カテゴリー

2024年1月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ

« 2018年10月 | トップページ | 2018年12月 »

2018年11月

2018年11月29日 (木)

中原中也・詩の宝島/ベルレーヌの足跡(あしあと)/補足2・橋本一明の読み・その6

 

 

橋本一明が訳した

ベルレーヌの詩「神さまが私に言った……」を読み進めましょう。

 

 

 

私を愛さなければならない! 私こそ普遍の《くちづけ》

私こそおまえの語るその瞼 私こそその唇だ

おお したしい病人よ おまえをゆさぶっているその熱は

それも私だ! さあ 私を愛さなければならない

 

そう 私の愛は 山羊のようなおまえのあわれな愛が

よじのぼりえないところまで まっすぐにたちのぼり

荒鷲が兎をさらってとぶように なつかしい空のせまって

水をそそぐ 百里香(ひゃくりこう)の茂みのほうへおまえをはこぼう

 

おお 明るい私の夜! おお 月光を浴びたおまえのひとみ!

おお たそがれのあわいに 光と水のあの臥床(ふしど)!

この無邪気さ そして この憩いの祭壇!

 

私を愛せ! この二語が私の至高の言葉だ なぜなら

おまえの全能の神ゆえに 私はのぞむことができるが

第一に私がのぞむのは おまえに私を愛させることが“できる”ことのみ

 

 

――主よ あんまりです! 真実私にはできません だれを愛すると? あなたを?

おお いけません! 私はふるえます おお あなたを愛することはできません

私はのぞまないのです! その価値がないのです あなた

愛の清らかな風に咲く巨大な《バラ》よ おお あなた

 

すべての聖者らの心よ おお

イスラエルのねたむものだったあなた

なかば開いた無邪気の花のうえのみに憩う貞潔な蜜蜂よ

なんと 私があなたを愛しえますと? 狂っているのですか?

 

父よ 子よ 精霊よ この罪びとが この卑劣なものが

このおごれるものが つとめのごとくに悪をなし

嗅覚も 触角も 味覚も 視覚も 聴覚も

 

すべての感覚のうち 全存在のうち――そして ああ!

その希望 その怨恨のうちにすら ただひとつ 古い

アダム一身の身をこがす愛撫の恍惚をのみいだく私が?

 

(角川書店「世界の詩集8・ヴェルレーヌ詩集」より。ルビは大半を省略し、傍点は“ ”で示しました。編者。)

 

 

奇数節にイエス、偶数節に私が

交互にあらわれる

ダイアローグの形に作られた詩です。

 

各節は

きっちりとした4-4-3-3行の

ソネットに作られています。

 

 

この罪びと

この卑劣なもの

このおごれるもの。

 

アダムがそうであったように

愛撫の恍惚のみに身をこがす私が

どうして主よ、あなたを愛することができましょうか

――という私(=詩人)が

どのようにして愛する人になっていくのか

少しづつこの詩の世界が

身近になっていきます。

 

 

橋本一明は

四の第2詩節《イスラエルのねたむ者》に注を加え

旧約の

《主はその名をねたむ者とよびてひとり愛せられんことを欲したまう天主なり》

――を参照するように記しています。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2018年11月28日 (水)

中原中也・詩の宝島/ベルレーヌの足跡(あしあと)/補足2・橋本一明の読み・その5

 

 

 

神さまが私に言った……

 

 

神さまが私に言った 《わが子よ 私を愛さねばならぬ

おまえには見えている つらぬかれた私のわきばらが

かがやいて血を流す私の心が マドレーヌが涙で洗う

傷ついた私の足が おまえの罪の重みを支えてくるしんでいる

 

私の腕が  私の両手が! おまえには見えている 十字架が

釘が また胆汁が 海綿が そしてすべてがおまえに教える

肉の支配するこのくるしい地上にあっては

ただ私の肉と私の血 私の言葉と私の声のみを愛せよ と

 

私は死にいたるまでおまえを愛しはしなかったか?

おお 《父》による兄弟よ 精霊によるわが子よ

私は書(ふみ)に記されたるごとくくるしみを受けはしなかったか?

