中原中也・詩の宝島/ベルレーヌの足跡(あしあと)/「言葉なき恋歌」より・その2
ベルレーヌの「言葉なき恋歌」中の詩群「忘れられた小曲」第4番の次に
中原中也は第5番を訳します。
これも未完成・未発表詩です。
◇
Ⅴ (たをやけき手の接唇くるそのピアノ) ポール・ヴェルレーヌ
ほがらかのクラヴサン
その嬉しさよ、うるささよ。 ペトリュス・ボレル
たをやけき手の接唇(くちづ)くるそのピアノ
きらめけり薔薇と灰とのおぼろなる夕(ゆふべ)の裡に、
軽やかに羽搏く音かその音色
疲れて弱く媚やかに、
物怖ぢしたる如くにも、ためらひつつは去(あ)れもゆく、
移り香ながき部屋よりは。
ふとし遇ふこの揺籃(ゆりかご)のいかならん
たゆけくも今日をし生くるわれを慰む。
何をかわれに欲りすとや、戯唄(ざれうた)とてか。
何をかわれに欲りしけるとらへがたなき折返し、
絶えんとするにあらざるや、細目に開けし
窓よりは、木庭の方(かた)へ
(「新編中原中也全集」第3巻「翻訳」より。ルビは中原中也が振ったものだけを表記しました。編者。)
◇
「媚やか」は「あでやか」
「欲りす」は「ほりす」
――と読む古語的表現ですが
詩人はルビ(フリガナ)を振っていません。
「去れもゆく」にルビを振ったのは
難度が高いと見た詩人の言語認識でしょう。
◇
ベルレーヌがこの詩を発表した文芸誌の発行日が
1872年6月29日で
この日から1週間後には
ベルレーヌはランボーとともにベルギー、イギリスへの放浪の旅に出ました。
◇
新妻マチルドの弾くピアノなのでしょうか。
クラブサンの歓喜の調べとともに
うるささを歌ったこの詩のエピグラフは
詩人ペトリュス・ボレルの詩句だそうです。
(「新編中原中也全集」第3巻「解題篇」。)
そうであるならこの詩は
マチルドの弾くピアノの妙なる調べを賛美しながらも
時には疎んじるほどうるさく感じていたベルレーヌが
それを隠そうとしなかったことを示します。
そうではあっても
心根のやさしいベルレーヌが
何をかわれに欲りすとや(私に何を求めるのか)
――と歌って迷いを表明しているのは
事態がまだ決定的な段階に至っていなかったからでしょうか。
マチルドの驚愕と憤怒と絶望を
想像することができても
ベルレーヌのほうには楽観的気分が漂います。
◇
ランボーはベルレーヌの新しい恋人でした。
そのあたりの事情を
中原中也は把握していた様子です。
◇
途中ですが
今回はここまで。
« 中原中也・詩の宝島/ベルレーヌの足跡(あしあと)/「言葉なき恋歌」より・その1 | トップページ | 中原中也・詩の宝島/ベルレーヌの足跡(あしあと)/「言葉なき恋歌」より・その3/川路柳虹訳 »
「054中原中也とベルレーヌ」カテゴリの記事
- 中原中也・詩の宝島/ベルレーヌの足跡(あしあと)/補足2・橋本一明の読み・続(再開篇)(2019.05.14)
- 中原中也・詩の宝島/ベルレーヌの足跡(あしあと)/補足2・橋本一明の読み・その13(2018.12.27)
- 中原中也・詩の宝島/ベルレーヌの足跡(あしあと)/補足2・橋本一明の読み・その12(2018.12.19)
- 中原中也・詩の宝島/ベルレーヌの足跡(あしあと)/補足2・橋本一明の読み・その11(2018.12.15)
- 中原中也・詩の宝島/ベルレーヌの足跡(あしあと)/補足2・橋本一明の読み・その10(2018.12.07)
« 中原中也・詩の宝島/ベルレーヌの足跡(あしあと)/「言葉なき恋歌」より・その1 | トップページ | 中原中也・詩の宝島/ベルレーヌの足跡(あしあと)/「言葉なき恋歌」より・その3/川路柳虹訳 »
コメント