カテゴリー

2024年1月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ

« テオ・アンゲロプロス「アレクサンダー大王」鑑賞記 | トップページ | 金子光晴「寂しさの歌」を読む/終戦記念日に寄せて »

2019年5月14日 (火)

中原中也・詩の宝島/ベルレーヌの足跡(あしあと)/補足2・橋本一明の読み・続(再開篇)

 


「Crimen Amoris(愛の犯罪)」は
ベルレーヌの第6詩集「昔とちかごろ」に収められていますが
橋本一明は「昔とちかごろ」について
「世界の詩集8・ヴェルレーヌ詩集」巻末の鑑賞の項で、

この詩集は、これまでの詩集から選をもれた詩篇を集成して編まれた。古いものは普仏戦争前のものから新しいものは刊行年に近いものまでが含まれている。
――と集成詩集であることに触れたあと
落穂拾いとは言い捨てられない名篇を収めている。
――と記しています。

その名篇のひとつであろう
「Crimen Amoris」は
橋本一明が
「万華鏡」「詩法」とともに選び翻訳した
3篇のうちの一つです。

詩集「昔とちかごろ」が落穂ひろいではないことについては
「純粋精神の系譜」中の「ヴェルレーヌ」の中でも
より突っ込んだ解釈を展開しています。

ヴェルレーヌは
詩集を単なる詩篇集とは考えていなかったと記した後で、

詩集に若干の詩篇を集めた本という意味ではなく、詩集そのものが一つの作品、詩篇の配列を工夫し、その工夫によって一つの芸術的世界を構成するものという意味をもたせようとの意匠は、多かれ少なかれ過去のほとんどの詩人の心に宿ったものだったろう。

しかし、いずれの場合もその詩人に第一義的なものは詩篇の創作であり、詩集の創作ではなかった。詩集の構成に意識的にとり組んだのは、たぶんボードレールが最初だったろう。

途中ですが
今回はここまで。

 

 

« テオ・アンゲロプロス「アレクサンダー大王」鑑賞記 | トップページ | 金子光晴「寂しさの歌」を読む/終戦記念日に寄せて »

054中原中也とベルレーヌ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« テオ・アンゲロプロス「アレクサンダー大王」鑑賞記 | トップページ | 金子光晴「寂しさの歌」を読む/終戦記念日に寄せて »