中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/ベルレーヌとランボー
ここで
中原中也がベルレーヌの翻訳にどのように取り組んだか
ざっと見ておきましょう。
といっても
全集の目次に目を通すくらいのことですが。
◇
ランボーの翻訳が
ランボオ詩集<学校時代の詩>
ランボオ詩集
――と詩(韻文)のほとんどに渡ったのに比べれば
ベルレーヌの詩の翻訳で
生前に公開したものは一つもありません。
翻訳に取り組まなかったわけではありませんが
公開するまでに至らなかった作品が幾つかあります。
「未発表翻訳詩篇」として、
Never More
Ⅳ(われ等物事に寛大でありましょう)
Ⅴ(たをやけき手の接唇くるそのピアノ)
木馬
――の4作があります。
ⅣとⅤは
「言葉なき恋歌」の第1詩群「忘れられた小曲」の第4番、第5番のことです。
中原中也が原典としたメッサン版ヴェルレーヌ全集では
「忘れられた小曲」の章が立てられていなかったため
このように表記しています。
( )で冒頭行を示し
タイトルの代わりにしています。
このほかに
完成されなかった草稿に
序曲
――の1作がありますから
ベルレーヌの詩(韻文)の翻訳は
合計で5件ということになります。
◇
散文で生前に発表したもの(生前発表翻訳散文)は
トリスタン・コルビエール
ポーヴル・レリアン
――の2件。
生前に発表していない散文は
アルチュル・ランボオ
ルイーズ・ルクレルク
――の2件です。
詩も散文も
いかにも少ないことがわかりますが
「ポーヴル・レリアン」は
ベルレーヌが自らの名を隠して評論した自伝のようなものですし
「アルチュル・ランボオ」もランボーの小伝のようなものですから
両詩人の輪郭をつかもうとした
中原中也の戦略が見えます。
◇
ランボーとベルレーヌの関係については
フランス文学者、鈴木信太郎が記している次の案内は
今でも古びれずに通用するものでしょう。
鈴木信太郎は、
この天才詩人は忽ちヴェルレエヌを幻惑してしまった。翌年二人は相携えて巴里を出奔し
た。英国に白耳義に北仏に転々とするうち、終いにブリュッセルに於いてランボオに拳銃を
発射し、ヴェルレエヌは約1ヶ年半の監獄生活を送り、妻とは別居の後離婚しなければなら
なかった。詩人の一生は全くこの少年のために蹂躙されたのであった。
併しながらヴェルレエヌの詩は、この天才との邂逅によって、始めて完全な光輝を発した
のであった。文学的影響は、詩人ヴェルレエヌから少年に及んだのではなくて、全くその逆
であった。ランボオが彼に新しい思考と感覚との世界を開き、宇宙の底を独特の視覚に
よって見透す方法を強要したのであった。
――などと「ヴェルレエヌ詩集」(岩波文庫、1952年初版)の
巻末付録「ポオル・ヴェルレエヌについて」の中に記録しています。
ベルレーヌがランボーに教わったことは
まことに多大でした。
◇
中原中也が
鈴木信太郎からランボーとベルレーヌの関係を
直接聞き及んだかどうか
実際のところは確認されていないようですが
小林秀雄や河上徹太郎らを通じたりして
ランボー像の伝説的な輪郭は
早い時期につかんでいたことでしょう。
ランボーはあんなに歌が切れた
ベルレーヌがいて安心だったからだ
――という感想を
中也が書いたのは
昭和2年(1927年)でした。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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