 

私はおまえのさいごのくるしみをしずかに泣きはしなかったか?

おまえの夜ごとの汗を 汗ばみ流しはしなかったか?

おお 私のいるところで私をさがしもとめているいたましい友よ》

 

(角川書店「世界の詩集8・ヴェルレーヌ詩集」より。原作のルビのほとんどを省略しまし

た。編者。)

 

 

以上は

橋本一明訳の「かしこさ」にある詩の

冒頭節です。

 

ベルレーヌの詩に親しんでいて

名作の誉れ高い「叡智」(これは河上徹太郎の訳)ですが

どうにもとっつき難く

また今度読もうまた今度にしようと敬遠していたところ

橋本一明のこの訳にであって

最後まで一気に読んでしまいました。

 

この詩が

「ヴェルレーヌ詩集」の中でも

最も長い詩であることに気づいたのは

読み終わってからのことですが

イエスの物語をほとんど知らない者にも

ベルレーヌのこの詩は

わかりやすく神さまの言葉を伝えてくれるし

橋本一明の翻訳の平明さを心がける意図が理解できたことを

まずは記しておこうと思いました。

 

 

この詩に付された

橋本一明の注を記しておきます。

 

 

第1詩節《マドレーヌ》はイエズスの死と埋葬に立ち会ったマグダラのマリアのこと。第2詩

節《十字架》《釘》《胆汁》《海綿》はいわゆる受難道具、イエズス受難の際に用いられたも

ので、信仰の対象になっている。

 

 

第1節に親しみを感じられれば

次の第2節へも

自然な姿勢で読み進むことができるでしょう。

 

 

私はこたえた 《主よ あなたは私の魂を語りたもうた

私があなたをさがし なお見つけていないのは真実です

しかしあなたを愛せよとは! ごらんください 私の

いかに低きにおりますことか その愛がいつも炎のようにたちのぼるあなた

 

あなた あらゆる喉の渇きにもとめられる平和の泉よ

ああ! ごらんください 私のみじめなたたかいのかずかずを!

けがわらしくもはいずりまわって血を流したこの膝をつき

この私があなたの足跡を崇(あが)めまつるというのでしょうか?

 

しかし私は長いあいだまさぐってあなたをさがしもとめております

せめてみ影に私の恥辱をおおっていただきたいのです しかし

おお 愛のたちのぼるあなた あなたには影がありませぬ

 

おお あなた しずかな泉よ 己(おのれ)の断罪を愛するものにのみ

にがい泉よ おお あなた ただ罪の重いくちづけに

瞼(まぶた)をとじるひとみをのぞき あまねくかがやくすべての光よ!》

 

 

全部で9節(第7節はソネット3篇、第9節は1行のみの構成)の詩に

何回かに分けて目をとおしましょう。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2018年11月22日 (木)

中原中也・詩の宝島/ベルレーヌの足跡(あしあと)/補足2・橋本一明の読み・その4

 

 

橋本一明訳のベルレーヌを

もう一つ読みましょう。

 

中原中也もこの詩の翻訳を試みていますが

未完成に終わったものです。

 

 

たおやかな片手の……

               ひびきもたかいクラヴサンの

               ついてはなれぬにぎわしい楽の音

                          ペトリュス・ボレル

 

たおやかな片手のくちづけるピアノ

バラ色の灰色の日暮れのなかに そこはかとなくかがやいて

さとひとつ いとかろやかやな羽の音 それといっしょに

いと古い いと弱い いと愛らしい しらべが

《あのひと》のうつり香ながい寝間のうちを

つつましく おずおずとまで まわりさまよう

これは何 このにわかなゆりかごは何 しずかに

しずかに 私のあわれな存在をいたわって?

