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2019年4月

2019年4月 2日 (火)

テオ・アンゲロプロス「アレクサンダー大王」鑑賞記

このシーンの意味するところは明快である。「大理石の像=神話は、歴史をつくるものではなく、歴史をつくるのは人間である」というテーゼである。
――テオ・アンゲロプロス「アレクサンダー大王」の希望

アレクサンダー大王
1981
ギリシア・イタリア・西ドイツ

妙に滑稽であり、妙に神々しく、陰気であり、淫乱であり、獰猛であり、気弱であり、鬱々としていながら、猛々しく、癲癇という病があり、妙にリアルである。そして、ついに専制権力者である。

テオ・アンゲロプロス「アレクサンダー大王」が描くアレクサンドロスは、矛盾を撞着(どうちゃく)したまま、一種、聖性を有するに至った世界に名高い歴史的人物を、その「神話化」から解き放ち、「人間化」する試みである。人間へと奪回する試みである。

世に言われるように、マルクス主義思想が「解放者」として把握してきたアレクサンダー像を、このようにして打ち壊し、「偶像化」から救出しにかかった。

そう読み取るのが正しい見方であろう。アンゲロプロスのテキストに沿った見方というものであろう。映画の見方に正しい見方というものがあるとすれば、そう見るのが「正統」な見方であり、「正当」な見方であるだろう。ここでは、この見方になんらの異議を唱えるものでもない。

アレクサンダーは、この映画の中の数少ない台詞で、「わたしは、目を覚ましたとき、大理石の頭部像を手にしていた。重い。わたしにはわからない。これをどうしろと言うのか」と語っている。終盤のシーンのこの発言の後、彼は、民衆に取り囲まれ、やがて民衆に飲み込まれて姿を消し、民衆が引いた後に、この大理石の像だけが、敷石に取り残される。

このシーンの意味するところは明快である。「大理石の像=神話は、歴史をつくるものではなく、歴史をつくるのは人間である」というテーゼである。映画「アレクサンダー大王」は、4時間を越える物語を通じて、この1点に向かいながら、現代ギリシアの歴史のはじまりに政府やイギリスに対してたたかった「こちら側」の「内部矛盾」を描いてきた。

アレクサンダーの娘(であり「妻」でもある)が斬殺され、社会主義思想のよき部分を代弁していた「教師」も処刑され、いよいよ軍隊の介入を招くという状況の中で、アレクサンダーはどこへ行ってしまうのか――というと、民衆の中に姿を飲み込まれてしまうのである。そうして、民衆が見えなくなったとき、大理石の像として立ち現れる。

ギリシア現代史が辿った誤った方向を、一人、少年アレクサンダーが見届け、混乱の最中、民衆の一人の女性に馬をあてがわれて、脱出する。夕陽に染まったアテネの街が映し出されてこの映画は終わる。そのアテネの街から少年アレクサンダーの疾駆する馬の蹄(ひづめ)の音が聞こえてくる。

(2001.7.15鑑賞&記)

テオ・アンゲロプロス「霧の中の風景」鑑賞記

「(この時間が)ずっと続くのがいい」と思うヴーラの心には、「恋」が芽生えてしまったのだろうか。それとも、全ギリシア的苦悩とでもいうべきものが、ヴーラとオレステスの関係に負わされたのだろうか。

霧の中の風景
1988
ギリシア

 テオ・アンゲロプロス「霧の中の風景」は、ドイツにいる父を訪ねて、アテネに住む姉弟が、母の目を盗んで2人で長い旅に出る物語である。姉ヴーラ12歳、弟アレクサンドロス6歳が、毎夜、就眠のベッドの寝物語に語りあってきた父親探しの旅を決行するのである。持っているのは、姉のショルダーバックだけであり、1銭の現金も持たない。

