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2018年9月 1日 (土)

中原中也・詩の宝島/ベルレーヌの足跡(あしあと)/「マンドリン」から「春の夜」へ・その2

 

 

「春の日の夕暮」

「月」

「サーカス」

――に続く「春の夜」が

「山羊の歌」の第4番詩として

「朝の歌」の前に配置されている流れは

「月」から「春の夜」の3作品が

ダダイズム脱皮の過程を物語るものとされています。

 

この過程に

海外の詩人、とりわけフランス象徴詩の

ボードレールやベルレーヌらの

影が現われます。

 

この過程は

この3作品に限られるもlのではなく

「朝の歌」にダダイズムの影がなくなったからといって

以後に配置された詩から

その影が消え去るということでもありません。

 

詩人は

絶えずあらゆるところから

詩の方法を学び取ろうとします。

 

 

「春の夜」が歌う詩世界が

中原中也の来歴や実生活のどこを見てもなく

いったい何が歌われているのだろうと思案するのは

当然のことかもしれませんが

「春の夜」のような春の夜を

詩人は歌う欲求を持ったのも事実ですから

この詩は生れました。

 

こんな春の夜は

日本の景色にはないと不満を抱く人には

この詩に親近するチャンスはないことでしょう。

 

雪隠(せっちん)の小窓から見える

翳(かげ)りの世界こそ! などと自画自賛する美意識を

中原中也は

ダダイストであった時から

笑っていたはずでした。

 

 

燻銀(いぶしぎん)なる窓枠の中になごやかに

  一枝(ひとえだ)の花、桃色の花。

月光うけて失神し

  庭の土面(つちも)は附黒子(つけぼくろ)。

 

 

それにしても

この異国的な風景は何を歌ったものだろうと

この詩を読む度に感じていた人は

川路柳虹訳のベルレーヌ「マンドリーヌ」に触れて

ハタと膝を打ったことでしょう。

 

 

絹の短い胴着(どうぎ)

長い裳裾(もすそ)

青い衣(きぬ)の影。

 

うす薔薇色の月の光り

囀りしきるマンドリーヌ。

 

 

「春の夜」の

月光うけて失神し

――と

うす薔薇色の月の光り

――とが響き合うのを聴くだけで

ああ、これなのかと感心するに違いありません。

 

これはマンドリンですが

ベルレーヌがピアノ(クラブサン)の音色を歌ったのが

「Ⅴ (たをやけき手の接唇くるそのピアノ)」(中也の訳)です。

 

 

いずれも

大理石の建築を思わせる

高貴な邸宅の庭続きの室内が描写されます。

 

ところが中原中也の詩は

蕃紅花色(さふらんいろ)に湧(わ)きいずる

春の夜や。

――で閉じるところに

ユニークさはあります。

 

中也の詩は

あくまで春の夜を歌って

サフラン色に染まる庭に感嘆します。

 

驚きの響きが漂います。

 

そして

山虔(やまつつま)しき木工(こだくみ)

――とか

祖先はあらず、親も消(け)ぬ

――とか

埋(うず)みし犬

――とか

詩の背後にある物語(ドラマ)に

何らの説明も加えません。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

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