カテゴリー

2024年1月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ

« 中原中也・詩の宝島/ベルレーヌの足跡(あしあと)/「序曲」の謎・その4 | トップページ | 中原中也・詩の宝島/ベルレーヌの足跡(あしあと)/「序曲」の謎・その6 »

2018年9月26日 (水)

中原中也・詩の宝島/ベルレーヌの足跡(あしあと)/「序曲」の謎・その5

 

 

ベルレーヌが「序曲」を冒頭の序詩に配し

全16篇の詩篇を収めた詩集「女たち」Femmesを秘密出版(初版)したのは

1890年、46歳のことでした。

 

しかし、この頃のベルレーヌを

堀口大学や鈴木信太郎をはじめとする

ベルレーヌ研究の先達のほとんどが

はやくも晩年と認識し

下降期(衰退期)に入ったと見ています。

 

堀口大学編の年譜(新潮文庫「ヴェルレーヌ詩集」)は

1891年の項に

この頃よりヴェルレーヌの詩才、その黄昏に入る

――と記していますし、

 

鈴木信太郎は

1885年に巴里に移り住んだヴェルレエヌは、以後短期間の旅行以外には、この主都を離れなかった。

財産は殆ど費いはたし、今や全くみじめな最低生活に陥った。

1886年に老母を失ってから、急に詩人の生活は資は皆無となった。巴里に移って間もなく、

リウマチス性関節不随を左の膝頭に患って、生涯跛者となったが、それが却って施療病院の生活を

享受する手段となり、病院から病院に転転する身となった。

 

――と「衰退期 後期諸詩集」の標題を設けて概観し

この間に作られた数百の詩篇に

1篇の真の詩も無いことを記します(後述)。

(岩波文庫「ヴェルレエヌ詩集」)

 

ベルレーヌは

1896年に52歳で死亡するのですから

このおよそ10年間を晩年とするなら

この期間にどのような創作活動をしたのか

詳しく知っておく必要があるところです。

 

そこで堀口大学訳「ヴェルレーヌ詩集」の年譜で

ベルレーヌの晩年をざっと見ておきましょう。

 

 

「女たち」出版の1年前の、

1889年には、

第8詩集「平行して」Parallèlmentを発表し

その後も、詩集と名のつくものだけを見ても

1890年に、「献辞」

1891年に、「幸福」「ヴェルレーヌ詩選」

1892年に、「内なる礼拝」

1893年に、「悲歌」、「彼女を讃える頌歌」

1894年に、「奈落の底」、「エピグラム」を出版しました。

 

詩集の発行のほかにも

1891年に、

ベルレーヌ作の詩喜劇「人さまざま」の上演

1892年に、

「わが病院」発表

オランダへ講演旅行

1893年に、

ベルギーへ講演旅行

「獄中記」を出版

ロレーヌ地方を講演旅行

ロンドン方面を講演旅行

「オランダ十五日」出版

1894年に、

ルコント・ド・リールの後を受けて「詩王」に選出される

1895年に、

「告白録」を出版

――などとかなり旺盛な活動が確認できます。

 

ところが作品の質となると

全くといってよいほど否定的な評価になります。

 

 

たとえば、堀口大学は

 

ヴェルレーヌ晩年の詩作は、挙げて卑俗な感覚の世界に身をもがく痴人の歌にさえすぎなくなる。18

90年の詩集「女たち」以下、「彼女のための歌」 「悲歌」 「彼女を讃える頌歌」、1896年の「肉」に至

る、どの詩集にあっても、女、女、女、女にこの詩人は憑かれたかの感がある。

 

――と突き放しますし。

 

鈴木信太郎は

 

この衰頽期には、「献辞詩集」Dédicaces(1890年12月)、「幸福」Bonheur(91年6月)、「女に献ぐる

歌」Chansons pour Elle(92年4月)、「内なる祈禱の歌」Liturgies intimes(92年4月)、「その名誉を頌

ふる歌」Odes en son Honneur(93年5月)、「哀歌」Elégies(93年5月)、「奈落の底」Dans les Limbes

(94年5月)、「エピグラム」Epigrammes(94年12月)と、文字通りに書きなぐった。これら数百の詩の

中に一篇として真の詩が無いのである。

 

――と酷評しています。

 

 

あまりにも惨憺たる評価ということになりますが

鈴木信太郎は

この時期の詩の中からも

わずかですが訳出しています。

 

その一つに詩集「女に献ぐる歌」中の

次の作品があるのを見逃すことはできません。

 

 

珈琲の滓の占

 

珈琲の滓の占、八卦辻占(はつけつじうら)

トランプの占を きみは信ずる、

私といえば きみの大きな眼しか信用しない。

 

お伽噺を、日の吉凶を、

夢占(ゆめうら)を きみは信ずる

私はといえば きみの虚言しか信用しない。

 

何か解らぬ神様を、

特別な 名前も知れぬ聖人を、

この災難には この御祈祷と きみは信ずる。

 

私はといえば 眠られぬ夜の

肉慾に きみが注いだ

桃色や青い時間しか信用しない 。

 

そして 私の信じている

全てに対し 信仰は極めて篤く、

きみの為に生きるより外(ほか)もう道はない。

 

(新かな・新漢字に変えたほか、ルビの多くを省略しました。編者。)

 

 

この詩に歌われている女性は

ユウジェニイ・クランツ。

 

ベルレーヌの臨終に立ち会った

娼婦です。

 

鈴木信太郎はこの詩に

50幾歳かの貧乏な醜い蹇(あしなへ)の泥酔詩人を、兎に角死ぬまで世話した女の心は、

仮令、時には老人を棄てたまま、床屋の若衆と出奔したことはあっても、やはり一種の純

情と言えようか。

――とコメントを加えています。

 

晩年の大詩人への

ぎりぎりの賛辞とも取れますが

その声調は低いトーンであることに変わりありません。

 

最晩年の詩として訳出した計5篇を

「この程度、他は推して知るべしである」と記しているところに

翻訳者のスタンスはあります。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

 

 

« 中原中也・詩の宝島/ベルレーヌの足跡(あしあと)/「序曲」の謎・その4 | トップページ | 中原中也・詩の宝島/ベルレーヌの足跡(あしあと)/「序曲」の謎・その6 »

054中原中也とベルレーヌ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 中原中也・詩の宝島/ベルレーヌの足跡(あしあと)/「序曲」の謎・その4 | トップページ | 中原中也・詩の宝島/ベルレーヌの足跡(あしあと)/「序曲」の謎・その6 »