無賃乗車で、アテネ中央駅に飛び乗ったものの、鉄道警官に見咎められ、次の駅で降ろされてしまい派出所に連れて行かれる。姉弟が口に出した伯父がやってきたが、2人の引き取りを拒む。警官と伯父のやり取りを見ていて愕然とした姉弟は、スキをついて、その場を逃げ出すことに成功する。

雪の氷結する街路。近くで、結婚式のパーティーが賑やかに行われている。姉弟は、花嫁が宴席を逃げ出し、花婿が花嫁を追いかけて、なにやらいさかいするのを見る。その直後、トラックに引きずられた瀕死の馬が、雪の上に置き去りにされ、やがて死んで行く場面に立ち会う。しくしくと泣き出す弟を抱きとめる姉ヴーラ。

2人は、徒歩で、山道を行くと、旅劇団の送迎バスを運転する青年オレステスに会い、バスに便乗して、一座が稽古に余念のない砂浜へ同行する。一座は、「旅芸人の記録」の劇団であり、いまも「羊飼いの少女ゴルフォ」1本を演じながら、ギリシア全土を巡回公演しているのであった。エバ・コタマニドゥが、「アテネの33日間戦争」のくだりを稽古し、座長のアガメムノンはよりいっそう年老いている。

オレステスと姉弟は、山道で偶然に出会い、この映画の終焉まで関係は続くことになるが、オレステスとヴーラの出会い(=恋と呼んでいいかもしれない)は、この作品の重要なテーマに結びついている。

山を歩き、高速道路を歩き、また列車に無賃乗車し……。くたびれて、もう歩けないという弟を思い、ヴーラは、高速道路で強雨に打たれながら長距離トラックをヒッチした。運転手は、はじめ、腹を空かせた姉弟を行き着けの安レストランに誘い、情深くもてなすのだったが、やがて荷役桟橋にトラックを駐車すると、仮眠すると偽ってヴーラを荷台に導き、陵辱してしまうような男であった。血まみれの手を見つめる姉ヴーラは、なにを思うのであろうか。

癒しきれぬ傷を負ったヴーラであったが、父親に会うという目的は捨てない。再び列車に飛び乗るが、再び警官に追われ、いつしか荒涼とした工場地帯に姉弟は紛れ込んでしまっていた。しかし、ここでも、偶然にバイクにまたがったオレステスと会い、近くの海に遊ぶ。どこからか流れてくるロック。オレステスはヴーラと踊る……。

「(この時間が)ずっと続くのがいい」と思うヴーラの心には、「恋」が芽生えてしまったのだろうか。それとも、全ギリシア的苦悩とでもいうべきものが、ヴーラとオレステスの関係に負わされたのだろうか。まもなく、芝居をやめて軍隊に入ることになっているオレステスの優しさに耐え切れずに、ヴーラは突然、踊るのを止めて、オレステスの目をじっと見つめる。「なにか大事なことを見つけたんだ、一人にしてあげよう」と、何かを察知した弟アレクサンドロスに言うオレステス。

アテネ発テリッサ、カラリーニ経由ドイツ行き国際特急の出発を知らせるアナウンスを聞き、オレステスは、「3人の旅は終りだね」と別れのあいさつをするが、ヴーラは「終わらないわ」と毅然として投げ返す。オレステスも、終わらないことがウキウキした気持ちになっていることを自覚する。こうして、また一座の元へ寄ると、彼らは経済的ピンチを切り抜けるために劇に使う衣装をう競売にかけているところであった。オレステスは、「葬式は嫌いだ」と叫んで、一座に別れを告げるのである。

夜、弟とともにするベッドを抜け出し、オレステスの部屋を訪ねるヴーラ。空のベッドが、明かりの付けはなしたままの部屋で白々しく輝いている。

その頃、オレステスは、海辺に佇(たたず)んでいる。目前の海から、巨大な石膏の手首が現れ、ヘリコプターに吊り上げられ、やがて薄明のビルディングの彼方に飛び去っていく。(あれは、「ユリシーズの瞳」に出てきたレーニン像の一部なのだろうか)。神妙に、かつ茫然として、手首が浮遊し遠ざかってゆくのを、オレステス、ヴーラ、アレクサンドロスの3人が見送っている……。「もしも私が叫んだとて、天使たちのだれが聞くだろう」と、オレステスはリルケの詩の1節を吐き捨てる。

