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2018年12月19日 (水)

中原中也・詩の宝島/ベルレーヌの足跡(あしあと)/補足2・橋本一明の読み・その12

 

 

 

「Crimen Amoris」(愛の犯罪)は

橋本一明によると

ランボーの姿を歌ったものである、というのですが

ベルレーヌがこの詩を書いたときに

ランボーをどのように見ていたかを知る

格好の資料ということにもなり

非常に関心を引かれる詩の一つになります。

 

橋本一明は

このことをどのように捉えていたのでしょうか

――という問いと同時に

ここに橋本一明の答えがすでにあることに

気づかねばならないでしょう。

 

橋本一明は

このこと(=ベルレーヌがランボーを歌ったこと)について

多くの記述を残していません。

 

しかし多くを記述していないことは

「Crimen Amoris」という詩を

ないがしろにしたということではありませんし

その逆であったことを否定しません。

 

ベルレーヌが「Crimen Amoris」を書いたそのことに

橋本一明は重大な意味を見い出したから

この「ヴェルレーヌ詩集」の最終詩に配置したという意図を

読み取ることができるでしょう。

 

 

角川文庫「ヴェルレーヌ詩集」のあとがきが

このことを明らかにしているとは言えませんが

このあたりのことを述べようとして

述べなかった理由でありそうです。

 

あとがきの冒頭だけを

ここに引いておきましょう。

 

 

 ここに収めた訳詩はヴェルレーヌの処女詩集から第6詩集までの抜粋である。根拠があっ

て第6詩集までに限定したわけではない。拾って行ったら、自然にこうなった。第7詩集以

降の詩も、ぼくは一般的評価ほどひどいとは思わないが、別の理由でこの訳詩集からは

けずった。

 

訳詩の一篇一篇について言えば、ほんとうはもっと詩篇を限定したかったのだが、もう一

方で詩集を再構成したいという気持も強く働いた。

 

(改行を加えました。編者。)

 

 

文章のはじまりに

言うべき重要なことをテキパキと語る橋本一明の口調がここにもあり

言葉が立っている例の爽快さに触れるのですが

ここで述べられているのは

未完成を反省する弁ではなく

詩集を再構成したいという気持があったことで

それをいずれ果たそうという希望であるように読めます。

 

「ヴェルレーヌ詩集」も

橋本一明のこの時点での再構成の意図に

貫かれていることはいうまでもないのですが

その意図の一つが

最終詩「Crimen Amoris」の配置でしょう。

 

 

ここまで考えてくると(想像をたくましくすると)

「Crimen Amoris」は

もっとじっくり読まなければならない詩であることになってきます。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

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