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2018年8月14日 (火)

中原中也・詩の宝島/ベルレーヌーの足跡(あしあと)/「ポーヴル・レリアン」その5

 

 

中原中也の訳した

ベルレーヌの「ポーヴル・レリアン」を一読して

ベルレーヌが自らに忌憚ない(というのは変な言い方ですが)

冷徹なまなざしを向け

同じようにランボーにも賛辞を送っているのは

自伝の中でのことであり

ランボーはもやはベルレーヌを語る時に

不可欠な存在であることのあからさまな証しです。

 

ベルレーヌは

自らの眼に狂いのなかったことを

終生疑わなかったのですし

それは晩年の落魄を見つめるまなざしにもあり続けました。

 

ベルレーヌは

まだまだ書きたいというメッセージを

「ポーヴル・レリアン」のエンディングに添えます。

 

 

中原中也の選んだ語彙に

目を配りながら

ベルレーヌ自身に向けたメッセージでもありそうな評言を

少し振り返ってみましょう。

 

中原中也という詩人独自の

言語意識(感性)とか言葉の感覚とか

語彙力とか、

あれでもないこれでもない

これであるという

詩語選択の現場に立ち会うことが

「ポーヴル・レリアン」を読むことで可能でしょうから。

 

中也は

いったんは対象の詩の中に入って

作者の現にある境地に自分を置くように努め

その後にそれを

もっとも相応しい言葉に移し替えます。

 

 

冒頭、「智慧」から、

 

殊には汝自らを忘るるなかれ、

汝が弱さ汝が愚直さを引摺りて

人の戦ひ人の愛する到る所、

いとも悲しくまことや狂いし態(ざま)をして!

・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・

人をその愚鈍を罰せしや如何に?

――を引用し、

 

「慈愛」から、

 

私には恐ろしい恋病がある、かくも弱いわが心は狂ってゐる。

・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・

心の滅落をどうすることも出来ない!

――と引用するのはベルレーヌですが

汝が弱さ汝が愚直さも、とか

恐ろしい恋病、とか

滅落、とかは

きっと中也の言葉といってよいことでしょう。

 

ベルレーヌはこれらの引用を行って

これが彼、ポーヴル・レリアンの嵐の一生の原質!と

ズバリ指摘しますが

このあたりを訳している中也の息づかいは

ベルレーヌのものと同じです。

 

ベルレーヌのこの呼吸や

簡潔な自己認識を

中也もまた簡潔に日本語に移しました。

 

 

ベルレーヌの生涯は

ベルレーヌ自身によって

ベルレーヌ自身が書いた二つの詩行で

簡潔に捉え返されたのですが

幼少年期に遡る生い立ちから

詩界デビューに至る経緯もまた

見事に簡潔に過不足なく捉えられます。

 

この経過を語る中に、

 

1年は経過して、彼は『シテールへ』を印刷した、いとも真剣な進歩が見られるとは、批評

が之を証明した。先づは小老牡山羊の詩界入りとなつたのである。

――とある記述に

中原中也は特別な関心をもったことでしょう。

 

とりわけ、

詩界入りに冠した

「小老牡山羊の」というフレーズには!

 

 

やがて第1詩集「山羊の歌」を生む詩人が

ベルレーヌによる

このメタファー(あるいは、広く行き渡った比喩だったのでしょうか)を

補足説明することもなく使っています。

 

「山羊の歌」のネーミングの謎が

一つ溶解していくような下りです。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

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