オレステスは愛車をバイク集団の若者に売る交渉を成立させた後、姉弟と、最後の夜をディスコで過ごす。しかし、ヴーラはほっておかれ、弟とともにディスコを抜け出し、また、旅の人となる。夜の高速道路を、ヴーラは弟の手を引っ張り、怒ったように、進んで行く。オレステスが、今夜限りのバイクに乗って2人に追いつき、ヴーラを抱きしめる。「最初のときはだれでもそうなんだ。最初のときはだれでもそうなんだ。心臓は破れそうになる。最初のときはだれでもそうなんだ。息が乱れ、死にそうな気がする」と、ヴーラに語る。

姉弟は、ドイツを目指す。金を持たないヴーラは、とある駅で兵隊を見つけ、385ドラクマを所望する。兵隊は、少女を「買う」心押さえがたく、右往左往した上、ついに紙幣をヴーラに渡すだけにとどまる。

暗闇に、ヴーラの声がする。「川を渡ったところがドイツよ」。小船を漕ぐヴーラとアレクサンドロスに、「止れ」という国境警備員の声がかかった直後、「ドン」という銃声。しかし、2人は助かった。朝が訪れ、2人はドイツにいる。靄が次第に解け、輪郭の明確な景色が現れると、広大な原野に一本の木が立っているのが見える。駆け寄って、その木を抱きしめるヴーラとアレクサンドロス。

(2001.7.14鑑賞&記)

2019年4月 1日 (月)

テオ・アンゲロプロス「シテール島への船出」鑑賞記

頑固一徹で時代遅れとばかり思えていた老人が艫綱を解く段になって、観客はようやくその心根に触れ、深い共感を覚えている自分を見い出すことになる 。

シテール島への船出
1984年
ギリシア

長い旅から帰国する男がいる。求婚者を振り払い、待ちわびる妻がいる。というだけで、これはもう、オデュッセウスとペネロペイアの物語ということになるのだが、この作品ほどもろにその原典の物語と結びついている他の作品を知らない。後の作品「ユリシーズの瞳」が、「4人のペネロペイア」を登場させることになるのに比べて、本作の妻カテリーナはペネロペイアそのもののようであり、スピロはオデュッセウスそのもののようである。

映画「シテール島への船出」を撮影中の監督アレクサンドロスは、オーディションでスピロ役の俳優を選ぼうとするが、応募した多数の老人に存在感は感じられずにいるところ、ラベンダー売りの老人を見初める。

この冒頭のシーンは、映画の外の現在形だが、次の場面からは、監督であると同時に映画の主人公であるスピロ=オデュッセウスの息子の役をあわせ負う。時に監督、時にスピロとカテリーナの息子という二重性を演じる、自在な役を担って登場する。撮影中の映画「シテール島への船出」は、それを監督している人物の、映画の外の現在形と映画の内部の時間との境目がない。

映画は、32年振りに帰国した元革命戦士スピロが、故郷の村に所有する山がデベロッパーの手に売られようとしているのに抵抗し、結果、村を追われ、国外追放されるというストーリーを追う。単純明快なストーリーの中で、現代ギリシアの悲しみ、矛盾、退廃を抉(えぐ)り出していく。その眼差しは、スピロおよび妻カテリーナに置かれている、と言ってよい。カテリーナが感じている辛苦、スピロが感じている居心地の悪さが、この映画を映画の外側から見ている眼差しである。

