中原中也・詩の宝島/ベルレーヌの足跡(あしあと)/「言葉なき恋歌」より・その1
「Never More」に続いて
中原中也が訳したベルレーヌの詩は
「言葉なき恋歌」の中にある詩群「忘れられた小曲」の第4番です。
この第4番の前には
「雨はしとしと市(まち)にふる。
アルチュール・ランボー」
――のエピグラフがあり
「巷に雨の降るごとく
我が心にも涙ふる。」
――の書き出しで有名な第3番があります。
中原中也は第3番を訳さずに
第4番、第5番を訳しましたが
どちらも未完成に終っています。
◇
Ⅳ (われ等物事に寛大でありませう) ポール・ヴェルレーヌ
われ等物事に寛大でありませう。
かくてこそわれ等は幸福でありませう、
そしてもしわれ等の生活に気むずかしい時があつても、
ねえ、ただ二人して泣いてゐませう。
とりとめないわれ等の誓にあどけない優しさをこそ
たぐへませう、われ等相寄る魂は、
世の男達女達から遠く離れて、
われ等を逐ひ退けるもののことをきれいに忘れて。
二人の子供、二人の若い娘のやうでありませう
なにものに耽ることなくなにものに驚異(おどろ)かざるなき。
よごれなきあかしでの下、恕し合ひそれとも知らで
蒼ざめゆかん二人の子供、二人の娘。
(「新編中原中也全集」第3巻「翻訳」より。)
◇
ベルレーヌは「言葉なき恋歌」を
1874年に出版しましたが
この詩が作られたのは1872年と推定されています。
この頃ランボーの出現で
マチルドとの新婚生活はピンチの最中でした。
ベルレーヌは
マチルドに呼びかける形のこの詩を
後に振り返って歌ったのでしょう。
◇
中原中也にも
これに似た詩がありますね。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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