中原中也・詩の宝島/ベルレーヌの足跡(あしあと)/補足1・金子光晴その10
ここまで読んで来ては
ベルレーヌはどこへ行ったやら。
血となり
肉となって
後続する詩人たちのなかに
脈々と流れているというしかないほどに
ベルレーヌはサンボリズムに生き続けています。
こうなったら
毒を食らわば皿まで!?
(※徹底するという意味です。)
「現代詩の鑑賞」を読み切ってしまいましょう。
◇
昭和初期の中原中也まで足を伸ばした詩人は
忘れ物でも思い出したかのように
ベルギーが生んだ神秘主義者、メーテルリンクへ目を向けます。
ファン・エイク
メムリンク
――のような宗教画家
ボッシュ
ブルーゲル・ビュウ
――のような妖怪画家を生み
世界に誇る2人の詩人、
メーテルリンク
エミール・ヴェルハーラン
――をベルギーという国は輩出しました。
◇
メーテルリンクは
「青い鳥」の劇でおなじみですが
詩集は「温室」1冊があるだけです。
フランス語で書かれた詩集ということもあって
金子光晴に親近したのでしょう。
ここではメーテルリンクが
月光派でありフランス・サンボリズムの流れに属するという特徴が
まず指摘されます。
◇
温室
マーテルリンク
森のなかなる温室よ!
永久に閉せるきみが戸よ!
そが円屋根の下にあるもの!
かくてわが心のうちにも、君とおなじきものこそあれ!
饑餓にくるしむ王女の思ひ、
沙漠のなかの水夫の愁ひ、
不治の病にくるしむものの、窓べに聞ゆる楽隊のひびき。
いと温かき隅に行け!
収穫の日に気を喪ひし女とこそはいふべけれ。
病院の庭に駅伝の馭者きたり
鹿狩る猟夫、いまは看護夫に身を成して、かなたはるかに横ぎりゆく。
月の光にながめみよ!
(ものみなは、所をかへぬ!)
審判の場に来て立てる、狂ひし女か。
帆を張りなせる戦艦、運河のうへに浮びいで、
百合にはみゆる夜の鳥
正午にひびく葬り鐘。
(かしこ鐘々のした!)
野のなかに病者の舎営。
晴れし日にエーテルの匂ひ。
ああ、いつの日にか雨あらん
また雪あらん、風あらん、この温室のうち。
(山内義雄訳)
◇
サンボリズムの詩人の特質の一つは、生に対する倦怠感である。
――とこの詩人のスタンスを述べながら
この詩を
汗ばむ、だるい温室のなかの、停滞してうごきのない倦怠感の苦しさを、類似の感覚だけ
をあつめてきて、サンボライズしたもの
――などと読み解きます。
そしてやや唐突にも
メーテルリンクが影響を与えた
日本詩人、西条八十にスポットを当てます。
西条八十は
こんな長い詩も書いていました。
◇
石階
西条八十
暗い海は
無花果の葉陰に鳴る、
蒼白めた夜は
無限の石階をさしのぞく。
一の寡婦は盲ひ
二の寡婦は悲み
三の寡婦は黄金の洋燈を持つ、
彼等ひとしく静かに歩む
彼等ひとしく石階を登る。
海底の宝玉は
深夜に歌ひ、
―妾は夜の波を聴く
―妾は亜麻色の海を見る
―妾は海鳥の叫びに驚く
病める薔薇は
紅き花片を落す。
―絶頂に到らば市府の灯は蕃紅花の如く
―絶頂に到らば市府の雨は真珠の如く
―絶頂に到らば市府の空は血の如きを見む
軽雲は
燐光の如く
海上を駛(はし)り、
一の寡婦は微笑み
二の寡婦は掌を合せ
三の寡婦は黄金の洋燈を擡(もた)ぐ、
彼等ひとしく静かに歩む
彼等ひとしく石階を急ぐ。
夜霧は
五月の花の如く
檣頭に破れる。
―妾は未だ何者をも見ず
―妾は未だ何事をも聴かず
―妾は漸く総てに疲れたり
土蛍は
寂しく彼等の肩に
とまり、
―登れども、登れども、市府の灯を見ず、
―登れども、登れども、空は血に染まず、
菌は
石階に古き日の唄を
うたふ。
一の寡婦は眠り
二の寡婦は涙し
三の寡婦は黄金の洋燈を消す、
彼等ひとしく静かに歩む
彼等ひとしく石階を下る。
蒼白めた夜は
無限の石階をさしのぞく、
暗い海は
無花果の葉陰に鳴る。
◇
西条八十は
この詩にどのような意図を
込めたのでしょうか。
見慣れぬ情景に戸惑いますが
金子光晴の読みに助けられて
この詩の世界にようやく少し近づくことができるでしょう。
◇
この詩は、なんという具体的な生活の背景もなく、まとまった思想のうらうちもないけれど、
よんでいるうちにふしぎな雰囲気(もや)につゝまれ、なにもしない前から、世代の疲れのよ
うなものを、いやいやでも受取らされる。そして生と死の薄明にまで、つれてゆかれる。ト
リックといえばトリックだが、そこで、死の世界と無言の問答をとりかわす、神秘な巫女たち
のゼスチュアにであって、魔術にまきこまれる。
◇
以上のように読んで
これは、そっくり、メーテルリンクの無言劇の舞台だ。
――と案内するのです。
具体的な生活の背景がない
まとまった思想のうらうちもない
ふしぎな雰囲気(もや)
生と死の薄明
トリック
神秘
巫女(みこ)
魔術
――といった語が鍵になります。
◇
石階は
いしだん、いしきだ、いしばし、いしばしご、きざはし、きだはし、せきかい、せっかい
――などという読み方が知られています。
この詩は、付け加えるならば
「唄を忘れた金糸雀(かなりや)は……」で有名な
「かなりや」が収められた第1詩集「砂金」にあります。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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