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2018年10月14日 (日)

中原中也・詩の宝島/ベルレーヌの足跡(あしあと)/補足1・金子光晴その4

 

 

この精神は

――と金子光晴が続けるコメントは

月光派の精神のことを指示しています。

 

 

この精神は、究極はカトリックの神に籍をあずけたフランスの民の生活の地下水となって

流れ、第1次世界大戦直後の巴里に僕が遊んだときも、フランス人の「恋愛」至上主義の

甘ったるいポーズや、恋人同士のさゝやく言葉のなかに汲みとれるものであった。

 

シネマもそうだったし、ボードビルも、レヸュウも、シャンソン(ダミヤや、リュシャン・ボアイエ

も)も、ヹルレエヌをながれていたおなじ情緒が、俗化され、型になって、お粗末ながら蒸し

返されているのだった。

 

(中央公論社「金子光晴全集」第10巻「現代詩の鑑賞」より。改行を加えてあります。編者。)

 

 

ベルレーヌ風の詩のこころは

フランスの恋人たちの会話や

シネマ、ボードビル、シャンソンといった大衆芸術に

浸透していた時代があったというから驚きです。

 

いや、驚くことではないのでしょうか。

 

たとえば古典のようにして

現在も歌い継がれるシャンソンの恋歌の数々には

ベルレーヌそのもの

あるいはベルレーヌの俗化したもの

――と言えるような

月光派のこころが流れているのでしょうか。

 

その答えを、

ベルレーヌは日本へも入ってきた

――と金子光晴は記して

日本の月光派の詩人たちにスポットを当てていきます。

 

この流れは次の小題「日本の月光派の詩人たち」で

くわしく紹介されますが

ここではあらましだけを見ておきましょう。

 

 

日本のサンボリストの流れは

「海潮音」

「珊瑚集」

――という二つの訳詩選集が仲介者となった。

 

アルベール・サマンは

ボードレールとベルレーヌの中間に位置し

サンボリズムの見本のような詩を書いた、

そこに、レニエもいる。

 

これ等の詩人の詩が

金子光晴の中学校卒業時代にあり

文学青少年の心をとらえていた。

 

上田敏の「海潮音」は

藤村、酔茗、晩翠らの新体詩を

時代の後方に押し出してしまう

新しい運動の萌芽になった。

 

サンボリズムは

蒲原有明がまず実践したが

金子光晴の時代には

有明人気は落ち目にあり

北原白秋、三木露風の二人が

白露時代を走っていた。

 

 

北原白秋の「邪宗門秘曲」は傑作だ。

この詩も「海潮音」の指嗾(しそう)なしには

生まれなかった。

 

マラルメの上田敏訳「ソネット」を

ここで読んでみると

上田敏訳は

雅文が、原詩のうえを撫でている丈で

雅文の世界から遠い僕らには

はっきりしたイメージがとらえられない。

 

七五調新体詩型のなかに

きゅうくつにつめこまれた言葉が

言葉の屍としてるいるいと積まれているだけだ。

 

「邪宗門」も

新体詩型の制限のなかにある。

 

「邪宗門」のとりえは、

白秋のエキゾシズム。

そのディレッタニズムは一世を風靡する理由があった。

 

「東京景物詩」

「梁塵秘抄」

「水墨集」

――という巡歴は

気散じの道楽旅に過ぎなかった。

 

白秋の本領は

小唄作者であった。

 

空に真赤な雲のいろ。

玻璃に真赤な酒の色。

なんでこの身が悲しかろ。

空に真赤な雲の色。

――のような小曲は

誰にでも口ずさめる調子のよいもので

多くの青年が鼻唄のように口ずさんだものだ。

 

 

白秋の友人であった木下杢太郎の

「金粉酒」も江都情調

いいかえればエキゾチズムを

白秋以上にたたえた詩を書いた。

 

これもボオドレエル、サマン、レニエの影響だ。

 

 

白秋と並び称せられた三木露風を見てみよう。

 

「雪の上の鐘」

これも「珊瑚集」や「海潮音」によく似ているではないか。

 

「すたれし声」

ベルレーヌの世界であり

レニエの常套だ。

 

フランス・サンボリズムのそのままだ。

 

日本の詩壇の新しい出発点であったサンボリズムが

新体詩流雅語の翻訳によって決定されていたことが

これらから理解できる。

 

新鋭、朔太郎が

露風一派を撲滅せよと論文を書いた背景もここにあった。

 

露風が主宰していた雑誌「未来」には

詩壇の過半数が集結していたのだし

朔太郎が露風の詩を屍蠟のようなものと感じていたのも

理由がないことではなかった。

 

三木露風は

原詩のつきつめた勉強をなまけたところに

とんでもないミスがあったのだ。

 

 

こうして日本の月光派についての足どりを追ってきて

日本の詩のほんとうのイミの産婆役は

川路柳虹であると僕は信じている

――とやや唐突に現れるのが

川路柳虹です。

 

「吐息」

「秋」

――を読むのは

露風との対比で出てくる必然があります。

 

 

     川路柳虹

 

秋は昔の恋人のように

忘れた心になつかしく寄ってくる、

今は忘れはてた面、

その面変った瞳に、

薄い夕月がさす。

 

秋は芙蓉色の夢に、

くりいむの溶けた空に、

悲しい木立をそよがせ、

さむしい笛をおくる。

 

 

この詩も、あいかわらずベルレーヌだ。

 

秋の木の葉と月光のなかの、

おもいでのサンチマンであることは間違いない。

 

それを原詩で味わっているし

露風の名調子ではないが

自分の感情生活に直接な言葉で

実体をとらえようとしている。

 

こうして

露風批判の後で川路柳虹を呼び出し

その流れで呼び出すのは

堀口大学の「月下の一群」ですが

ここでは「月下の一群」という

呼称(ネーミング)のうまさについてです。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

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