中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「永遠 Éternité」
中原中也が訳した「ランボオ詩集」の後記に
繻子の肌した深紅の燠よ、
それそのおまへと燃えてゐれあ
義務(つとめ)はすむといふものだ、
――と引用された詩行は
ランボーの詩「永遠 Éternité」の第5連です。
この詩を何故
中也は引いたのでしょうか。
その意図を
明確に理解するためには
この詩の全行を読むに限ります。
◇
永遠
また見付かった。
何がだ? 永遠。
去(い)ってしまった海のことさあ
太陽もろとも去(い)ってしまった。
見張番の魂よ、
白状しようぜ
空無な夜(よ)に就き
燃ゆる日に就き。
人間共の配慮から、
世間共通(ならし)の逆上(のぼせ)から、
おまえはさっさと手を切って
飛んでゆくべし……
もとより希望があるものか、
願いの条(すじ)があるものか
黙って黙って勘忍して……
苦痛なんざあ覚悟の前。
繻子(しゅす)の肌した深紅の燠(おき)よ、
それそのおまえと燃えていりゃあ
義務(つとめ)はすむというものだ
やれやれという暇もなく。
また見付かった。
何がだ? 永遠。
去(い)ってしまった海のことさあ
太陽もろとも去(い)ってしまった。
(「新編中原中也全集」第3巻「翻訳」より。新かなに変えました。編者。)
◇
「地獄の季節」中の「言葉の錬金術」の章には
ランボーの傑作中の傑作が
選(よ)りに選(よ)られて引用され
圧巻、壮観の様相を呈していますが
「永遠」も
この壮観さを構成する詩の一つとして登場します。
中也が「地獄の季節」の翻訳に取り組まなかったのには
小林秀雄との役割分担とか
住み分けとか
様々な解釈があるようですが
「地獄の季節」を読まなかったということではありません。
小林秀雄が京都滞在中の富永太郎に
初めて「地獄の季節」に触れた衝撃を伝えた
1925年(大正14年)に
富永の興奮を通じて中原中也も
「地獄の季節」の存在を知った可能性は高く
以来、中也の関心がランボーに向かう中で
「地獄の季節」を読む機会は何度もあったはずでした。
ベリション版ランボー著作集を入手した
1926年(大正15年)1月以後
幾度となく「地獄の季節」のページをめくったであろうことを
想像するのは難(かた)くありません。
以来、ランボーの幸福論あるいは幸福観といったものへ
中也の関心のまなざしは向けられました。
◇
「永遠」は
「地獄の季節」に引用されてあるばかりでなく
「飾画篇」にも収録されていました。
ランボーを原詩で読みはじめ
「ランボオ詩集」の翻訳を完成し
後記を記すまでのおよそ10余年
ランボーの詩は
常に中原中也の傍らにありましたから
「飾画篇」の「永遠」には
何度も触れていました。
◇
また見付かった。
何がだ? 永遠。
去(い)ってしまった海のことさあ
太陽もろとも去(い)ってしまった。
――という詩行の
目の眩(くら)むようなビジョンの
巨大なスケール!
海の向こうに太陽が消える光景のようですが
映像ばかりか
人間のつぶやきか
ダイアローグ(対話)かを思わせる親近感とともに
海それ自体の声が聞こえるような
神々しくもあるこの荘厳さは
いったいなんでしょう。
海が行ってしまう、とは!
ランボーが捉えた永遠のなかに
僕たちもいる気分です。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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