カテゴリー

2023年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ

« 2018年12月 | トップページ | 2019年4月 »

2019年3月

2019年3月31日 (日)

テオ・アンゲロプロス「旅芸人の記録」鑑賞記

これら三つの時間は、ある時は画然として切り分けられ、ある時は渾然として融合し、「劇中劇」を形作るが、そのポリフォニックな全体の中に、テオ・アンゲロプロスの眼差しは投げ込まれる。

旅芸人の記録
1975

ギリシア 旅芸人一座は、ざっと20人くらいで構成されているだろうか。中でも、名のある者は、エレクトラ、アイギストス、クリュタイメストラ、アガメムノン、オレステス、ピュラデス、クリュソデミスらである。「ら」としたのは、ヴァシリやアコーデオン奏者らも登場するからであり、彼ら以外は、列記したようにギリシア古典悲劇の登場人物であり、その名を、旅芸人一座の座員がそれぞれ名乗っている。この映画は、アイスキュロス、エウリピデス、ソフォクレスの三大悲劇作家が、揃って書き、しかも作品が揃って現存する「エレクトラ=オレステスの悲劇」をストレートに下敷きにしている。

アンゲロプロスが、アイスキュロス、エウリピデス、ソフォクレスのうちの、いづれの「エレクトラ=オレステス伝説」を下敷きにしたのかは、ここで詮索しても無意味であろう。ギリシア古典悲劇の中にギリシア現代史をとらえようとしたのか、ギリシア現代史の中に古典ギリシア悲劇をとらえようとしたのか――という問いも、同じように無意味であろう。

ここでは、エレクトラ伝説とは、「ギリシア軍の総大将としてトロイアに遠征し、トロイアを滅ぼして帰国したミュケナイ王アガメムノンが、留守中、妻のクリュタイメストラに接近していたアイギストス(アガメムノンの従兄弟にあたる)とクリュタイメストラとの謀略によって討たれたが、娘のエレクトラとその弟オレステスによって、報復される」(「ギリシア悲劇入門」中村善也、岩波新書)という内容をもった物語であることを知っておくにとどめたい。

一座は、ペレシアドスという作者の田園詩劇「羊飼いの少女ゴルフォ」を演じながら、ギリシア各地を巡演してきた。1939年のエギオンから1952年のエギオンに再び戻ってくるまでの10数年が、映画が「物理的にとらえた」時間である。

ゴルフォの物語を演じる座員は、エレクトラ、アイギストスら古典悲劇の登場人物と同名であり、エレクトラにエヴァ・コタマニドゥ、アイギストスにヴァンゲリス・カザン、アガメムノンにストラトス・パキス、オレステスにペトロ・ザルカディスといった俳優が扮している。観客は、コタマニドゥの演技を見ながら、ゴルフォの物語を追い、古典悲劇のエレクトラの物語を追い、現代のエレクトラの物語を追う。

つまり、おおざっぱにいって、三つの時間がこの映画を流れている。一つは、古典悲劇の時間、二つは、ゴルフォの物語の時間、三つは、以上の二つの「虚構の時間」を演じながら現代ギリシア史を生きている1939年から1952年までの旅芸人の時間。これら三つの時間は、ある時は画然として切り分けられ、ある時は渾然として融合し、「劇中劇」を形作るが、そのポリフォニックな全体の中に、テオ・アンゲロプロスの眼差しが投げ込まれる。

冒頭、母クリュタイメストラの姦通の現場を見てしまったエレクトラの衝撃。あさぼらけに、あたりを伺いながら自室へ戻るクリュタイメストラ。夫アガメムノンの寝ているベッドに横たわるクリュタイメストラを、帰還した息子のオレステスが訪ねる。「顔を見ないで。朝は醜いから」と言ってからクリュタイメストラが息子に語る夢が、暗示的だ。「3、4歳のオレステスがわたしの体の中に入る」と、クリュタイメストラは語るのである。エレクトラが、この、母親の情交を覗き見てしまうシーンからオレステスの訪問のシーンまで、例によってワンカットの長回しである。

1952年秋。
1939年。
1940年10月28日。
1941年正月。
1941年4月27日。
1943年。
1944年。
1945年正月。
(1945年2月12日)
1946年年。
1949年。
1950年。
1952年。

