詩集」ではこうなります。

 



夕べの辞

 

私は坐りっきりだった、理髪師の手をせる天使そのままに、

丸溝のくっきり付いたビールのコップを手に持ちて、

下腹突き出し頸反らし陶土のパイプを口にして、

まるで平(たいら)とさえみえる、荒模様なる空の下。

 

古き鳩舎に煮えかえる鳥糞(うんこ)の如く、

数々の夢は私の胸に燃え、徐かに焦げて。

やがて私のやさしい心は、沈欝にして生々(なまなま)し

溶(とろ)けた金のまみれつく液汁木質さながらだった。

 

さて、夢を、細心もって嚥(の)み下し、

身を転じ、――ビール3、40杯を飲んだので

尿意遂げんとこころをあつめる。

 

しとやかに、排香草(ヒソウ)や杉にかこまれし天主の如く、

いよ高くいよ遐(とお)く、褐色の空には向けて放尿す、

――大いなる、ヘリオトロープにうべなわれ。

 

(「新編中原中也全集」第3巻「翻訳」より。新かな、洋数字に変えました。編者。)



 

読み比べるために

「アルテュル・ランボオ」中の翻訳も

もう一度ここに載せましょう。

 

 

     夕の弁

 

我は理髪師の手もてる天使の如く座してありき、

深き丸溝あるビールのコップを手に持ちて、

小腹と首をつん反(ぞ)らせ、ギャムビエを歯に、

ふくよかに風孕む帆が下に。

 

古き鳩舎の火照りある糞のごと

千の夢は、我をやさいく焦がしたり。

と忽ちに、我が哀しき心、熔けたる

暗き黄金の血を流す 白木質となれりけり。

 

軈(やが)て我、細心をもて我が夢を呑み下せしに、

惑乱す、数十杯のビール傾け、

扨入念す、辛き心を浚はむと。

 

やさしさ、杉とヒップの主の如く、

いや高くいや遠き褐の空向け放尿す、

大いなるヘリオトロープにあやかりて。

(同。)

 

途中ですが

今回はここまで。

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