中原中也・詩の宝島/ベルレーヌの足跡(あしあと)/「Nevermore」その3永井荷風訳と堀口大学訳
永井荷風が1913年に刊行した「珊瑚集」には
「Nevermore」が「返らぬむかし」の題で訳出されました。
「珊瑚集」には
ポオル・ヴェルレエンの名で
7作品が収められています。
◇
返らぬむかし ポオル・ヴェルレエン
ああ、遣瀬なき追憶の是非もなや。
衰へ疲れし空に鵯(ひよどり)の飛ぶ秋、
風戦(そよ)ぎて黄ばみし林に、
ものうき光を日は投げし時なりき。
胸の思ひと髪の毛を吹く風になびかして、
唯二人君と我とは夢み夢みて歩みけり。
閃く目容(まなざし)は突(つ)とわが方にそそがれて、
輝く黄金の声は云ふ「君が世の美しき日の限りいかなりし」と。
打顫ふ鈴の音のごと爽(さわやか)に、響は深く優しき声よ。
この声に答へしは心怯(おく)れし微笑(ほほえみ)にて、
われ真心の限り白き君が手に口付けぬ。
ああ、咲く初花の薫りはいかに。
優しき囁きに愛する人の口より洩るる
「然り」と頷付く初めての声。ああ其の響はいかに
(新潮文庫「珊瑚集」より。昭和28年発行、昭和43年改版。原作にあるルビの多くを省略しました。編者。)
◇
中也が「Never More」を訳したのは1929年(推定)ですから
その15、6年前の翻訳ということです。
第2連末行の、
輝く黄金の声は云ふ「君が世の美しき日の限りいかなりし」と。
――にやはりインパクト不足を感じますが
「あなたの人生の最も美しい日はどんなものでした」と
恋人に問われて
口づけを白い手に返すところは
その場面が鮮やかに浮かんできて
中也訳と同様です。
◇
ところでベルレーヌの
Nevermoreはいったい何に対して
Nevermoreだったのでしょうか?
最大の疑問が残りますが
この詩の現在から読み解く翻訳がほとんどで
遠い過去の思い出の恋が歌われたものと
永井荷風も鈴木信太郎も堀口大学も
みんながそのように訳しました。
中也は
ベルレーヌの原作をそのままタイトルに残しました。
何か言いた気(げ)ですが
真意はわかりません。
過去の恋の思い出であっても
今ここにある恋心に変わりはないということでしょうから
さほど気にすることではないかもしれません。
◇
堀口大学訳はどうでしょうか?
◇
かえらぬ昔
思い出よ、思い出よ、僕にどうさせようとお言いなのか?
その日、秋は、冴(さ)えない空に鶫(つぐみ)を舞わせ
北風鳴り渡る黄葉の森に
太陽は単調な光りを投げていた。
僕らは二人っきりだった、僕らは夢見心地で歩いていた、
彼女も僕も二人とも、髪の毛も僕の思いも、吹く風になぶらせて。
ふと僕のほうへ思いつめた瞳を向けて、さわやかなその声が尋ねてくれた、
「あなたの一番幸福な時はいつでしたか?」
彼女の声はやさしく天使のそれのように朗らかに響き渡った。
僕の慎ましい微笑がその問に答えた、そして
遠慮がちな気持で僕はその手に接吻(くちづけ)した。
――ああ、なんと、咲く初花のかんばしさ!
ああ、なんと、恋人の脣もれる最初の応諾(ウイ)の
うれしくも、やさしくも、人の心にささやくよ!
Nevermore
(新潮文庫「ヴェルレーヌ詩集」より。昭和25年発行、平成19年改版。原作のルビの多くを省略しました。編者。)
◇
ベルレーヌの恋歌は
口語体にもよく馴染むものであることを
堀口大学の訳は証明しましたね。
回り道でしたが
中也のベルレーヌ訳を味わう手助けになったことでしょう。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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