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2018年11月 1日 (木)

中原中也・詩の宝島/ベルレーヌの足跡(あしあと)/補足1・金子光晴その11

 

 

メーテル・リンクと西条八十を案内し終えて

そろそろ象徴派を切り上げようとした金子光晴が

重要なサンボリストとして一言だけ触れておきたいとして

挙げるのが

 

ジャン・モレアス

フランシス・ジャム

ポオル・クローデル

ステファン・マラルメ

ポオル・ヴァレリー

――の5人です。

 

これら5人はともに

名声が盛んだった割には

日本人の間に浸潤することがなかったために

追随者を持たなかったことが指摘されます。

 

 

ジャン・モレアスはギリシア人で

感傷的な月光派ではないものの

詠嘆的なニヒリスティックなものの考えかたが

サンボリストに共通しているということで

代表的な詩集「章句(スタンス)」から紹介。

(ここでは省略。)

 

フランシス・ジャムは

ピレネーの山間に住みつづけ

都会の陋巷に酒と女に沈湎し彷徨していた月光派とは遠く

そのゆえにずっと神のそばを去らないで済んだ詩人として

次の作品を読みます。

 

 

私は驢馬がすきだ

 

私は、柊の籬にそつて歩いてゆく

いかにもやさしい驢馬がすきだ。

 

蜜蜂に気をとられては

耳をうごかし、

 

あるひは貧しい人達をのせ、

あるひは燕麦で一杯の嚢を運ぶ。

 

溝のそばにさしかかると

よちよちした足取りで歩いてゆく。

 

恋人は、驢馬を馬鹿だと思つてゐる。

何しろ驢馬は詩人だから。

 

いつも考へ込んで

その眼は天鵞絨(びろうど)。

 

心やさしいわたしの少女よ

お前には驢馬ほどのやさしさがない。

 

何しろ驢馬は主のおん前にゐるのだもの、

真青な空をうつしたやさしい心の驢馬なのだ。

 

疲れはて、いかにも哀れな様子をして

驢馬は小舎のなかにゐる。

 

その小さな四本の足を

思ひきり疲れさせてしまつたのだ。

 

朝から晩まで

驢馬は自分の務をはたした。

 

ところで少女よ、お前は一体何をした?

なるほど、お前はお針をしたつけ……

 

ところで驢馬は怪我をした。

蠅の“やつ”めに刺されたのだ。

 

随分働く驢馬をおもふと、

思はず“ほろり”とさせられる。

 

少女よ、お前は何を食べた?

――お前は桜実を食べたつけな。

 

驢馬は、燕麦をもらへなかつた。

何しろ主人は貧しいので。

 

驢馬は綱をしやぶつて、

かげへ行つて寝てしまつた……

 

お前の心の綱には

この綱だけの甘さがない。

 

柊の籬にそつて歩いてゆく

これはやさしい驢馬なのだ。

 

わたしの心は“なやましい”、

かうした言葉を、おそらくお前は好きだらう。

 

可愛い少女よ、言つておくれ、

一体私は、泣いてゐるのか笑つてゐるのか?

 

年寄りの驢馬のところへ行つて

どうかかう言つてもらひたい。

 

私の心も驢馬のやうに

朝、路のうへを歩くのだ、と。

 

可愛い少女よ、驢馬にお聞き、

一体私は、泣いてゐるのか笑つてゐるのか。

 

おそらく返事はしないだらう。

驢馬は暗いかげのなかを、

 

やさしさで心を一杯にしながら

花咲く路を歩いて行くにちがひない。

 

             (山内義雄訳)

 

(一部にルビを振りました。原作の傍点は“ ”で示しました。編者。)

 

 

なんとやさしいこころの驢馬だろう!

――と感嘆したくなる、

このような愛の心をカトリシズムというのでしょうか。

 

金子光晴は

カトリック的な素朴なヒューマニズムが、所謂「アベの詩人達」、デュアメルや、ギルドラック

や、マルチネのような連中によって、第一次大戦の苦さのあとでフランス詩界によみがえら

されたとき、ジャムは、巨人となった。

――とこの詩人を案内します。

 

同じ、知的なカトリック詩人、ポール・クローデルについても

駐日大使として日本に滞在し

日本の文人たちと交友がありながら

日本人が影響を受けることが少なかったのは

日本人にカトリシズムが理解しにくいことのうえに

日本の詩壇がまだ貧しすぎて

クローデルの文学を受け入れる態勢になかったなどの原因を述べます。

 

 

難解であり、翻訳に成功したものが少ないと

紹介されるのがステファン・マラルメ。

 

「現代詩の鑑賞」のうちの「象徴派を鑑賞しながら」は

ベルレーヌを筆頭に取り上げたのですが

月光派への流れを辿るのに重心が置かれたために

ベルレーヌと並び称されるマラルメは後回しにされていました。

 

