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2018年10月18日 (木)

中原中也・詩の宝島/ベルレーヌの足跡(あしあと)/補足1・金子光晴その5

 

 

金子光晴の「現代詩の鑑賞」から

ベルレーヌに言及した部分を取り出そうとしましたが

ベルレーヌはあちこちに顔を出すものですから

「翻訳詩の影響」

「日本の月光派の詩人たち」

――の章を通しで読んでしまうことになりました。

 

ベルレーヌが

日本の象徴詩に与えた影響は

さながら枯野に火を放つ勢いがありました。

 

堀口大学の「月下の一群」は

発火点となり

さらに火の勢いを加速させる

マッチ&ポンプの役割を果たしました。

 

金子光晴は「月下の一群」という

堀口大学の命名の妙(うまさ)を喝采し

フランス以外の

世界の月下の群れへも目を向けます。

 

 

まずはイギリスのイエーツは

「落葉の歌」(日夏耿之介訳)

「叡知は時と階に来る」(同)

――を読み

 

次にドイツのデーメルは

「秘密」(生田春月訳)

――を読みます。

 

デーメルは

ドイツのベルレーヌと称されるそうなので

目を通しておきましょう。

 

 

秘密

 

暗き峡谷に

月はかへりぬ。

滝の辺に歌ふ声あり。

おお、愛するものよ

汝が上もなき快楽も

汝がいと深き苦痛も

わが幸福(さち)なりと――

 

(中央公論社「金子光晴全集」第10巻「現代詩の鑑賞」より。以下同。)

 

 

つぎにロシアのバリモントは

「月の悲しみ」。

 

以上の3人は

フランス・サンボリズムの流れを汲んだ

月下の一群ということで

ピックアップされました。

 

 

そのフランス・サンボリズムの巨匠というべき

ボードレールを上田敏訳で読み込むのは

詩人、金子光晴の考えがあるからです。

 

 

信天翁(おきのたいふ)

      シャルル・ボオドレエル

 

波路遥けき徒然(つれづれ)の 慰草(なぐさめぐさ)と船人(ふなびと)は、

八重の潮路の海鳥の 沖の大夫を生擒(いけど)りぬ

楫(かじ)の枕のよき友よ 心閑けき飛鳥かな、

奥津潮騒すべりゆく 舷(ふなばた)近くむれ集ふ。

 

たゞ甲板に据ゑぬれば げにや笑止の極なる。

この青雲の帝王も、足どりふらゝ、拙くも、

あはれ、真白き双翼は、たゞ徒らに広ごりて、

今は身の仇、益(よう)も無き 二つの櫂と曳きぬらむ。

 

天飛ぶ鳥も、降(くだ)りては、やつれ醜き痩姿(やせすがた)、

昨日の羽根のたかぶりも、今はた鈍(おぞ)に痛はしく、

煙管(きせる)に嘴(はし)をつつかれて、心無(こころなし)には嘲けられ、

しどろの足を摸(ま)ねされて、飛行(ひぎょう)の空に憧がるゝ。

 

雲居の君のこのさまよ、世の歌人に似たらずや、

暴風雨(あらし)を笑ひ、風凌ぎ猟男(さつお)の弓をあざみしも、

地の下界にやらはれて、勢子の叫に煩へば、

太しき双の羽根さへも 起居(たちい)妨ぐ足まとひ。

                     (海潮音)

 

(※ルビは一部を省略、現代かなに改めました。編者。)

 

 

信天翁は、あほうどりのことです。

 

(【由来】天に信(まか)せて一日中同じ場所で魚が来るのを待っている翁(おきな)のような

白い鳥の意。漢字ペディアより。)

 

この鳥は、

ボードレールばかりでなく

多くの文学作品の題材にされるあわれな海鳥ですが

信天翁と書いて「あほうどり」と読むことは知られていても

なぜこの漢字が当てられるのかは

あまり知られていないことなので

ここにネットの威力をかりて注釈しておきました。

 

 

金子光晴がこの詩を呼び出したのは

この詩の考え方が

ボードレールより以前の

ロマンチシズムの詩人、ミュッセの「五月の夜」という長詩にも出てくることを

述べたかったからであるといって

「五月の夜」の内容を要約して説明します。

 

この長詩の後半部。

 

 

1羽の母のペリカンが、荒涼たる夜の洲をさがしあるくが、1尾の小魚さえみあたらず、うえ

ながら巣にもどってくる。巣にはたくさんのペリカンの子供たちが、母のもってくる餌を待ち

かまえている。ペリカンは、なにも与えるもののない悲しみから、遂に大きな嘴で胸をやぶ

り、じぶんの心臓を出して、子供達にやる。

 

丁度詩人はこの親のペリカンのようなもので、民衆のためじぶんを犠牲にする悲劇的な存

在だというのである。

 

 

ミュッセの詩を案内して

15世紀のヴィヨンが

「去年の雪いまはたいずこ」と歌ったことにふれ

 

ロシアのプーシキン(1799~1837)も、

ドイツのゲーテも、ハイネも、

イギリスのシェークスピアも、

印度の古詩も、

オンマ・ハイヤムも、

杜甫も白居易も

影とかたちのうつってゆくのをかなしまない詩人はいない。

そんなイミで、

詩人はみんな月下の群かも。

――と遠大な詩の歴史の中に位置づけてみせるのです。

 

 

ボードレールの引用のねらいを

このように案内する合間に

実はもう一つ重要な発言を

これは( )に入れて記しているのを

省略するわけにはいきません。

 

その( )の中の部分は

上田敏の訳は上手な雅語をたくみに使って、まず成功の部類のものである

――を補足する形になっています。

 

 

大体、当時の翻訳者は雅語のこうした使い廻しを一応当然と考えていたことと察しられる。

ボオドレエルにしても、ヹルレエヌにしても、ちゃんと、古来の詩の韻律をふみ、正式な詩

型にはめて作っているので、日本の正式な韻律を七五調ときめていた新体詩全盛の時代

で、そう思うのは、まことに無理もないことであるが、複雑多様で、千変万化に耐えうる欧

米の詩の形式と、単律な七五調を一つにして考えたところに、ひどい無理があり、その無

理が、両詩を味わい鑑賞する時の自由さまでも、制限してしまうことになったのだと考えら

れる。

 

 

上田敏のボードレール翻訳について

どうしても以上の( )内のことを

詩人は言っておきたかったのでしょう。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

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