中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「帰郷」とベルレーヌ「叡智」
「帰郷」が
ベルレーヌの「叡智」を参照しているであろうことは
多くの中也ファンの知るところでしょう。
中原中也は
メッサン版「ヴェルレーヌ全集」第1巻を
大正15年(1926年)5月に購入しています。
同年1月に
第2次ベリション版「ランボー著作集」を購入したのに
引き続いて。
◇
「叡智」を中原中也が翻訳した形跡はないようですが
フランス語を学習しはじめて
かなり早い時期に接したことが推測されます。
これを河上徹太郎の訳で
読んでみましょう。
◇
叡智 Ⅲ-6
空は屋根の彼方で
あんなに青く、あんなに静かに、
樹は屋根の彼方で
枝を揺がす。
鐘はあすこの空で、
やさしく鳴る。
鳥はあすこの樹で、
悲しく歌う。
あゝ神様、これが人生です、
卑ましく静かです。
あの平和な物音は
街(まち)から来ます。
――どうしたのだ? お前は又、
涙ばかり流して?
さあ、一体どうしたのだ、
お前の青春は?
(河上徹太郎訳、ポール=マリー・ヴェルレーヌ「叡智」より。新潮文庫。)
◇
最終連の問いかけは
自身へ向かうものですが
中原中也は
それを風に言わせています。
あゝ おまえはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云う
――と。
◇
「叡智」の中のこの詩「Ⅲ-6」は
「少年時」の章の「木蔭」にも反響しているようです。
第1連、
神社の鳥居が光をうけて
楡(にれ)の葉が小さく揺すれる
夏の昼の青々した木蔭(こかげ)は
私の後悔を宥(なだ)めてくれる
――の青々とした木蔭は
「叡知」の
あんなに青く
枝を揺るがす景色を反映します。
◇
ベルレーヌは
ブリュッセルでランボーを銃撃した罪で
1年半の間、モンスの監獄に囚われの身となり
この獄中で「叡智」は書かれたそうです。
深い後悔の感情が
中也にあっては
失われた青春への慚愧の思いに重なりました。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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