フランスのサンボリストの詩を鑑賞するということで

ここで初めてマラルメをフォローすることになりました。

 

 

海の微風

 

肉体は悲し、ああ、われは、全ての書を読みぬ。

遁れむ、彼処に遁れむ。未知の泡沫と天空の

央(さなか)にありて 群鳥の酔ひ癡れたるを、われは知る。

この心 滄溟深く涵されて 引停むべき縁由(よすが)なし、

眼(まなこ)に影を宿したる 青苔古りし庭園も、

おお夜よ 素白の衛守固くして 虚しき紙を

照らす わが洋燈の荒涼たる輝きも、

はた、幼児に添乳する うら若き妻も。

船出せむ。桅檣(ほばしら)帆桁を揺がす巨船、

異邦の天地の旅に 錨を揚げよ。

“倦怠”は、残酷なる希望によつて懊悩し、

なほしかも 振る領布(ひれ)の最後の別離を深く信ず。

かくて、恐らく、桅檣は 暴風雨(あらし)を招んで、

颱(はやて)は 忽ち 桅檣を難破の人の上に傾け、藻屑と

消えて、帆桁なく、桅檣なく、豊沃なる小島もなく

……

さはれさはれ、おお わが心、聞け 水夫の歌を。

 

(※この翻訳はだれのものか明記されていません。編者。)

 

 

マラルメのような詩には、むずかしい意味がつきやすい

それが解説の困難をまずは物語っている

丁度、テーマのある純粋音楽みたいなもので

わかりやすく言えば

言葉と言葉の相関作用から心が直接発見するものがあるだけ。

 

アレゴリー的な意味などないのだ。

 

言いかえれば、この言葉の最初から最後までのつながりが思想の全部で、他に抽出する

ものはなにもないのだ。

――とマラルメという詩人の詩の在り方にふれ

その接し方のコツをまずは喚起します。

 

そしてこの「海の微風」は

僕らの生の遠方からの涼しい微笑の誘い

――ととらえて

冒頭の「肉体は悲し」以下

中ごろの「船出せむ」以下の2節に分けて

詩人の読みを披瀝して見せてくれます。

 

ここは要約できないところですし

マラルメの詩の読解にめったにお目にかかれるものではないので

そのままを引きましょう。

 

 

「肉体は悲し」ということばは、すでに、肉体が亡びゆく仮の仮なるものである故に悲しいと

いう、ふるい観念によって説明することも不用なのだ。肉体の悲しさはもっと直接で、本然

的な悲哀である。すべての書を読んで疲れたからだを、いずくへか逃れゆこうとする要望。

疲れたからだなればこそふかぶかとみえる天空、白雲の泡立っている海空のもっともふか

い淀は、陶酔のふかみで、海鳥が酔い惚けて、みだれおちてくる。そのわだつみのふかみ

に心がひかれて、止むるすべもない。青空のもとの庭園も、ひとり夜、机にむかって、白紙

を照らしている洋燈の光、落つきを失った心になにかあらけたその輝きも、女や子供への

愛着も、じぶんのこの逃遁ののぞみをひきとめることができない。

 

 

「船出せむ」以下は

目の覚めるような鑑賞です。

 

 

「船出せむ」というのは、やはり、実際にふなでするというよりも、船出のよろこびの幻影に

ふけって、どんなことになっても、もうそんなことをかまって、右顧左眄している気持にはな

れない。すでに、目的や、計算はない。たゞ、一切の環境をすてて、少くとも今とは別な人

生にとびこみたい、という意で、こういう気持は、僕らがおよそじぶんの生涯の終りまで、こ

のまゝより仕方がないとわかったとき、あたかも、これまで生きてきたいっさいに抗議して、

目の前に立ちはだかり対立してくる考えだ。

 

この説明しがたい、名づけがたい実感を、「海の微風」のいざないによって表現したので、

およそ、サンボリズムの詩の内容は、こうした人生の説明しがたい実感に、直接的なかた

ちをを与えたものである。

 

 

最後のヴァレリーについては

菱山修三訳の「若きパルク」の一部を引きますが

詩の読解は行われず

フランス・サンボリズムの現在(1954年当時の)の締めくくりに替えます。

 

ランボー、マラルメから出発したフランス・サンボリズムに

ヴァレリーの透明な頭脳は最後の方法を与えた

――とヴァレリーを位置づけ

 

これこそ、ブルジョア芸術のデカダンと衰弱の極限が

最後にえがいた智的な幻影の設計であるとも言える。

 

ここからは、転身があるだけで、

発展ののぞみはえられないのである。

――と頂点に到達した詩の

行きどころのなさ(最後)に触れて

象徴派の詩の鑑賞記を閉じます。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

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