どうしてもらいたいの? 陽気なやさしい歌よ

小屋にむかってわずかに開いた窓のほうへ

ともすればきえてゆく さだめないルフランよ

どうしたかったのだ? うつくしい かぼそい ルフラン

 

(角川書店「世界の詩集8・ヴェルレーヌ詩集」より。)

 

 

この詩は

「言葉なき恋歌」のなかの

「忘れられた小唄」におさめられています。

 

有名な「巷に雨が降るように」という

ランボーの詩行をエピグラフにした詩の

次に配置されていますが

このあたりに連続する詩篇について橋本一明は

やや詳しい注釈を加えています。

 

 

《ちまたに雨のふるように……》ではじまる有名な詩篇は、ロンドンの作といわれる。傍題

に引かれたランボーの原詩はまだ発見されていない。

 

この詩をはさんだ前2篇、後1篇、計3篇の詩篇は、72年の作か、その後のその気持の持

続の上で作られたものと考えられる。その頃1か月半にわたってヴェルレーヌはマチルドに

去られ、彼女の心をとりもどそうと努めていた。だからこれらはその心から生まれたものと

言えそうだ。

 

これらの詩篇はランボーによって生まれたと考えらるのがふつうだが、それでもさしつかえ

ないだろう。少なくともヴェルレーヌはそう読まれてもよいと考えていたと思われる。

 

(同上。改行を加えました。編者。)

 

 

このように記したのは

詩集「言葉なき恋歌」自体への

橋本一明独自の読み(解釈)があったからでした。

 

「言葉なき恋歌」へ付した

橋本一明の注釈もあわせて読んでおきましょう。

 

 

この詩集はよくランボーの影響下に生まれたといわれる。しかし、この詩集の主題が直接

間接にランボーだと考えるのは、必ずしも当をえてはいない。『ベルギー風景』を除けば、

主題を提供したものは大部分の場合マチルドだったと思われる。

 

しかし、作詩の衝動が何だったかを探索してみても、詩を楽しむためのたしにはならない。

詩というものは、作者自身、できてしまったあとで、これは別物ではないかという驚きを感じ

たとき、はじめて完成するのだから。

 

しかも、細部に至るまで素材の多義性を残したままひとつの完成体を作るということこそ、

ヴェルレーヌがめざした詩法だった。だから、縹渺(ひょうびょう)とした、茫漠(ぼうばく)とし

た、曖昧(あいまい)でしかも透明度を失わないこれらの詩篇を、そのものとしてぼくらは楽

しめばいい。

 

(同上。)

 

 

これらの注に偶然に巡り合ったのですが

橋本一明の詩に対する態度が表明されていて

びっくりするほどです。

 

橋本一明が

学者である側面の陰に

詩人の一面をのぞかせているところにぶつかり

なんだか得をしたような気分になりました。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2018年11月19日 (月)

中原中也・詩の宝島/ベルレーヌの足跡(あしあと)/補足2・橋本一明の読み・その3

 

 

 

橋本一明がランボーに巡り合ったのは

原口統三を通じててあったのでしょうか

原口を知る以前のことだったのでしょうか。

 

そのことはおいおいわかって来ることでしょうけれど

ベルレーヌと巡り合ったのは

ランボーを通じてであったことは

間違いないことでしょう。

 

橋本一明が

ベルレーヌをどのように読んだのかを知るには

どのように翻訳したのかを見ることが第一ですし

最終的にも評論よりも翻訳を読むことですから

なにがなんでも

まずは翻訳を一つでも読んでみましょう。

 

 

空は 屋根のむこうに……

 

空は 屋根のむこうに あんなにも

    青く しずかです

一本の木が 屋根のむこうに てのひらを

    ゆすっています

 

いま見える あの空に 鐘の音が

    しずかに わたり

いま見える あの木の上に 一羽の鳥が

    嘆きの歌を うたっています

 

神さま 神さま 人生はあそこにあります

    素朴に また おだやかに

あの平和な ざわめきは 町から

    きこえてくるのです

 

――おお そこにたえまなく泣いているおまえ

    どうしてしまった

お言い そこにいるおまえ おまえの青春を

    どうしてしまった?

