中原中也・詩の宝島/ベルレーヌの足跡(あしあと)/「言葉なき恋歌」より・その3/川路柳虹訳
◇
Ⅴ (たをやけき手の接唇くるそのピアノ) ポール・ヴェルレーヌ
ほがらかのクラヴサン
その嬉しさよ、うるささよ。 ペトリュス・ボレル
たをやけき手の接唇(くちづ)くるそのピアノ
きらめけり薔薇と灰とのおぼろなる夕(ゆふべ)の裡に、
軽やかに羽搏く音かその音色
疲れて弱く媚やかに、
物怖ぢしたる如くにも、ためらひつつは去(あ)れもゆく、
移り香ながき部屋よりは。
ふとし遇ふこの揺籃(ゆりかご)のいかならん
たゆけくも今日をし生くるわれを慰む。
何をかわれに欲りすとや、戯唄(ざれうた)とてか。
何をかわれに欲りしけるとらへがたなき折返し、
絶えんとするにあらざるや、細目に開けし
窓よりは、木庭の方(かた)へ
(「新編中原中也全集」第3巻「翻訳」より。ルビは中原中也が振ったものだけを表記しました。編者。)
◇
ベルレーヌが歌ったのは
千々に乱れる思いだったのでしょうか。
いや、こういう問いの立て方は
詩を見失うことになるでしょう。
千々に乱れているのは確かですが
ベルレーヌの気持ちは
すでに決まっています。
決まった上で、
何をかわれに欲りすとや
――と心はマチルドに問い
いつまでも弾きやまないピアノの音色に
聴き耳を立てています。
◇
未完成でありますが
中也の翻訳は
ベルレーヌを真芯(ましん)に捉えています。
文語に訳したのは
幾分か嫋嫋(じょうじょう)とした響きを
抑制する狙いがあったからでしょうか。
こう書いたところで
口語自由詩運動の旗手、川路柳虹の訳が見つかりましたので
それを読みましょう。
◇
「忘れられた小唄」Ⅴ
かぎりなきかの歓びはうち鳴らすピアノなり
――ペトリューボレル――
繊弱(かよわ)き手もてうち触るゝピアノの音(ね)
朧ろに暗き薔薇色の薄暮(かはたれ)どきに輝けり、
さはれいとも軽やかの羽音もて、
昔ながらのひと節(ふし)はいと脆(もろ)くいと魅(まど)はしく、
恐るゝごとき気はひもてひそやかに、
彼女(かのひと)の移り香こめし化粧の間にぞ鳴り響く。
静やかにこの憐れなる身を揺する
思ひもかけぬ眠りの歌は何ならむ
めづらかに優しきひゞき何をか吾に求むらむ、
きゝとれがたきその最後(いやはて)の繰返句(ルフラン)は
こころもち少き庭園(には)に打ちひらく
窓の際より消えゆくものを。
(「新編中原中也全集」第1巻「詩Ⅰ解題篇」中「春の夜」解題より。)
◇
ベルレーヌだから
文語定型に翻訳したのは
詩人の意図があったからでしょう。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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