中原中也・詩の宝島/ベルレーヌの足跡(あしあと)/「アルテュル・ランボオ」その5「坐せる奴等」
中原中也が訳した
ベルレーヌの「アルテュル・ランボオ」中の「坐せる奴等」は
1934年に「苑」という雑誌に独立した翻訳として発表され
「坐った奴等」となりました。
後に「ランボオ詩集」に収録されたときにも手を加えられますから
3度の推敲を経たことになります。
旧訳(第1、第2次形態)と新訳(第3次形態)の関係になりますから
こちらにも目を通しておきましょう。
◇
坐せる奴等
狼の暗愁、緑の指環を留めた眼、
腰に当てられ縮(ちぢ)かみ膨れた奴等の指、
古壁の癩を病む開花の如く
乱れた旋毛(つむじ)の奴等の頭、
奴等は癲癇に罹った情愛の中に奴等の椅子の
大きい骨組のように奇妙な骨格を接木した。
奴等はその佝僂(くる)な木柵のような脚を
朝でも夕方でも組んでいる。
これ等老ぼれ達は何時も椅子で編物をしている、
活発なお日様が奴等の皮膚に沁みいるのを感じながら、
或は、その上で雪の溶けつつある硝子のような奴等の眼を、
蟇蛙の傷ましき戦慄もて震撼されながら。
椅子は奴等に親切なもんだ、茶っぽくなって、
藁芯は奴等の腰の角度どおりに曲っている。
過ぎし日の太陽の霊は、穀粒がウズウズする
穂積の中にくるまれて明るんでいる。
して奴等は、膝を歯に、ピアニストさながら、
太鼓のようにガサツク椅子の下に十の指をやり、
わびしげな舟歌をしんねりむっつり聴いている、
そして頭は愛のたゆたいにゆれだす。
おお! 奴等を呼ぶな! 呼びでもすりゃあ大変だ……
彼等は昂然として擲られた猫のように唸りだす、
徐(おもむ)ろに肩をいからせながら、おお桑原々々!
ズボンまでが腰のまわりに膨らむだろう。
そして君は聞くだろう、奴等が禿げ頭を
暗い壁に打ちつけるのを、曲がった足をジタバタしながら、
奴等の服のボタンは鹿ノ子色の瞳のようで
廊下のどんづまりみたいな視線を君は投げかけられる!
いったい奴等は人を刺す目に見えない手を持っている……
ひっ返す時に、奴等の濾過器のような視線・黒い悪意は
打たれた牝犬の嘆かわしげな眼をしている、
君は狂暴な漏斗の中に吸込まれたようでがっかりする。
再び着席して、汚れたカフスの中に拳をひっこめて、
奴等は奴等を呼び起した者のことを考えている
そして、夕焼のような奴等の咽喉豆が
か弱い顎の下で刳(えぐ)られるように動くのを覚える。
はげしい睡気がきざす時、
奴等は結構な椅子の上で夢みる、
ほんに可愛いい布縁の椅子のことを
立派な事務室にその椅子が並べられたところを。
インクの花は花粉の点々と跳ねっかし
蹲った臍に沿って水仙菖(すいせんあやめ)の繊維のように
蜻蛉の飛行のように奴等をこそぐる、
――そして奴等の手は頬鬚に突かれていじもじする。
(「新編中原中也全集」第3巻「翻訳」より。新かなに変えました。編者。)
◇
これが
1929年末~1930年初頭の翻訳(第1次形態)です。
「アルテュル・ランボオ」中のこの詩は
未完成、未公開の翻訳であることを
銘記して読まねばなりません。
そうであっても、
わびしげな舟歌をしんねりむっつり聴いている、
そして頭は愛のたゆたいにゆれだす。
――といったところや
最終連の、
奴等の手が頬髯(ほおひげ)に突かれていじもじする
――などの訳には
中原中也が生き生きと姿を見せます。
ランボーにより近づこうとした中也の格闘が
彷彿としてきます。
◇
坐った奴等
肉瘤(こぶ)で黒くて痘瘡(あばた)あり、緑(あお)い指環を嵌めたよなその眼(まなこ)、
すくんだ指は腰骨のあたりにしょんぼりちぢかんで、
古壁に、漲る瘡蓋(かさぶた)模様のように、前頭部には、
ぼんやりとした、気六ヶ敷さを貼り付けて。
恐ろしく夢中な恋のその時に、彼等は可笑しな体躯(からだ)をば、
彼等の椅子の、黒い大きい骨組に接木(つぎき)したのでありました。
枉がった木杭さながらの彼等の足は、夜(よる)となく
昼となく組み合わされてはおりまする!