 

(角川書店「世界の詩集8・ヴェルレーヌ詩集」より。)

 

 

この詩は

1873年、ランボー銃撃の科(とが)で下獄し

2年間をモンス監獄での暮らしを余儀なくされるなかで

書きはじめられたものの一つですが

詩集は1881年に出版されましたから

出獄後の作品も収められています。

 

というわけですから

詩人は鐘の音を獄にあって聴いているとも

獄の外にあって聴いているとも

どちらにも受け取ることができます。

 

どちらにしても

来し方(人生)を振り返って

にじみ出てくるような深い後悔の気持ちが

まるで1枚の絵を眺めるかのように

くっきりとした輪郭のなかに捉えられています。

 

どうしてしまったんだお前、お前の青春。

 

 

振り払おうとしても振り払おうとしても

決して消え去らない後悔の中にある詩人は

けれども自己を見棄てていません。

 

空が

屋根のむこうに

青くしずか

 

一本の木が

屋根のむこうで

揺れている

 

鐘の音が

空をわたる

 

木の上で

一羽の鳥が

嘆きの歌を歌っている

 

――というだけが歌われているのは

ありきたりの風景ですが

ありきたりの風景を歌う詩は

神さまに呼びかけるときに

なんらかの変成を生むのでしょうか?

 

 

神への祈りが

まったく自然な流れのなかで歌い出されることによって

この詩に立ちのぼってくる悔いの深さは

グンと緊張感を帯びることになりますが

そのことばかりではないところに

この詩が人々を鷲づかみにしてしまうパワーがあります。

 

ありきたりの風景を

ありきたりにさせない詩の力は

ではいったいどこから来るものでしょうか。

 

そのようなことを考えながら

この詩を味わう姿勢になっているのは

何がさせるのでしょうか。

 

 

「知恵」「叡智」「智慧」などと訳される詩集を

橋本一明は「かしこさ」と訳し

つとめて平易な日本語にしようとしたことと

そのことは関係しているようです。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2018年11月16日 (金)

中原中也・詩の宝島/ベルレーヌの足跡(あしあと)/補足2・橋本一明の読み・その2

 

 

 

橋本一明(1927年~1969年)の名は

ランボーやヴェルレーヌの翻訳者である前に

自殺した一高生、原口統三(1927年~1946年)の同僚であり

原口の遺稿集「二十歳のエチュード」の解説者であった

――という方が通りやすいことでしょう。

 

橋本一明は

フランス文学者になる以前に

この遺稿集の編集の仕事を

中心的に負うことになり

それが文学者としての出発になりました。

 

原口が逗子海岸で入水自殺したのは

1946年10月末でしたから

戦後1年のことになります。

 

期せずして橋本一明は

戦後の早い時期に文学的出発を果たした

――とこのことをもっていえることができるでしょう。

 

 

「二十歳のエチュード」は

1952年に角川文庫として発行されましたが

その前にも、二つの出版社から発行されたことが

橋本一明の解説にありますから

調べてみると

二つの出版社とは

書肆ユリイカと前田書店のことでした。

 

 

学究の道を歩んだ橋本一明は

1969年、肺癌によって

志半ばで他界します。

 

1971年に刊行された

「橋本一明評論集 純粋精神の系譜」(河出書房新社)は

翻訳をのぞく橋本一明の仕事を

新聞や雑誌に発表された評論や

未発表の著作とともに編集したものです。

 

 

目次と発表書誌を見ておくと――。

 

ランボーをめぐって

     1954年9月 ジャック・リヴィエール「ランボオ」(人文書院)

 

『地獄の一季節』の諸問題

     制作日不明、未発表

 

ランボ-と社会主義

     1958年10月「ユリイカ」

 

『悪の華』序論

     1957年7月「ユリイカ」

 

ヴェルレーヌ

     1966年11月『ヴェルレーヌ詩集』(角川文庫)

 

詩の形について

     1968年5月「季刊藝術」

 

シュペルヴィエル試論 夜を物語る詩人

     1960年7月「ユリイカ」

 

ルイ・アラゴン論 その評価の一面

     1955年12月『現代フランス詩人集Ⅰ』(書肆ユリイカ)

 

マルローの変貌

     1965年12月「りいぶる」

 

不幸への捨身 シモーヌ・ヴェーユ

     1966年9月「世界文学」4号

 

Ⅳ 

日本における純粋精神の系譜

     1959年4~5月「早稲田大学新聞」

一つの死から

     1958年7月「ユリイカ」

“すずめ”との対話 一インテリゲンチャの懐疑

     1963年12月「世代」

 

