中原中也・詩の宝島/ベルレーヌの足跡(あしあと)/「マンドリン」から「春の夜」へ・その2
「春の日の夕暮」
「月」
「サーカス」
――に続く「春の夜」が
「山羊の歌」の第4番詩として
「朝の歌」の前に配置されている流れは
「月」から「春の夜」の3作品が
ダダイズム脱皮の過程を物語るものとされています。
この過程に
海外の詩人、とりわけフランス象徴詩の
ボードレールやベルレーヌらの
影が現われます。
この過程は
この3作品に限られるもlのではなく
「朝の歌」にダダイズムの影がなくなったからといって
以後に配置された詩から
その影が消え去るということでもありません。
詩人は
絶えずあらゆるところから
詩の方法を学び取ろうとします。
◇
「春の夜」が歌う詩世界が
中原中也の来歴や実生活のどこを見てもなく
いったい何が歌われているのだろうと思案するのは
当然のことかもしれませんが
「春の夜」のような春の夜を
詩人は歌う欲求を持ったのも事実ですから
この詩は生れました。
こんな春の夜は
日本の景色にはないと不満を抱く人には
この詩に親近するチャンスはないことでしょう。
雪隠(せっちん)の小窓から見える
翳(かげ)りの世界こそ! などと自画自賛する美意識を
中原中也は
ダダイストであった時から
笑っていたはずでした。
◇
燻銀(いぶしぎん)なる窓枠の中になごやかに
一枝(ひとえだ)の花、桃色の花。
月光うけて失神し
庭の土面(つちも)は附黒子(つけぼくろ)。
◇
それにしても
この異国的な風景は何を歌ったものだろうと
この詩を読む度に感じていた人は
川路柳虹訳のベルレーヌ「マンドリーヌ」に触れて
ハタと膝を打ったことでしょう。
◇
絹の短い胴着(どうぎ)
長い裳裾(もすそ)
青い衣(きぬ)の影。
うす薔薇色の月の光り
囀りしきるマンドリーヌ。
◇
「春の夜」の
月光うけて失神し
――と
うす薔薇色の月の光り
――とが響き合うのを聴くだけで
ああ、これなのかと感心するに違いありません。
これはマンドリンですが
ベルレーヌがピアノ(クラブサン)の音色を歌ったのが
「Ⅴ (たをやけき手の接唇くるそのピアノ)」(中也の訳)です。
◇
いずれも
大理石の建築を思わせる
高貴な邸宅の庭続きの室内が描写されます。
ところが中原中也の詩は
蕃紅花色(さふらんいろ)に湧(わ)きいずる
春の夜や。
――で閉じるところに
ユニークさはあります。
中也の詩は
あくまで春の夜を歌って
サフラン色に染まる庭に感嘆します。
驚きの響きが漂います。
そして
山虔(やまつつま)しき木工(こだくみ)
――とか
祖先はあらず、親も消(け)ぬ
――とか
埋(うず)みし犬
――とか
詩の背後にある物語(ドラマ)に
何らの説明も加えません。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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