以上は、字幕が告げる旅芸人の歴史=現在である。クリュタイメストラの姦通のシーンは冒頭に置かれるが、それが1952年の現在なのか、1939年のことなのか、古典悲劇の順序から言えば、1939年の事件になるが、そのあたりは「自在」に往復する。1952年の選挙を意味する「パパゴス元帥に勝利を!」という宣伝カーの連呼が聞こえるシーンが、1941年正月のシーンの中にも「混入」(=回想される)するといった具合である。すなわち、アンゲロプロス監督は、1952年に右翼独裁政権が樹立するまでのギリシア現代史に焦点を当てていることは間違いない。

中盤1945年正月のシーンでのゴルフォの劇。恋人タソスを、今は、アイギストスが演じている。その劇の中へオレステスが入り込み、クリュタイメストラとアイギストスを銃殺する。観客は、劇と現実を見分けられず、万来の拍手を送る。エレクトラは、ひとり、ホテルのベッドでシャンソンを聴きながらほくそえむ――というシーンがある。エレクトラ=オレステスの報復劇が達成されたことになるが、このシーンの直後、エレクトラは右翼に部屋から拉致され、4人の男に強姦される。「地中海的右翼」とアンゲロプロスが表現する野蛮な男たちにレイプされたエレクトラは、川べりに投げ捨てられるが、果敢に立ち上がり、長い、長い語りに入る。

エレクトラ=エヴァ・コタマニドゥが語るのは、アテネの33日戦争へと至る歴史である。以下、全文を書き取っておいた。

44年の秋―。10月に独軍が撤退した直後、スコビー将軍の英国軍が来たわ。パパンドレウの第一次国民統一政府ができて、英軍を熱狂的に歓迎した。解放を信じて誰もが喜んだ。当然なくらい…。皆、犠牲を払った。同盟国や連合軍を心から信じた。でもスコビー将軍が、人民軍の武装解除を政府につきつけて―、左派の閣僚が辞任させられ、裏では、ファッショ派がスコビーの武器供与を受けて、武力で復権していた。裏切られていた。

抗議の呼びかけはあったけど、その頃、抗議した人は少なくて、組織的にはならなかった。英軍の思いのままだった。ギリシア人同士の抗争…。よく分からないまま、いろんな旗の党派が対決し、感情で対立し、あの44年12月3日の大衝突になった。血の日曜日…。子ども連れの人が多いデモで、老人も多かった。広場も警官隊に包囲されてて、誰かが叫んだ。一斉射撃がはじまったわ。

私は広場の中央あたりにいた。無名戦士の墓の前で、若者が撃たれて死んだ。誰かが旗を若者にかぶせて、彼の血に染まった旗をかざした。広場の人々が叫び、歌いはじめた。「占領はいらない!自由がほしい!」 銃声がいっそう激しくなった。誰かが血を吹いて倒れた。皆、地面に伏せた。近くで一人、傷ついた少年がラッパをもって、立ち上がって叫んだ。「何度でも叫ぶぞ!」「何度もラッパを吹くぞ!」 少年が倒れ、皆で運び去った。

それから隊列を組み直して、警官隊に向かって行った。警官隊を逆包囲して銃を奪ったけど、屋上からの銃撃が続いて、凄惨な前進だった。それをホテルからイギリス人たちがのんびりと見ていたわ。アメリカ人も見てた。私たちは、オモニア広場まで進んだけれど、そこでも一斉射撃で、10人以上、銃弾で倒れた。民家の戸を担架にして、重傷者を病院へ運んだ。それでも足りず、重傷者でも、這って病院へ行った。

その翌日、12月4日、犠牲者の葬式の集まり。その日も、広場で王党派と警官隊が無差別に銃撃してきた。いま憶えているのは、地面を這って逃げたこと。真正面のホテルに並んだ銃砲の列だけ。2日にわたる虐殺、死者28人、200人以上の負傷者。その日の夜、人民軍側が警察を襲撃した。バリケードが築かれ、市内戦争―。アテネの33日戦争がはじまった。

1950年の字幕のあるカット。エレクトラは、オレステスの消息に一縷(いちる)の希望を抱きつつ、再び芝居をはじめようとかつての同志に呼びかける。ヴァシリを訪れたエレクトラは、「障害を数えあげよう」という彼の言葉を聞きながら、「傷だらけの自由に希望をもて!」とも言うヴァシリの真意を汲み取る。こうして劇団の再出発を果たそうとする矢先、処刑されたオレステスの遺体と対面するエレクトラ。朝の光の降り注ぐ監獄で、エレクトラ=ゴルフォは、オレステスに呼びかける。「おはよう、タソス」と…。

