中原中也・詩の宝島/ベルレーヌの足跡(あしあと)/補足2・橋本一明の読み・その10
「神さまが言った……」を読み終えて
もう一つの詩を読みたくなりました。
橋本一明訳編の「ヴェルレーヌ詩集」に
最終詩として配置された
「愛の犯罪」を意味する「Crimen Amoris」という詩です。
ランボーを歌った詩です。
少し長い詩ですが
一気に読んでみます。
◇
Crimen Amoris
ヴィリエ・ド・リラダンに
絹と黄金にうずまった エクバターヌの宮殿で
美しい悪魔たち 若やぐ堕天使(だてんし)のむれが
回教の楽の音につれ 惜しげなく
彼らの五感を《七大罪》にささげている
《七大罪》を祭るうたげだ おお なんと美しい!
《欲望》たちがうちそろい あらあらしい光にかがやいていた
《食欲》たちは 敏捷でさんざんに使いまわされる御小姓
水晶のグラスについで バラいろの酒をまわしていた
ダンスは新床に寄せる祝歌(ほぎうた)のリズムにのって
あまくしずかに声ながく忍び泣く音にとろけて行った
男声女声の美しいコーラスが 波のように
うねり ひろがり ぴくひくとおののいていた
そしてこれらからたちのぼるやさしさに
力強い 魅惑的なやさしさに
周囲の野原はバラの花々を咲かせていた
夜は透明なダイヤのかがやきにあふれていた
さて これら悪しき天使らのうち いちばん美しい者
十六歳 花冠(はなかんむり)をいただいて 首飾り総飾りきらめく胸に
むんずと腕を組み 彼は夢みる
ひとみに炎をあふれさせ ひとみに涙をあふれさせ
まわりの酒盛りが乱痴気の度をくわえて行ってもむだだった
兄であり妹である堕天使たちが 彼の心を
しずませている心づかいをはらそうと
やさしく腕さしのべて勇気づけてもむなしかった
彼はどんなあまやかしもしりぞけていた
金器銀器にてりはえる彼のひたいに くるしみが
憂愁の黒い胡蝶をとまらせていた
おお おそるべき不滅の絶望!
彼は言った 《おれをしずかにしておいてくれ!》
それから一同にやさしくくちづけ
引きとめる手に衣の裾を残したのみで
身ごなし軽く 彼らのもとを逃れ去った
ああ 君ら 高殿の天空にそびえる塔のうえに
こぶしに松明をかざす彼の姿が見えるだろうか?
古代の英雄が小手(こて)にふるように 彼が松明をかざせば
下界のひとびとは思うのだ いまあけぼのは明けそめる と
その深くやさしい声の語るところはなんだろう?
天空をかっ裂く雷鳴にまぐわい
月を恍惚の世界にさそう 彼の声
《おお おれは神の創造者になろう!
天使たち 人間たちよ 善と悪とのたたかいに
おれたちはもうみんなくるしみすぎた
みじめなおれたちよ 世にも素朴な祈念のなかに
おれたちの飛躍する心の動きをおさえつけ はずかしめよう
おお 君ら おれたち おお いたましい罪人たち
おお 陽気な聖者たち なぜこうかたくなに意見がわかれる?
腕のいい芸術家なのに なぜおれたちはつくらなかった
おれたちの労苦をあつめ ただひとつのおなじ美徳を!
あまりに変化のなさすぎる こんな争いはもうたくさんだ!
おお ついに《七大罪》は《対神三徳》に合致する
そうならねばならぬことにしてやる
つらい みにくい こんな争いはもうたくさんだ!
イエスよ この決闘の均衡をたもって
うまくやったと考えた きさまにたいする返答として
いま おれにより 地上をかくれ家とする地獄が
普遍の《愛》に身をささげるのだ!》
ひろげた彼のひらから松明が落ち
かくして大火はごうわうと燃えあがった
煙と風のまっ黒な渦におぼれた
真紅の荒鷲の巨大な争いさながらだった
黄金はとけ流れ 大理石(なめいし)ははじけとび
おお かがやき灼熱する まっ赤な炭火
絹は短いぼろ屑となり 綿のように
灼熱しかがやき ちぎれてとんだ
堕天使たちは炎のなかで歌っていた
理解しあきらめていたのであった
男声女声の美しいコーラスが
荒れ狂う炎のはやてのなかにきこえていた
彼はたけだけしく腕を組んでいた
炎の舌のなめずる天にひとみをすえて 低く
ちいさくつぶやいていた 祈りにも似たその言葉は
歓喜にわきあがる歌声に 息たえだえと吸われていった
彼は小声につぶやいていた 祈りにも似た言葉を
炎の舌のなめずる天にひとみをすえて……
そのときだ おそろしい雷鳴はとどろきわたり
それが歓喜と歌声のおわりであった
いけにえをささげても 受け入れてはもらえなかった
たしかに強く正しい男だ そんなだれかが
うそと承知の倨傲(きょごう)にあふれ
人間の悪意や奸策を 苦もなく判じわけたのだった
千百の塔をめぐらした宮殿はなごりもとどめず
この未聞の天災に何ひとつ残ったものはなかった
げにこれも 世におそるべき奇蹟によって
消え失せた一場のむなしい夢にすぎなかったか……
そしていま いまは夜 千の星々をちりばめた さあおの夜だ
福音の書にえがかれた浄福の野が やさしく
きびしくひろがっている 顔ぎぬのようにかすんで
木々の枝は 羽ばたくつばさにさも似ている
いくすじか 冷たい流れが石床を流れる
やさしい梟(ふくろう)たちが 影もおぼろに空(くう)を泳いで
神秘と祈りを香ぐわせている
ときに はねあがる 波ひとつ きらりと光る
はるかの方 丘々から まだしかと形の定まらぬ
愛のように やわらかなものの形があらわれる
雨水の流れからたちのぼる霧は流れて
何かの目的に結ばれる人の努力を思わせる
これらすべては 心のように 魂のように
また 言葉のように ういういしい愛にあふれて
崇め 陶然と身を開き もとめむかえる
ぼくらを悪よりまもりたまう 寛大仁慈なる神を
(角川書店「世界の詩集8・ヴェルレーヌ詩集」より。ルビは一部省略しました。編者。)
◇
橋本一明が
この詩をこの詩集の最終詩として配置した意図は
どこにあったかについては何も記されていません。
巻末の注釈に
第1詩節《エクバターヌ》は古代メディアの首都。現在のペルシアのハマダンのこと。異教
徒の都というほどの意味だろう。
第23詩節の《冷たい流れ》は、都を廃墟と化した雷雨のなごりの水が石床を流れているの
であろう。
――とあるだけです。
◇
献呈している相手のヴィリエ・ド・リラダンは
当時の青年詩人たちから
デカダンとして熱烈な支持を得ていた象徴詩派の一人で
ベルレーヌとはシャルル・クロスらとともに親交がありました。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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