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2018年7月19日 (木)

中原中也・詩の宝島/ベルレーヌーの足跡(あしあと)/「アルテュル・ランボオ」その1

 

 

中原中也は

ベルレーヌの「呪われた詩人たち」に収められた

「アルチュール・ランボー」を翻訳しています。

 

ベルレーヌのランボー論を訳すことで

ベルレーヌとはどんな人物で

ランボーをどのように捉えていたのか

なによりもどんな詩を書いた詩人だったかを知るための

基礎的な情報(アウトライン)を得ようとしたのでしょう。

 

 

ランボーの足跡を

「山羊の歌」の「初期詩篇」から

第2章の「少年時」にたどってきましたが

必然的に出会うことになったベルレーヌの足跡を

ここでじっくりと中原中也の詩や翻訳の中に追いかけましょう。

 

 

アルテュル・ランボオ

 

      ポール・ヴェルレーヌ

 

(訳稿A)

 

 私はアルテュル・ランボオを知るの喜びを持っている。今日、様々の瑣事は、私を彼から

遠ざけている。尤も、彼が天才及び性格に対する私の嘆賞は、1日として欠けたことはな

いのだが。

 

 私達の親交の少し前、アルテュル・ランボオが16、7才であった頃、既に彼は、公衆が知

り、私などが出来る限り引証し解説してやるべき詩籠を所持していた。

 

 大きい、骨組のしっかりした、殆ど運動家のようで、完全に楕円形のその顔は追放の天

使のようであった。並びのわるい明褐色の髪をもち、蒼ざめた碧眼は気遣わし気に見え

た。

 

 アルデンヌ生れの彼は、その綺麗な訛を忽ちに失くしたばかりか、アルデンヌ人らしい速

かな同化力を以て巴里語を駆使した。

 

 私はまず、アルテュル・ランボオの初期の作品、いとも早熟な彼が青年期の作品に就い

て考えてみよう、――気高い腺疫、奇跡的発情の彼が青春時!――その後で彼のその烈

しい精神が、文学的終焉をみる迄の様々な発展を調べることとしよう。

 

 偖(さて)、前言すべき一事がある。というは、若し此の一文が偶然にも彼の目に止るとす

るならば、アルテュル・ランボオは、私が人間行為の動機を批議する者でなく、又私が彼に

対する全き是認(私達の悲劇に就いても同様)は、彼が詩を放棄したということに対しても

可及するものと諒察するであろう。お疑いならないとなら云うが、この放棄は、彼にあって

は論理的で正直で必要なことであったのです。

 

 ランボオの作品は、その極度の青春時、1869、70、71年を終るに当っては、もはや沢

山であって、敬すべき一巻の書を成していた。それは概して短い詩を含む書である。14行

詩、8行詩、4、5乃至6行を一節とする詩。彼は決して平板な韻は踏まなかった。しっかり

した構え、時には凝ってさえいる詩。気儘な句読は稀であり、句の“跨り”は一層稀である。

語の選択は何時も粋で、趣向に於ては偶々学者ぶる。語法は判然としていて、観念が濃く

なり、感覚が深まる時にも猶明快である。加之(のみならず)謂うべきその韻律。

 

 次の14行詩こそそれらのことを証明しよう。

 

     母 音

 

A黒、E白、I赤、U緑、O青、母音達よ、

私は語るだろう、何時の日か汝等が隠密の由来を。

A、黒、光る蠅で毛むくじゃらの胸部

むごたらしい悪臭のめぐりに跳び廻る、

暗き入海。E、気鬱と陣営の稚淳、

投げられし誇りかの氷塊、真白の王、繖形花の顫え。

I、緋色、喀かれし血、美しき脣々の笑い――

怒りの裡、悔悛の熱意の裡になされたる。

 

U、天の循環、蒼寒い海のはしけやし神々しさ、

獣ら散在せる牧場の平和、錬金道士が

真摯なる大きい額に刻んだ皺の平和。

 

O、擘(つんざ)く音の至上の軍用喇叭、

人界と天界を横ぎる沈黙(しじま)

――おお いやはてよ、菫と閃く天使の眸よ!

 

 アルテュル・ランボオの美神は、すべての調子をとって用いた。竪琴の全和絃、ギタアの

全和絃をかなで、胡弓の弓は宛(さなが)ら自分自身であるよう敏捷に奏せられた。

 

 ランボオが愚弄家、嘲弄家と見えるのはその時である。彼が愚弄家嘲弄家の親玉たる

時こそ、彼が神の手になる大詩人たる時である。

 

 見よ、「夕(ゆうべ)の弁」と「座セル奴等」を、その前に跪くべく。

 

     夕の弁

 

我は理髪師の手もてる天使の如く座してありき、

深き丸溝あるビールのコップを手に持ちて、

小腹と首をつん反(ぞ)らせ、ギャムビエを歯に、

ふくよかに風孕む帆が下に。

 

古き鳩舎の火照りある糞のごと

千の夢は、我をやさいく焦がしたり。

と忽ちに、我が哀しき心、熔けたる

暗き黄金の血を流す 白木質となれりけり。

 

軈(やが)て我、細心をもて我が夢を呑み下せしに、

惑乱す、数十杯のビール傾け、

扨入念す、辛き心を浚はむと。

 

やさしさ、杉とヒップの主の如く、

いや高くいや遠き褐の空向け放尿す、

大いなるヘリオトロープにあやかりて。

 

(「新編中原中也全集」第3巻「翻訳」より。新かな、洋数字に変え、改行を加えました。編

者。)

 

 

ここまでが「訳稿A」として整理された

前半部分です。

 

今回は

目を通すだけにとどめ

このあたりまでにしておきましょう。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

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