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2019年10月

2019年10月31日 (木)

中原中也/秋の詩名作コレクション44/ 修羅街輓歌

修羅街輓歌
       関口隆克に

   序 歌

忌(いま)わしい憶(おも)い出よ、
去れ! そしてむかしの
憐(あわれ)みの感情と
ゆたかな心よ、
返って来い!
  今日は日曜日
  椽側(えんがわ)には陽が当る。
  ――もういっぺん母親に連れられて
  祭の日には風船玉が買ってもらいたい、
  空は青く、すべてのものはまぶしくかがやかしかった……
     忌わしい憶い出よ、
     去れ!
        去れ去れ!

   Ⅱ 酔 生(すいせい)

私の青春も過ぎた、
――この寒い明け方の鶏鳴(けいめい)よ!
私の青春も過ぎた。

ほんに前後もみないで生きて来た……
私はあんまり陽気にすぎた?
――無邪気な戦士、私の心よ!

それにしても私は憎む、
対外意識にだけ生きる人々を。
――パラドクサルな人生よ。

いま茲(ここ)に傷つきはてて、
――この寒い明け方の鶏鳴よ!
おお、霜にしみらの鶏鳴よ……

   Ⅲ 独 語(どくご)

器(うつわ)の中の水が揺れないように、
器を持ち運ぶことは大切なのだ。
そうでさえあるならば
モーションは大きい程いい。

しかしそうするために、
もはや工夫を凝(こ)らす余地もないなら……
心よ、
謙抑(けんよく)にして神恵(しんけい)を待てよ。

   Ⅳ

いといと淡き今日の日は
雨蕭々(しょうしょう)と降り洒(そそ)ぎ
水より淡き空気にて
林の香りすなりけり。

げに秋深き今日の日は
石の響きの如(ごと)くなり。
思い出だにもあらぬがに
まして夢などあるべきか。

まことや我(われ)は石のごと
影の如くは生きてきぬ……
呼ばんとするに言葉なく
空の如くははてもなし。

それよかなしきわが心
いわれもなくて拳(こぶし)する
誰をか責むることかある?
せつなきことのかぎりなり。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

2019年10月30日 (水)

中原中也/秋の詩名作コレクション43/秋

   1
昨日まで燃えていた野が
今日茫然として、曇った空の下につづく。
一雨毎(ひとあめごと)に秋になるのだ、と人は云(い)う
秋蝉(あきぜみ)は、もはやかしこに鳴いている、
草の中の、ひともとの木の中に。

僕は煙草(たばこ)を喫(す)う。その煙が
澱(よど)んだ空気の中をくねりながら昇る。
地平線はみつめようにもみつめられない
陽炎(かげろう)の亡霊達が起(た)ったり坐(すわ)ったりしているので、
――僕は蹲(しゃが)んでしまう。

鈍い金色を滞びて、空は曇っている、――相変らずだ、――
とても高いので、僕は俯(うつむ)いてしまう。
僕は倦怠(けんたい)を観念して生きているのだよ、
煙草の味が三通(みとお)りくらいにする。
死ももう、とおくはないのかもしれない……
 
   2

『それではさよならといって、
みょうに真鍮(しんちゅう)の光沢かなんぞのような笑(えみ)を湛(たた)えて彼奴(あいつ)は、
あのドアの所を立ち去ったのだったあね。
あの笑いがどうも、生きてる者のようじゃあなかったあね。

彼奴(あいつ)の目は、沼の水が澄(す)んだ時かなんかのような色をしてたあね。
話してる時、ほかのことを考えているようだったあね。
短く切って、物を云うくせがあったあね。
つまらない事を、細かく覚えていたりしたあね。』

『ええそうよ。――死ぬってことが分っていたのだわ?
星をみてると、星が僕になるんだなんて笑ってたわよ、たった先達(せんだって)よ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

