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2018年7月15日 (日)

中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「永遠 Éternité」

 

 

中原中也が訳した「ランボオ詩集」の後記に

繻子の肌した深紅の燠よ、

それそのおまへと燃えてゐれあ

義務(つとめ)はすむといふものだ、

――と引用された詩行は

ランボーの詩「永遠 Éternité」の第5連です。

 

この詩を何故

中也は引いたのでしょうか。

 

その意図を

明確に理解するためには

この詩の全行を読むに限ります。

 

 

永遠

 

また見付かった。

何がだ? 永遠。

去(い)ってしまった海のことさあ

太陽もろとも去(い)ってしまった。

 

見張番の魂よ、

白状しようぜ

空無な夜(よ)に就き

燃ゆる日に就き。

 

人間共の配慮から、

世間共通(ならし)の逆上(のぼせ)から、

おまえはさっさと手を切って

飛んでゆくべし……

 

もとより希望があるものか、

願いの条(すじ)があるものか

黙って黙って勘忍して……

苦痛なんざあ覚悟の前。

 

繻子(しゅす)の肌した深紅の燠(おき)よ、

それそのおまえと燃えていりゃあ

義務(つとめ)はすむというものだ

やれやれという暇もなく。

 

また見付かった。

何がだ? 永遠。

去(い)ってしまった海のことさあ

太陽もろとも去(い)ってしまった。

 

(「新編中原中也全集」第3巻「翻訳」より。新かなに変えました。編者。)

 

 

「地獄の季節」中の「言葉の錬金術」の章には

ランボーの傑作中の傑作が

選(よ)りに選(よ)られて引用され

圧巻、壮観の様相を呈していますが

「永遠」も

この壮観さを構成する詩の一つとして登場します。

 

中也が「地獄の季節」の翻訳に取り組まなかったのには

小林秀雄との役割分担とか

住み分けとか

様々な解釈があるようですが

「地獄の季節」を読まなかったということではありません。

 

小林秀雄が京都滞在中の富永太郎に

初めて「地獄の季節」に触れた衝撃を伝えた

1925年(大正14年)に

富永の興奮を通じて中原中也も

「地獄の季節」の存在を知った可能性は高く

以来、中也の関心がランボーに向かう中で

「地獄の季節」を読む機会は何度もあったはずでした。

 

ベリション版ランボー著作集を入手した

1926年(大正15年)1月以後

幾度となく「地獄の季節」のページをめくったであろうことを

想像するのは難(かた)くありません。

 

以来、ランボーの幸福論あるいは幸福観といったものへ

中也の関心のまなざしは向けられました。

 

 

「永遠」は

「地獄の季節」に引用されてあるばかりでなく

「飾画篇」にも収録されていました。

 

ランボーを原詩で読みはじめ

「ランボオ詩集」の翻訳を完成し

後記を記すまでのおよそ10余年

ランボーの詩は

常に中原中也の傍らにありましたから

「飾画篇」の「永遠」には

何度も触れていました。

 

 

また見付かった。

何がだ? 永遠。

去(い)ってしまった海のことさあ

太陽もろとも去(い)ってしまった。

 

――という詩行の

目の眩(くら)むようなビジョンの

巨大なスケール!

 

海の向こうに太陽が消える光景のようですが

映像ばかりか

人間のつぶやきか

ダイアローグ(対話)かを思わせる親近感とともに

海それ自体の声が聞こえるような

神々しくもあるこの荘厳さは

いったいなんでしょう。

 

海が行ってしまう、とは!

 

ランボーが捉えた永遠のなかに

僕たちもいる気分です。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

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