結末は、エレクトラの妹クリュソテミスの息子オレステスが、エレクトラ=ゴルフォの恋人役タソスを初演する劇の開幕だ。そこに、「1939年に、エギオンにきた。みな疲れていた。2日間、眠っていなかった」というナレーションが入る。冒頭のシーンへ、繋(つな)がっていくのである。


(2000.12.24記)

テオ・アンゲロプロス「永遠と一日」鑑賞記

イングマール・ベルイマンの「野いちご」と双璧をなすと言って過言ではない、「身近に迫った死」をテーマにした作品と言えるだろう。

永遠と一日
1998
ギリシア・フランス・イタリア

テオ・アンゲロプロス脚本・監督、ヨルゴス・アルヴァニティス撮影、ヨルゴス・バッツァス、エレニ・カラインドルー音楽。
ブルーノ・ガンツ、イザベル・ルノー、アキレアス・スケヴィス

「明日の時の長さは(どれくらいある)?」と尋ねられたら、なんと答えようか。あるいは、自問したとき、どんな答が見つかるだろうか。テオ・アンゲロプロス監督「永遠と一日」は、重い病にかかり、「最期の1日」を意識した詩人の「人生最後の日」を描いた作品。イングマール・ベルイマンの「野いちご」と双璧をなすと言って過言ではない、「身近に迫った死」をテーマにした作品と言える。

「長い旅」に出ようとする詩人が、人身売買組織に拉致されたアルバニア難民の子と「偶然に」出会い、そして、別れるまでの1日を「実時間」として、亡き母、亡き妻、友人らとの光あふれる過去、19世紀初頭ギリシアの国民詩人ソロモスの登場など、過去、現在の境目を飛び越えた「幻想的時間」を交差させつつ、カメラは詩人の意識の赴くままを追う。

ベルイマンの「死」は、政治ということとひとかけらも無関係であるのに比べ、アンゲロプロスの「死」は、政治との関係の中でしかとらえられていない。この点が決定的に異なるが、どちらの作品も、「身の毛のよだつ」ようなリアルさを、その幻想的シーンのなかにとらえる。

歳を経るに連れて、誰しもが、このリアルさを感じるようになり、次第には、息苦しさを覚えるほどに生々しい衝撃を受けることになる。

(2001.7.8鑑賞&記)

雪の降り積もる山肌が遠くまで広がっている国境地帯。霧がかかる風景の中に、鉄条網の柵が見え、宙吊りになった死体が、何体も何体も、映し出される。 


 
アルバニア難民の少年が、アレクサンドレに語って聞かせた「国境越え」の様子を拾っておこう。

 
銃を持ったやつらがきた。一晩中撃った。家の中にも入ってきた。赤ん坊が泣いた。村は空になった。

道はこの上。前にセリムと通った。大人がつけた道しるべがある。木に結わえたビニール袋。知らないと雪で迷子になる。袋から袋をたどって、木のない広いところに出た。

僕が歩き出そうとしたら、「動くな!」とセリムが怒鳴った。「地雷ふがあるんだ!バカ!しゃがめ!」

しゃがんだ。セリムは石を拾う。石を投げてすぐにしゃがむ。何も起こらない。僕たちは石のところまで進む。彼は僕をしゃがませて、また石を拾って、また石を投げる。

怖かった。寒かった。

石を投げ続けて、前に進んで行った。そして向こう側に出た。遠くに光が見えた。

アレクサンドレは、少年を故郷(くに)へ帰還させるために、テッサロニキから2時間かけて、アルバニア国境へきたのである。雪の降り積もる山肌が遠くまで広がっている国境地帯。霧がかかる風景の中に、鉄条網の柵が見え、宙吊りになった死体が、何体も何体も、映し出される。監視塔に立つ人影と旗(国旗らしいが、どこの国のものかは不明である)だけが、かすかに揺れ動いている。少年たちが、突破してきたのは、ここに連なる「脱出の道」である。

アレクサンドレは、少年を帰還させることの意味を、この時、はじめて悟るのである。監視塔から降り立った兵士に呼び止められたとき、アレクサンドレは、咄嗟(とっさ)に少年の手を取り、一目散に逃げ去るのである。こうして、少年と詩人との1日が、「その真実の巡り合い」がはじまる。

(2002.3.31発)
 
アレクサンドレは、明日、入院すれば、再び「この世界」に戻れる日がないことを知っている。

アレクサンドレは、明日、入院すれば、再び「この世界」に戻れる日がないことを知っている。この世界を謳歌できるのは、今日1日限りなのだ。「明日の時間の長さはどれくらいあるだろうか?」という問いが、いつも想念に渦巻いているのはそのためである。