たった先達よ、自分の下駄(げた)を、これあどうしても僕のじゃないっていうのよ。』

   3

草がちっともゆれなかったのよ、
その上を蝶々(ちょうちょう)がとんでいたのよ。
浴衣(ゆかた)を着て、あの人縁側に立ってそれを見てるのよ。
あたしこっちからあの人の様子 見てたわよ。
あの人ジッと見てるのよ、黄色い蝶々を。
お豆腐屋の笛が方々(ほうぼう)で聞えていたわ、
あの電信柱が、夕空にクッキリしてて、
――僕、ってあの人あたしの方を振向(ふりむ)くのよ、
昨日三十貫(かん)くらいある石をコジ起しちゃった、ってのよ。
――まあどうして、どこで?ってあたし訊いたのよ。
するとね、あの人あたしの目をジッとみるのよ、
怒ってるようなのよ、まあ……あたし怖かったわ。

死ぬまえってへんなものねえ……

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

2019年10月29日 (火)

中原中也/秋の詩名作コレクション42/盲目の秋

盲目の秋

   Ⅰ
風が立ち、浪(なみ)が騒ぎ、
  無限の前に腕を振る。

その間(かん)、小さな紅(くれない)の花が見えはするが、
  それもやがては潰(つぶ)れてしまう。

風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限のまえに腕を振る。

もう永遠に帰らないことを思って
  酷薄(こくはく)な嘆息(たんそく)するのも幾(いく)たびであろう……

私の青春はもはや堅い血管となり、
  その中を曼珠沙華(ひがんばな)と夕陽とがゆきすぎる。

それはしずかで、きらびやかで、なみなみと湛(たた)え、
  去りゆく女が最後にくれる笑(えま)いのように、
  
厳(おごそ)かで、ゆたかで、それでいて佗(わび)しく
  異様で、温かで、きらめいて胸に残る……

      ああ、胸に残る……

風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限のまえに腕を振る。

   Ⅱ

これがどうなろうと、あれがどうなろうと、
そんなことはどうでもいいのだ。

これがどういうことであろうと、それがどういうことであろうと、
そんなことはなおさらどうだっていいのだ。

人には自恃(じじ)があればよい!
その余(あまり)はすべてなるままだ……

自恃だ、自恃だ、自恃だ、自恃だ、
ただそれだけが人の行(おこな)いを罪としない。

平気で、陽気で、藁束(わらたば)のようにしんみりと、
朝霧を煮釜に塡(つ)めて、跳起(とびお)きられればよい!

   Ⅲ

私の聖母(サンタ・マリヤ)!
  とにかく私は血を吐いた! ……
おまえが情けをうけてくれないので、
  とにかく私はまいってしまった……

それというのも私が素直(すなお)でなかったからでもあるが、
  それというのも私に意気地(いくじ)がなかったからでもあるが、
私がおまえを愛することがごく自然だったので、
  おまえもわたしを愛していたのだが……

おお! 私の聖母(サンタ・マリヤ)!
  いまさらどうしようもないことではあるが、
せめてこれだけ知るがいい――

ごく自然に、だが自然に愛せるということは、
  そんなにたびたびあることでなく、
そしてこのことを知ることが、そう誰にでも許されてはいないのだ。

   Ⅳ

せめて死の時には、
あの女が私の上に胸を披(ひら)いてくれるでしょうか。
  その時は白粧(おしろい)をつけていてはいや、
  その時は白粧をつけていてはいや。

ただ静かにその胸を披いて、
私の眼に副射(ふくしゃ)していて下さい。
  何にも考えてくれてはいや、
  たとえ私のために考えてくれるのでもいや。

ただはららかにはららかに涙を含み、
あたたかく息づいていて下さい。
――もしも涙がながれてきたら、

いきなり私の上にうつ俯(ぶ)して、
それで私を殺してしまってもいい。
すれば私は心地よく、うねうねの暝土(よみじ)の径(みち)を昇りゆく。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

2019年10月28日 (月)

中原中也/秋の詩名作コレクション41/ 秋の夜空

秋の夜空

これはまあ、おにぎわしい、
みんなてんでなことをいう
それでもつれぬみやびさよ
いずれ揃(そろ)って夫人たち。
    下界(げかい)は秋の夜(よ)というに
上天界(じょうてんかい)のにぎわしさ。

すべすべしている床の上、
金のカンテラ点(つ)いている。
小さな頭、長い裳裾(すそ)、
椅子(いす)は一つもないのです。
    下界は秋の夜というに
上天界のあかるさよ。