解説

思い出と一緒に ――Ⅰの解説 渋沢孝輔

純粋への志向――Ⅱ・Ⅲの解説 菅野昭正

原口統三の死・橋本一明の死――Ⅳの解説 中村稔

 

――という内容です。

 

ここに収録されていない著作も

発表・未発表ともに幾つか存在するようです。

 

これらのうちから

ベルレーヌへの言及を拾ってみることにしましょう。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2018年11月13日 (火)

中原中也・詩の宝島/ベルレーヌの足跡(あしあと)/補足2・橋本一明の読み・その1

 

 

金子光晴の「現代詩の鑑賞」を読んでみれば

ベルレーヌが日本の現代詩に

どれほどの影響を与えたかを

だいたいはつかんだように思えてきます。

 

とはいえそれは

金子光晴という

一個の強烈な個性がとらえたベルレーヌですから

それで全容だということにはならないのは

いうまでもないことですが。

 

 

野村喜和夫の「ヴェルレーヌ詩集」(思潮社)には

戦後のベルレーヌ翻訳者として

学者、橋本一明を登場させていますが

金子光晴とは異なったベルレーヌがとらえられてあり

この詩集の中では

現在に最も近くにつながる読み手ですから

放っておくことはできません。

 

ところが橋本一明訳編になる角川文庫の「ヴェルレーヌ詩集」は

文庫本で、鈴木信太郎訳編、堀口大学訳編と並びますが

極めて手に入りにくい状態で

昭和41年(1966年)発行で定価120円が現在、

Amazonの古書で9900円

「日本の古本屋」で2000円、3000円

図書館にも置いていないところがあるほどです。

 

同じ角川から出ている「世界の詩集8・ヴェルレーヌ詩集」(1967年)は

文庫版とほぼ同一内容で

こちらは比較的に入手しやすく

橋本一明の翻訳やベルレーヌ研究を

一般の読者が読むことができる数少ない接点です。

 

 

中原中也の詩の流れに

ベルレーヌの足跡がどのように刻まれているか。

 

中原中也はベルレーヌをどのように翻訳したか

どのように読んだかをたどっているうちに

いつしかそれは日本の現代詩のベルレーヌ受容の歴史をたどることになり

フランス・サンボリズム全体の流れをたどることになり

金子光晴のまなざしを介してそれを見てきたのですが

ここで橋本一明のベルレーヌ読みを

少しみておくことにしましょう。

 

橋本一明のベルレーヌが

ランボー読み(翻訳と研究)と絡まり平行しながら

進められていることは特徴の一つですが

もう一つは

晩年のベルレーヌへの眼差しに

堀口大学や鈴木信太郎とは違った角度があることでしょうか。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2018年11月 1日 (木)

中原中也・詩の宝島/ベルレーヌの足跡(あしあと)/補足1・金子光晴その11

 

 

メーテル・リンクと西条八十を案内し終えて

そろそろ象徴派を切り上げようとした金子光晴が

重要なサンボリストとして一言だけ触れておきたいとして

挙げるのが

 

ジャン・モレアス

フランシス・ジャム

ポオル・クローデル

ステファン・マラルメ

ポオル・ヴァレリー

――の5人です。

 

これら5人はともに

名声が盛んだった割には

日本人の間に浸潤することがなかったために

追随者を持たなかったことが指摘されます。

 

 

ジャン・モレアスはギリシア人で

感傷的な月光派ではないものの

詠嘆的なニヒリスティックなものの考えかたが

サンボリストに共通しているということで

代表的な詩集「章句(スタンス)」から紹介。

(ここでは省略。)

 

フランシス・ジャムは

ピレネーの山間に住みつづけ

都会の陋巷に酒と女に沈湎し彷徨していた月光派とは遠く

そのゆえにずっと神のそばを去らないで済んだ詩人として

次の作品を読みます。

 

 

私は驢馬がすきだ

 

私は、柊の籬にそつて歩いてゆく

いかにもやさしい驢馬がすきだ。

 

蜜蜂に気をとられては

耳をうごかし、

 