愛犬の面倒をみるものがいなくなるので、はじめに娘カテリーナの家を訪ねるのだが、娘婿(むすめむこ)のニコは動物嫌いで、あっさりと断られてしまう。アレクサンドレには、愛犬の面倒のほかにもう一つ大切な頼みをカテリーナにしなければならなかった。妻アンナからの手紙を読んでもらい、考えを聞き出すことだ。手紙の1966年9月20日の日付は、カテリーナの誕生日である。妻アンナは、すでに40年ほど前になるこの日、夫アレクサンドレに手紙を書いた。その手紙は、「夫の不在」を嘆く妻の声に満ちていた。

家族・親族が一堂に会して、生命の誕生を祝った海岸沿いの瀟洒(しょうしゃ)な家は、現在ニコの管理下にあり、最近、手放すことになっていた。地震(アテネを襲った大地震のことであろう)で傷みが激しくなり、住むに耐えなくなったと、カテリーナは弁解するが、アレクサンドレはショックを隠し切れない。余命幾許(いくばく)もないアレクサンドレにとって、この世界=現世の些事(さじ)に過ぎない「家」のことだが、それでも、売り払われ、無縁のものと化してしまうことは、悲しいことに違いなかった。

アレクサンドレの脳裡(のうり)には、妻アンナの手紙の声が飛び交ったままである。「いつになったら二人になれるの?」。

ギリシア北部の町テッサロニキに住む作家アレクサンドレは、愛犬を愛車にのせたままで、生まれ育ったテッサロニキの街中に出る。娘カテリ-ナの充足した暮らしを見て、妻アンナからの手紙の感想を聞き出す心は失せてしまった。所在なく街中を運転するアレクサンドレは、こうして、アルバニア難民の少年と出会う。

映画は、この、アルバニアの少年との1日を現在進行中の「実時間」として、アンナの手紙が書かれた1966年の海岸のシーンなどをアレクサンドレの「幻想的時間」(過去の回想やイメージの飛来)として、自在に往来する手法を駆使して進んでいく。「実時間」のほうは、アレクサンドレと少年が出会い、そして、1日を過ごし、最後に少年が護送車に乗り込み故国アルバニアへ去って行くシーンと、それを見届けるアレクサンドレの「死相」に満ちたアップまでを追う。

この実時間の最中(さなか)に、アレクサンドレの脳裡を去来(きょらい)する海岸での1日やギリシアの国民詩人ソロモスが登場するシーンなどが挿まれる。アレクサンドレは、この「幻想時間」に、実時間のアレクサンドレと同じ姿形・服装で登場する。
未完(2002.3.31発) 

家族(妻)との時間をほとんど持たずに生きてきた作家が、その犠牲の上でしてきた「社会的営為」の意味が問われていることが空しくもあるからである。

「永遠と一日」(テオ・アンゲロプロス監督)の「流れ」を「おさらい」しておこう。これで、3度見たことになる。3度見たということは、この映画の「作品現実」に3度分け入り、その「現実」を3度追体験したということである。約2時間、作品の中に溶け込みながら、それを「見ている自分」があり、その自分は作品の意図を知ろうとしている自分でもあるが、今、その「溶け込んだ」時間からは離れている自分である。

この体験は、作品体験というものであり、いわゆる「ヴァーチャル・リアリティー」を体験したものではない。アンゲロプロス作品ともなれば、よりリアルな体験として、思惟の中枢にかぶさってくるからである。そのかぶさり具合は、作品に溶け込めば溶け込むほど重たくなり、重たくなれば重たくなるほど、解釈の深度を要請する。

ギリシアの高名な詩人・作家のアレクサンドレ(ブルーノ・ガンツ)は不治の病にかかり、明日、入院することになっているが、「死」を強く意識するのと同じ程度に、過ぎ去りし日の妻アンナとの暮らしに悔いを抱いている。「いつになったら二人になれるの?」という妻からの手紙の言葉が、作家である彼を苦しめるからである。「抱きしめ方が足りなかった」という思いや、家族(妻)との時間をほとんど持たずに生きてきた作家が、その犠牲の上でしてきた「社会的営為」の意味が問われていることが空しくもあるからである。

薬を胸ポケットにしまって、アレクサンドレは、テッサロニキの街に出る。
*未完(2002.3.30発)
 

« 2018年12月 | トップページ | 2019年4月 »