カテゴリー

2024年1月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ

« 中原中也・詩の宝島/ベルレーヌーの足跡(あしあと)/「ポーヴル・レリアン」その5 | トップページ | 中原中也・詩の宝島/ベルレーヌの足跡(あしあと)/「Never More」 »

2018年8月15日 (水)

中原中也・詩の宝島/ベルレーヌーの足跡(あしあと)/「ポーヴル・レリアン」その6

 

 

「小老牡山羊」に

中原中也が特別な関心を持ったであろうことは

「山羊の歌」という詩集題のネーミングばかりでなく

羊、野羊、アストラカン……など

羊へのこだわりが

創作詩の幾つかに見られることからも理解できます。

 

自作詩へ「羊」を使用するに至るには

「ポーヴル・レリアン」の翻訳もそうですが

ランボーの「太陽と肉体」の翻訳で

半人半山羊(サチール)des satyresや

山羊足ses pieds de chevreを訳す経験があり

その拠り所となった中原中也愛用の模範仏和大辞典には

satyreの語義として

「半人半山羊の神(神話)」とあり、

Chevreは「牝山羊」の記載があることがわかっていますから

翻訳という作業の中で

詩人は語彙力を養ったことを推測できます。

(「新編中原中也全集」第3巻「翻訳・解題篇」。)

 

 

サチールまたはサチュルスは

ベルレーヌがサテュルニアンPoemes Saturniensを

第1詩集のタイトルとしていることから

中原中也はかなり早い時期に(というのはランボーから知ったのより早く)

ベルレーヌから知っていたことが推測されて驚くばかりです。

 

ベルレーヌは

「ポーヴル・レリアン」でランボーを紹介して

「フォーヌの頭」を引用していますし

フォーヌが半獣神であることはよく知られたことですし

この獣には羊の面影が

色濃く漂よっています。

 

と同時にこの神が

創造の神として現れているところを

中也が見逃すわけがありません。

 

 

「ポーヴル・レリアン」に戻っていえば

カトリシズムへの改心と

それが及ぼす詩作への関係(無関係)の記述も

簡潔で核心に触れるものでした。

 

そして、「ポーヴル・レリアン」の結末部に

ランボーを登場させたことの意図も

くっきりとしてきます。

 

ベルレーヌは

不当にも理解されていない詩人たちの一人として

ランボーを紹介しました。

 

ベルレーヌの栄光と悲惨(無理解)は

ランボーの栄光と悲惨へ

まっすぐに繋がっていたとでも言わんばかりに

ベルレーヌは自らの名を偽って自らの評伝を書き

ランボーの詩を「ポーヴル・レリアン」で称賛しました。

 

 

ところで「ポーヴル・レリアン」に現われる創作履歴は

翻訳によって様々に異なります。

 

一つの著作は色々に訳されて

混乱することがありますので

ベルレーヌが案内した著作や詩集のタイトルを

「ポーヴル・レリアン」を読み終えるにあたって

整理しておきましょう。

 

ベルレーヌは

初出のタイトルを後の決定版で変更する場合が多く

ここでは鈴木信太郎訳と対照します。

 

(鈴木信太郎の翻訳は筑摩書房の世界文学大系43「マラルメ、ヴェルレーヌ、ランボー」

に収録されてある「ポオヴル・レリアン」を参照。)

 

中原訳「ポーヴル・レリアン」に出てくる順に番号を振り

はじめに中原中也の訳

次に、それの鈴木信太郎訳、

その次に、そのフランス語タイトル

次に、完成版の刊行年とそのタイトルの訳とフランス語原題

――という内訳です。

 

 

1、 智慧 サピエンチアSapientia。1881年、叡智Sagesse

2、 慈愛 慈悲Charitiè。1888年、愛の詩集Amour

3、 兇星 邪悪の星Maubaise Etoile.。1866年、サテュルニアン詩集Poemes Saturniens

4、 シテールへ シテエルへPour Cythère。1869年、艶なる讌楽Fetes galantes

5、 結婚の籠 結納の籠Corbeilles de Noces。1872年、よき歌Bonne Chanson

6、 フリュ-トと角笛 同Flute et Cor。1874年、言葉なき恋歌Romances sans Parol

7、 昨日と今日 一昨日と今日Avant-heir et hier。1885年、昔と近頃Jadis et Naguère

8、 難解者 理解されぬ人々Les Incompris。1884年、呪はれた詩人たちLes Poetes Mauditsの初版

9、 的を外れて 傍らにA cĉté。1889年、雙心詩集Parallelement

10、 ソクラテス解 ソクラテス註解Les Commentaires de Socrate.。1886年、或るソ夫の思出Les Commentaires de Socrate

11、 クロヴィス・ラプスキュル 同Clovis Labscure。1886年、ルイズ・ルクレエルLouise Leclerq

 

 

「ポーヴル・レリアン」の増補改訂版は

1888年発行ですから

それまでのベルレーヌの著作履歴が

ほぼ万遍なく紹介されていることがわかります。

 

さほど長文ではないのにもかかわらず

ここでもベルレーヌの要を得た構成を

見ることができます。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

« 中原中也・詩の宝島/ベルレーヌーの足跡(あしあと)/「ポーヴル・レリアン」その5 | トップページ | 中原中也・詩の宝島/ベルレーヌの足跡(あしあと)/「Never More」 »

054中原中也とベルレーヌ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 中原中也・詩の宝島/ベルレーヌーの足跡(あしあと)/「ポーヴル・レリアン」その5 | トップページ | 中原中也・詩の宝島/ベルレーヌの足跡(あしあと)/「Never More」 »