中原中也・詩の宝島/ベルレーヌの足跡(あしあと)/「Never More」その2
Nevermoreは
エドガー・アラン・ポー(1809~1849)の名作「大鴉」The Ravenで
各連の終りに繰り返されるリフレイン(ルフラン)です。
シャルル・ボードレール(1821~1869)の紹介以後
フランス国内に知れ渡ることになったこの詩に
ベルレーヌが触れたのは必然の流れでした。
ポール・ベルレーヌ(1844~1896)の第1詩集「サチュルニアン詩集」は
1886年に発行されましたが
「Nevermore」を第2番詩に置きます。
ベルレーヌは
ポーの長詩をパロッたものではなく
ベルレーヌ独自の恋歌として
ソネットに歌いました。
中原中也がベルレーヌの著作集を入手したのは
1926年(大正15・昭和元年)ですが
第2番にあったこの詩を読んだのは
それから間もない時であったことが推測できます。
中原中也のこの頃といえば
長谷川泰子を失った直後になります。
◇
Never More ポール・ヴェルレーヌ
憶ひ出よ、憶ひ出よ、おまへ、どうしようといふのだ? 秋は
気拙い空に鶫を飛ばし、
して太陽は、ひといろの光を投げてゐた
黄色になりゆく森の上に――其処で北風の捲き起る。
私達だけだつた夢見心地で歩いていつた、
彼女と私と、髪の毛と思ひとを風に晒して。
ふと、私の方にその瞳は向けられて、
あなたのいとも良い日はどうしましたとその声が。
その声はやさしい朗らかな声で、祈りの鐘のやうに爽やかだつた。
つつましい微笑で私はそれに答へた、
それから私はその白い手に接唇けた、敬虔な心持で。
――ああ! その薫つてゐた初花!
そしてそれが響かしたかあいい
にこやかな脣から出た最初の“Oui”!
(「新編中原中也全集」第3巻「翻訳」より。)
◇
ベルレーヌの原作は「Nevermore」ですが
中原中也は「Never More」としました。
鈴木信太郎は「また還り来ず」
堀口大学は「かえらぬ昔」です。
「新編中原中也全集」はほかに
永井荷風「返らぬむかし」
新城和一「Never More」
川路柳虹「かへらぬむかし」
竹友藻風「またかへらず」
――を紹介しています。
◇
詩のはじまりが思い出を問うているのですから
そこからタイトルにする流れが出来たようですね。
中也は
それに違和感を抱いたのかもしれませんが
この時、新城和一訳を参照したのかどうか
それはわかりません。
◇
この詩の女性は
ベルレーヌの第1詩集「サチュルニアン詩集」の発行費用を負担した
8歳年上の従姉エリザとする説が流布しています。
「サチュルニアン詩集」出版当時
デュジャルダン夫人であったこの従姉は
詩集が出た翌年に他界します。
中原中也がこのあたりに通じていたかはわかりませんが
心と心が秋風に靡くままに一体になった男女の
静かに燃えるような接吻(べーぜ)の
完璧な(という言い方しか今思い浮かびませんが)瞬間を歌った
ベルレーヌの詩の核心を捉えています。
第2連
あなたのいとも良い日はどうしましたとその声が。
――を読んだ初めのうちは
インパクトに欠けるかなどと感じていましたが
その「いとも良き日」こそ今なのだ
あの日、私はその今を彼女に伝えることができた幸福を
忘れはしないNevermore(もはや決して)と読めるようになって
やはりここには中原中也があると理解します。
エリザのエピソードを知らなくても
この詩を読むことができることでしょうが
知っていてマイナスになることもありません。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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