これら老爺(じじい)は何時もかも、椅子に腰掛け編物し、
強い日射しがチクチクと皮膚を刺すのを感じます、
そんな時、雪が硝子にしぼむよな、彼等のお眼(めめ)は
蟇(ひきがえる)の、いたわし顫動(ふるえ)にふるいます。
さてその椅子は、彼等に甚だ親切で、褐(かち)に燻(いぶ)され、
詰藁は、彼等のお尻の形(かた)なりになっているのでございます。
甞て照らせし日輪は、甞ての日、その尖に穀粒さやぎし詰藁の
中にくるまり今も猶、燃(とも)っているのでございます。
さて奴等、膝を立て、元気盛んなピアニスト?
十(じゅう)の指(および)は椅子の下、ぱたりぱたりと弾(たた)きますれば、
かなし船唄ひたひたと、聞こえ来るよな思いにて、
さてこそ奴等の頭(おつむり)は、恋々として横に揺れ。
さればこそ、奴等をば、起(た)たさうなぞとは思いめさるな……
それこそは、横面(よこづら)はられた猫のよう、唸りを発し、湧き上り、
おもむろに、肩をばいからせ、おそろしや、
彼等の穿けるズボンさえ、むッくむッくとふくれます。
さて彼等、禿げた頭を壁に向け、
打衝(ぶちあ)てるのが聞こえます、枉がった足をふんばって
彼等の服の釦(ボタン)こそ、鹿ノ子の色の瞳にて
それは廊下のどんづまり、みたいな眼付で睨めます。
彼等にはまた人殺す、見えないお手(てて)がありまして、
引っ込めがてには彼等の眼(め)、打たれた犬のいたいたし
眼付を想わすどす黒い、悪意を滲(にじ)み出させます。
諸君はゾッとするでしょう、恐ろし漏斗に吸込まれたかと。
再び坐れば、汚ないカフスに半ば隠れた拳固(げんこ)して、
起(た)たそうとした人のこと、とつくり思いめぐらします。
と、貧しげな顎の下、夕映(ゆうばえ)や、扁桃腺の色をして、
ぐるりぐるりと、ハチきれそうにうごきます。
やがてして、ひどい睡気が、彼等をこっくりさせる時、
腕敷いて、彼等は夢みる、結構な椅子のこと。
ほんに可愛いい愛情もって、お役所の立派な室(へや)に、
ずらり並んだ房の下がった椅子のこと。
インキの泡がはねッかす、句点(コンマ)の形の花粉等は、
水仙菖の線真似る、蜻蛉(とんぼ)の飛行の如くにも
彼等のお臍のまわりにて、彼等をあやし眠らする。
――さて彼等、腕をもじもじさせまする。髭がチクチクするのです。
(同。)
◇
これが最終形態で
「ランボオ詩集」に収められた翻訳です。
最終連だけを見るだけで
詩行が整えられた跡が
くっきり見えます。
第1次形態は――、
インクの花は花粉の点々と跳ねっかし
蹲った臍に沿って水仙菖(すいせんあやめ)の繊維のように
蜻蛉の飛行のように奴等をこそぐる、
――そして奴等の手は頬鬚に突かれていじもじする。
第3次形態は――、
インキの泡がはねッかす、句点(コンマ)の形の花粉等は、
水仙菖の線真似る、蜻蛉(とんぼ)の飛行の如くにも
彼等のお臍のまわりにて、彼等をあやし眠らする。
――さて彼等、腕をもじもじさせまする。髭がチクチクするのです。
◇
ランボーを知っておよそ10年。
詩と詩人への親近度が深まり
翻訳も深化したことがわかります。
◇
ベルレーヌはこの詩を、
いともロジックな終りの章、
かくも嬉々として果断な章
――と断言し
読者は、今やイロニイの力、此の詩人が恐るべき言葉の力
それよ、此の詩人が我々に考慮すべく残したものは、
かのいと高き賜物、至上の賜物、智識の壮大な立証、誇りかな仏国的経験である。
――などと絶賛しています。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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