ほんのりあかるい上天界
遐(とお)き昔の影祭(かげまつり)、
しずかなしずかな賑(にぎ)わしさ
上天界の夜の宴。
    私は下界で見ていたが、
知らないあいだに退散した。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

2019年10月27日 (日)

中原中也/秋の詩名作コレクション40/港市の秋

港市の秋

石崖(いしがけ)に、朝陽が射して
秋空は美しいかぎり。
むこうに見える港は、
蝸牛(かたつむり)の角(つの)でもあるのか

町では人々煙管(キセル)の掃除(そうじ)。
甍(いらか)は伸びをし
空は割れる。

役人の休み日――どてら姿だ。
『今度生(うま)れたら……』
海員(かいいん)が唄(うた)う。
『ぎーこたん、ばったりしょ……』
狸婆々(たぬきばば)がうたう。

   港(みなと)の市(まち)の秋の日は、
   大人しい発狂。
   私はその日人生に、
   椅子(いす)を失くした。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

2019年10月26日 (土)

中原中也/秋の詩名作コレクション39/秋の一日

秋の一日

こんな朝、遅く目覚める人達は
戸にあたる風と轍(わだち)との音によって、
サイレンの棲む海に溺れる。 

夏の夜の露店の会話と、
建築家の良心はもうない。
あらゆるものは古代歴史と
花崗岩(かこうがん)のかなたの地平の目の色。

今朝はすべてが領事館旗(りょうじかんき)のもとに従順で、
私は錫(しゃく)と広場と天鼓(てんこ)のほかのなんにも知らない。
軟体動物のしゃがれ声にも気をとめないで、
紫の蹲(しゃが)んだ影して公園で、乳児は口に砂を入れる。

    (水色のプラットホームと
    躁(はしゃ)ぐ少女と嘲笑(あざわら)うヤンキイは
    いやだ いやだ!)

ぽけっとに手を突込んで
路次(ろじ)を抜け、波止場(はとば)に出(い)でて
今日の日の魂に合う
布切屑(きれくず)をでも探して来よう。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

2019年10月25日 (金)

中原中也/秋の詩名作コレクション38/臨 終

臨 終

秋空は鈍色(にびいろ)にして
黒馬(くろうま)の瞳のひかり
  水涸(か)れて落つる百合花(ゆりばな)
  ああ こころうつろなるかな

神もなくしるべもなくて
窓近く婦(おみな)の逝(ゆ)きぬ
  白き空盲(めし)いてありて
  白き風冷たくありぬ

窓際に髪を洗えば
その腕の優しくありぬ
  朝の日は澪(こぼ)れてありぬ
  水の音(おと)したたりていぬ

町々はさやぎてありぬ
子等(こら)の声もつれてありぬ
  しかはあれ この魂はいかにとなるか?
  うすらぎて 空となるか?

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

2019年10月24日 (木)

中原中也/秋の詩名作コレクション37/雲った秋

雲った秋

或(あ)る日君は僕を見て嗤(わら)うだろう、
あんまり蒼(あお)い顔しているとて、
十一月の風に吹かれている、無花果(いちじく)の葉かなんかのようだ、
棄てられた犬のようだとて。

まことにそれはそのようであり、
犬よりもみじめであるかも知れぬのであり
僕自身時折はそのように思って
僕自身悲しんだことかも知れない

それなのに君はまた思い出すだろう
僕のいない時、僕のもう地上にいない日に、
あいつあの時あの道のあの箇所で
蒼い顔して、無花果の葉のように風に吹かれて、――冷たい午後だった――

