中原中也・詩の宝島/ベルレーヌの足跡(あしあと)/「マンドリン」から「春の夜」へ
「サーカス」が
1929年(昭和4年)発行の「生活者」に初出したとき
なぜ「無題」だったのでしょうか。
詩の中には
きっちりとサーカスの語があるにもかかわらず
タイトルをサーカスとしなかったのは
この詩の多彩で複雑なモチーフを
作者はサーカスに限定する必要を認めなかったからでしょうか。
サーカスという言葉が
世間にまだ浸透しておらず
ハイカラ過ぎると見なしたためだったのでしょうか。
ほかの理由があったのでしょうか。
◇
「サーカス」への
ベルレーヌの「木馬」の影響を辿っているうちに
「山羊の歌」の第4番詩「春の夜」にも
ベルレーヌの影が落ちているという案内に巡り合います。
中原中也のベルレーヌ翻訳の仕事を追うと
「月」
「サーカス」
「春の夜」
――と続く「山羊の歌」の第2番詩から第4番詩までが
ワイルド、ボードレール、ベルレーヌら
海外の詩人たちの影響を受けていることが明らかになります。。
中原中也の詩の中でも
際立った難解詩として聳え立つ「春の夜」への糸口は
ベルレーヌやブラウニングの詩に見い出すことになります。
まずは「春の夜」を読みましょう。
◇
春の夜
燻銀(いぶしぎん)なる窓枠の中になごやかに
一枝(ひとえだ)の花、桃色の花。
月光うけて失神し
庭の土面(つちも)は附黒子(つけぼくろ)。
ああこともなしこともなし
樹々(きぎ)よはにかみ立ちまわれ。
このすずろなる物の音(ね)に
希望はあらず、さてはまた、懺悔(ざんげ)もあらず。
山虔(やまつつま)しき木工(こだくみ)のみ、
夢の裡(うち)なる隊商(たいしょう)のその足竝(あしなみ)もほのみゆれ。
窓の中にはさわやかの、おぼろかの
砂の色せる絹衣(きぬごろも)。
かびろき胸のピアノ鳴り
祖先はあらず、親も消(け)ぬ。
埋(うず)みし犬の何処(いずく)にか、
蕃紅花色(さふらんいろ)に湧(わ)きいずる
春の夜や。
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えました。編者。)
◇
次にベルレーヌの「Mandline」です。
中原中也はこの詩を翻訳していませんが
原作を読んだことは間違いなく
川路柳虹訳を参照した可能性も高く
「春の夜」の詩世界と非常に近似した空気が漂う詩です。
◇
マンドリーヌ
川路柳虹訳
絹の短い胴着(どうぎ)をきて
長い裳裾(もすそ)は後に曳く、
その優しさ、その楽しさうな様子、
そのしとやかな青い衣(きぬ)の影。
うす薔薇色の月の光りに
恍惚(うつとり) 取り巻かれ、
そよ吹く軟らかな風につれて
囀りしきるマンドリーヌ。
(「ヹルレーヌ詩集」より。「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰ「解題篇」より孫引きしました。)
◇
次には先に読んだ
中原中也訳の「Ⅴ (たをやけき手の接唇くるそのピアノ)」も参照しておきましょう。
◇
Ⅴ (たをやけき手の接唇くるそのピアノ) ポール・ヴェルレーヌ
ほがらかのクラヴサン
その嬉しさよ、うるささよ。 ペトリュス・ボレル
たをやけき手の接唇(くちづ)くるそのピアノ
きらめけり薔薇と灰とのおぼろなる夕(ゆふべ)の裡に、
軽やかに羽搏く音かその音色
疲れて弱く媚やかに、
物怖ぢしたる如くにも、ためらひつつは去(あ)れもゆく、
移り香ながき部屋よりは。
ふとし遇ふこの揺籃(ゆりかご)のいかならん
たゆけくも今日をし生くるわれを慰む。
何をかわれに欲りすとや、戯唄(ざれうた)とてか。
何をかわれに欲りしけるとらへがたなき折返し、
絶えんとするにあらざるや、細目に開けし
窓よりは、木庭の方(かた)へ
(「新編中原中也全集」第3巻「翻訳」より。ルビは中原中也が振ったものだけを表記しました。編者。)
◇
途中ですが
今回はここまで。
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