撮影中の監督は、劇場で女優と情交し、妻ヴーラは、水夫と情交する。そんなシーンが挿まれるが、それを「見ることが可能なのは」、映画の中の映画を撮る監督(情交する監督)ではなく、アンゲロプロスその人である。その眼差しは、映画の中にいるスピロ=カテリーナへの共振にしかない。その眼差しには、現代ギリシアへの深い悲しみと深い愛情があり、静かな怒りもあり、絶望もある。

そして、希望があるとすれば、スピロがカテリーナを乗せた「はしけ」の艫綱(ともづな)を解き、海へ、シテール島へ漂いはじめるという行為そのものの中にある。その行為を仕立てたのは、アンゲロプロス監督である。その行為によって、靄(もや)のかかった海へ、2人の老人、オデュッセウスとペネロペイアは投げ出されるのであるが、「陸」にとどまっている限りは、なんともやりきれない現実があるばかりであるからである。

頑固一徹で時代遅れとばかり思えていた老人が艫綱を解く段になって、映画の観客は、ようやくその心根に触れ、深い共感を覚えている自分を見い出すことになる。


(2000.11.24鑑賞、11.27追記)

テオ・アンゲロプロス「ユリシーズの瞳」鑑賞記

銃撃音が聞こえたのは、その直後のことだった。老人家族のすべてが、殺される。

ユリシーズの瞳
1995
フランス・イタリア・ギリシア

35年間、留守にした祖国の街アテネから、映画監督の旅ははじまる。今世紀初頭から約60年を要して、マナキス兄弟が撮った写真や映画のうち、未現像の「動く写真」3巻を求めての旅である。アテネ市映画博物館から依頼された仕事であるが、「映画の眼(Gaze)」を取り戻そうとする個人的な希求心・衝動からでもある。マナキス兄弟は、バルカンおよびギリシアで最初の映画を撮った人物だ。

ハーヴェイ・カイテル扮する監督は、アンゲロプロスその人と見て差し支えないであろう。アテネの街は、監督が制作した映画の公開を巡り、市を2分する騒ぎが起こっている。

長い亡命生活の末、帰還した高名な映画監督は、長い遠征から故郷イタカに帰ったオデュッセウス(ユリシーズ)に擬せられており、監督もまたオデュッセウスさながら旅の人である。その旅に、終わりはない。

眼差し(映画では、「眼」(まなざし)と作家・池澤夏樹が翻訳している)の復権・奪回が、この映画のテーマであり、映画監督アンゲロプロスのテーマでもある。映画の眼差しの奪回を、マナキス兄弟の未現像フィルムを求める旅で果たそうとするのである。

ゆったりとした時間が流れていく。とうとうとして、悠大で、静かな時間が、映画の画面を流れていく。しかし、その時間はバルカンの歴史を内包し、戦争の悲劇に彩られる。マナキス兄弟が写し取ったような「バルカンのすべて」であるように、悠大さと矛盾に満ちる。風景、結婚式、習慣、政治の変化、村祭り、革命、闘い、公式行事、サルタン、王、首相(モナステイル博物館の女性の言葉)……をマナキス兄弟が撮ったように、「すべての曖昧さ、すべての矛盾や衝突や混沌」を、切り取ろうとする。

アテネでの狂信派のデモ、アルバニア国境では内戦以来47年間会っていない妹を訪れるという老婦人、雪原を行く難民の群れ……にはじまる、3巻のフィルムを求めての旅。コリツア、モナステイル、スコピエ、ソフィア、ブカレスト、ベオグラード、そして、1994年12月のサラエボへ。

ドナウを、巨大なレーニン像を乗せた船が行く。モナステイルの女性と交わした短い愛の時間を振り切った監督が、その船に潜んでいる。川べりに群がる人々が、豆のように小さな黒点の集まりだ。よく見ると、なにやら胸のあたりで手を動かしている。十字を切っている人々がいるのである。ドナウの静かな流れ。美しい風景は人々の心の中にある、とでもいいたげなシーンが続くが、あくまで美しいのは風景そのものだ。レーニン像の「白」が、悠揚としたドナウの流れに溶け込む。