あるひは貧しい人達をのせ、

あるひは燕麦で一杯の嚢を運ぶ。

 

溝のそばにさしかかると

よちよちした足取りで歩いてゆく。

 

恋人は、驢馬を馬鹿だと思つてゐる。

何しろ驢馬は詩人だから。

 

いつも考へ込んで

その眼は天鵞絨(びろうど)。

 

心やさしいわたしの少女よ

お前には驢馬ほどのやさしさがない。

 

何しろ驢馬は主のおん前にゐるのだもの、

真青な空をうつしたやさしい心の驢馬なのだ。

 

疲れはて、いかにも哀れな様子をして

驢馬は小舎のなかにゐる。

 

その小さな四本の足を

思ひきり疲れさせてしまつたのだ。

 

朝から晩まで

驢馬は自分の務をはたした。

 

ところで少女よ、お前は一体何をした?

なるほど、お前はお針をしたつけ……

 

ところで驢馬は怪我をした。

蠅の“やつ”めに刺されたのだ。

 

随分働く驢馬をおもふと、

思はず“ほろり”とさせられる。

 

少女よ、お前は何を食べた?

――お前は桜実を食べたつけな。

 

驢馬は、燕麦をもらへなかつた。

何しろ主人は貧しいので。

 

驢馬は綱をしやぶつて、

かげへ行つて寝てしまつた……

 

お前の心の綱には

この綱だけの甘さがない。

 

柊の籬にそつて歩いてゆく

これはやさしい驢馬なのだ。

 

わたしの心は“なやましい”、

かうした言葉を、おそらくお前は好きだらう。

 

可愛い少女よ、言つておくれ、

一体私は、泣いてゐるのか笑つてゐるのか?

 

年寄りの驢馬のところへ行つて

どうかかう言つてもらひたい。

 

私の心も驢馬のやうに

朝、路のうへを歩くのだ、と。

 

可愛い少女よ、驢馬にお聞き、

一体私は、泣いてゐるのか笑つてゐるのか。

 

おそらく返事はしないだらう。

驢馬は暗いかげのなかを、

 

やさしさで心を一杯にしながら

花咲く路を歩いて行くにちがひない。

 

             (山内義雄訳)

 

(一部にルビを振りました。原作の傍点は“ ”で示しました。編者。)

 

 

なんとやさしいこころの驢馬だろう!

――と感嘆したくなる、

このような愛の心をカトリシズムというのでしょうか。

 

金子光晴は

カトリック的な素朴なヒューマニズムが、所謂「アベの詩人達」、デュアメルや、ギルドラック

や、マルチネのような連中によって、第一次大戦の苦さのあとでフランス詩界によみがえら

されたとき、ジャムは、巨人となった。

――とこの詩人を案内します。

 

同じ、知的なカトリック詩人、ポール・クローデルについても

駐日大使として日本に滞在し

日本の文人たちと交友がありながら

日本人が影響を受けることが少なかったのは

日本人にカトリシズムが理解しにくいことのうえに

日本の詩壇がまだ貧しすぎて

クローデルの文学を受け入れる態勢になかったなどの原因を述べます。

 

 

難解であり、翻訳に成功したものが少ないと

紹介されるのがステファン・マラルメ。

 

「現代詩の鑑賞」のうちの「象徴派を鑑賞しながら」は

ベルレーヌを筆頭に取り上げたのですが

月光派への流れを辿るのに重心が置かれたために

ベルレーヌと並び称されるマラルメは後回しにされていました。

 

フランスのサンボリストの詩を鑑賞するということで

ここで初めてマラルメをフォローすることになりました。

 

 

海の微風

 