ベオグラードでは、かつての僚友であるジャーナリストと再会。2人は、失われた希望に、逝ってしまった仲間に、68年5月に……乾杯するが、それらは「過去」のことではない。深い悲しみが乾杯の底にある。監督は、3巻のフィルムが戦火の只中のサラエボへあることを知り、エブロス川を行く。

同僚ジャーナリストの手配で、監督を案内するのはサバ村の女性であり、扮するマヤ・モルゲンステルンは、アテネのデモの中に消えたかつての恋人、モナステイルの博物館職員である女性、このサバの女性、サラエボで映画保存に骨身を削る老人の娘ナオミの4役をこなしている。これら4人の女性は、監督がその都度出会う「永遠の妻・ペネロペイア」であるかのようである。

空襲警報が発令されるサラエボに、3巻の未現像フィルムはあった! 表向き廃墟と見えるこの街には、地下でマーケットが開かれ、買出しや水を汲みにポリタンクをもった人々が集う賑わいが失われていない。中に、映画技術者の老人(エルランド・ヨセフソン)がおり、彼は、スコピエ映画博物館の収蔵品を熱心に保護しているのだった。長い旅の疲れに、求めていたフィルムが見つかった興奮が重なり、監督は言う。「フィルムを闇の中に閉じ込めておく権利はあなたにはない」。監督を理解した老人は、現像に着手し、成功したはじめの部分を見せ、2人は感激して抱擁する。

霧に包まれたサラエボの街。霧の中では、セルビア、クロアチア、回教徒の別なく構成された「民族混声交響楽団」の演奏会が行われている。映画技術者である老人が言う。「霧は人間の友なのだ」。老人の娘が、「踊りましょう」と監督を誘い、監督は応じる。3巻の未現像フィルムに巡り会えた監督は、そのこと以上に「この協和」に心撃たれる。「眼」を奪還した思いに至る。娘ナオミと踊り、結婚を誓った監督だが、「眼」を公開するために、いったんサラエボを去らねばならない。

銃撃音が聞こえたのは、その直後のことだった。老人家族のすべてが、殺される。下手人は明らかだが、映像はそれを追おうとしない。「神様も間違いなされる」という軍人の声と、銃撃音と悲鳴、川に死体が放り込まれる音、そしてジープの発進音だけが聞こえる。人々の友のはずの霧の風景が、画面いっぱいに広がるだけである。

順を追うのに精一杯になってしまった。結末のシーンは2度見るのが辛い。記さねばならないことは、手に負えないほどあるが、それはもう「書き言葉」の世界を超えるものを持っている。映画を見る上はないのである。

映画作品には、映画ならではの手法・文法が採用されていて、映画とは何か自体を問いかけることがよくある。作家主義的な流れは、絶えずその問いに満ちているが、この作品もそうである。この作品はその答を、映画監督を「主人公」にして、その「眼」(まなざし)自体の回復・奪還というテーマとして、前面に据えた。

映画の中の監督は、しばしば、マナキス兄弟に同化し、化身となるシーンがあるが、これも映画の手法のひとつである。現在と過去を自在に行き来し、交叉させることも、映画では簡単である。この技術は、しかし、失敗すると幻滅だ。観客の想像力を台無しにしてしまう。回想シーンや夢が、現在や現実と融合して、その境目が明瞭でない場合にも、同じことが言える。その点、「ユリシ-ズの瞳」は、完全に近い「編集」に成功している。ギリシア劇の伝統的手法を取り入れた「踊り」や「群衆の動き」などのシーンも、アンゲロプロス独特の不思議なテーストがあり、映像の振幅を深くしている。

この作品で、何よりも深いのは「悲しみ」である。

(2000.11.18鑑賞、11.19記)

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