肉体は悲し、ああ、われは、全ての書を読みぬ。

遁れむ、彼処に遁れむ。未知の泡沫と天空の

央(さなか)にありて 群鳥の酔ひ癡れたるを、われは知る。

この心 滄溟深く涵されて 引停むべき縁由(よすが)なし、

眼(まなこ)に影を宿したる 青苔古りし庭園も、

おお夜よ 素白の衛守固くして 虚しき紙を

照らす わが洋燈の荒涼たる輝きも、

はた、幼児に添乳する うら若き妻も。

船出せむ。桅檣(ほばしら)帆桁を揺がす巨船、

異邦の天地の旅に 錨を揚げよ。

“倦怠”は、残酷なる希望によつて懊悩し、

なほしかも 振る領布(ひれ)の最後の別離を深く信ず。

かくて、恐らく、桅檣は 暴風雨(あらし)を招んで、

颱(はやて)は 忽ち 桅檣を難破の人の上に傾け、藻屑と

消えて、帆桁なく、桅檣なく、豊沃なる小島もなく

……

さはれさはれ、おお わが心、聞け 水夫の歌を。

 

(※この翻訳はだれのものか明記されていません。編者。)

 

 

マラルメのような詩には、むずかしい意味がつきやすい

それが解説の困難をまずは物語っている

丁度、テーマのある純粋音楽みたいなもので

わかりやすく言えば

言葉と言葉の相関作用から心が直接発見するものがあるだけ。

 

アレゴリー的な意味などないのだ。

 

言いかえれば、この言葉の最初から最後までのつながりが思想の全部で、他に抽出する

ものはなにもないのだ。

――とマラルメという詩人の詩の在り方にふれ

その接し方のコツをまずは喚起します。

 

そしてこの「海の微風」は

僕らの生の遠方からの涼しい微笑の誘い

――ととらえて

冒頭の「肉体は悲し」以下

中ごろの「船出せむ」以下の2節に分けて

詩人の読みを披瀝して見せてくれます。

 

ここは要約できないところですし

マラルメの詩の読解にめったにお目にかかれるものではないので

そのままを引きましょう。

 

 

「肉体は悲し」ということばは、すでに、肉体が亡びゆく仮の仮なるものである故に悲しいと

いう、ふるい観念によって説明することも不用なのだ。肉体の悲しさはもっと直接で、本然

的な悲哀である。すべての書を読んで疲れたからだを、いずくへか逃れゆこうとする要望。

疲れたからだなればこそふかぶかとみえる天空、白雲の泡立っている海空のもっともふか

い淀は、陶酔のふかみで、海鳥が酔い惚けて、みだれおちてくる。そのわだつみのふかみ

に心がひかれて、止むるすべもない。青空のもとの庭園も、ひとり夜、机にむかって、白紙

を照らしている洋燈の光、落つきを失った心になにかあらけたその輝きも、女や子供への

愛着も、じぶんのこの逃遁ののぞみをひきとめることができない。

 

 

「船出せむ」以下は

目の覚めるような鑑賞です。

 

 

「船出せむ」というのは、やはり、実際にふなでするというよりも、船出のよろこびの幻影に

ふけって、どんなことになっても、もうそんなことをかまって、右顧左眄している気持にはな

れない。すでに、目的や、計算はない。たゞ、一切の環境をすてて、少くとも今とは別な人

生にとびこみたい、という意で、こういう気持は、僕らがおよそじぶんの生涯の終りまで、こ

のまゝより仕方がないとわかったとき、あたかも、これまで生きてきたいっさいに抗議して、

目の前に立ちはだかり対立してくる考えだ。

 

この説明しがたい、名づけがたい実感を、「海の微風」のいざないによって表現したので、

およそ、サンボリズムの詩の内容は、こうした人生の説明しがたい実感に、直接的なかた

ちをを与えたものである。

 

 

最後のヴァレリーについては

菱山修三訳の「若きパルク」の一部を引きますが

詩の読解は行われず

フランス・サンボリズムの現在(1954年当時の)の締めくくりに替えます。

 

ランボー、マラルメから出発したフランス・サンボリズムに

ヴァレリーの透明な頭脳は最後の方法を与えた

――とヴァレリーを位置づけ

 

これこそ、ブルジョア芸術のデカダンと衰弱の極限が

最後にえがいた智的な幻影の設計であるとも言える。

 

ここからは、転身があるだけで、

発展ののぞみはえられないのである。

――と頂点に到達した詩の

行きどころのなさ(最後)に触れて

象徴派の詩の鑑賞記を閉じます。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

« 2018年10月 | トップページ | 2018年12月 »