しょんぼりとして、犬のように捨てられていたと。

猫が鳴いていた、みんなが寝静まると、
隣りの空地で、そこの暗がりで、
まことに緊密でゆったりと細い声で、
ゆったりと細い声で闇の中で鳴いていた。

あのようにゆったりと今宵一夜(ひとよ)を
鳴いて明そうというのであれば
さぞや緊密な心を抱いて
猫は生存しているのであろう……

あのように悲しげに憧れに充ちて
今宵ああして鳴いているのであれば
なんだか私の生きているということも
まんざら無意味ではなさそうに思える……

猫は空地の雑草の陰で、
多分は石ころを足に感じ
その冷たさを足に感じ、
霧の降る夜を鳴いていた――

君のそのパイプの、
汚れ方だの燋(こ)げ方だの、
僕はいやほどよく知ってるが、
気味の悪い程鮮明に、僕はそいつを知ってるのだが……

   今宵ランプはポトホト燻(かが)り
   君と僕との影は床(ゆか)に
   或(ある)いは壁にぼんやりと落ち、
   遠い電車の音は聞こえる

君のそのパイプの、
汚れ方だの燋げ方だの、
僕は実によく知ってるが、
それが永劫(えいごう)の時間の中では、どういうことになるのかねえ?――

   今宵私の命はかがり
   君と僕との命はかがり、
   僕等の命も煙草のように
   どんどん燃えてゆくとしきゃ思えない

まことに印象の鮮明ということ
我等の記臆、謂(い)わば我々の命の足跡が
あんまりまざまざとしているということは
いったいどういうことなのであろうか

   今宵ランプはポトホト燻り、
   君と僕との影は床に
   或いは壁にぼんやりと落ち、
   遠い電車の音は聞こえる

どうにも方途がつかない時は
諦めることが男々(おお)しいことになる
ところで方途が絶対につかないと
思われることは、まず皆無

   そこで命はポトホトかがり
   君と僕との命はかがり
   僕等の命も煙草のように
   どんどん燃えるとしきゃ思えない

コオロギガ、ナイテ、イマス
シュウシン ラッパガ、ナッテ、イマス
デンシャハ、マダマダ、ウゴイテ、イマス
クサキモ、ネムル、ウシミツドキデス
イイエ、マダデス、ウシミツドキハ
コレカラ、ニジカン、タッテカラデス
ソレデハ、ボーヤハ、マダオキテイテイイデスカ
イイエ、ボーヤハ、ハヤクネルノデス
ネテカラ、ソレカラ、オキテモイイデスカ
アサガキタナラ、オキテイイノデス
アサハ、ドーシテ、コサセルノデスカ
アサハ、アサノホーデ、ヤッテキマス
ドコカラ、ドーシテ、ヤッテクル、ノデスカ
オカオヲ、アラッテ、デテクル、ノデス
ソレハ、アシタノ、コトデスカ
ソレガ、アシタノ、アサノ、コトデス
イマハ、コオロギ、ナイテ、イマスネ
ソレカラ、ラッパモ、ナッテ、イマスネ
デンシャハ、マダマダ、ウゴイテ、イマス
ウシミツドキデハ、マダナイデスネ
オワリ
          (一九三五・一〇・五)


(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

2019年10月23日 (水)

中原中也/秋の詩名作コレクション36/秋の夜に、湯に浸り

秋の夜に、湯に浸り

秋の夜に、独りで湯に這入(はい)ることは、
淋しいじゃないか。

秋の夜に、人と湯に這入ることも亦、
淋しいじゃないか。

話の駒が合ったりすれば、
その時は楽しくもあろう

然(しか)しそれというも、何か大事なことを
わきへ置いといてのことのようには思われないか?

――秋の夜に湯に這入るには……
独りですべきか、人とすべきか?

所詮(しょせん)は何も、
決ることではあるまいぞ。

さればいっそ、潜(もぐ)って死にやれ!
それとも汝、熱中事を持て!

    ※     ※
       ※

四行詩

おまえはもう静かな部屋に帰るがよい。
煥発(かんぱつ)する都会の夜々の燈火(ともしび)を後(あと)に、
おまえはもう、郊外の道を辿(たど)るがよい。
そして心の呟(つぶや)きを、ゆっくりと聴くがよい。

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)
その時は楽しくもあろう
然(しか)しそれというも、何か大事なことを
わきへ置いといてのことのようには思われないか?
――秋の夜に湯に這入るには……
独りですべきか、人とすべきか?
所詮(しょせん)は何も、
決ることではあるまいぞ。
さればいっそ、潜(もぐ)って死にやれ!
それとも汝、熱中事を持て!
※    ※
  ※
四行詩
おまえはもう静かな部屋に帰るがよい。
煥発(かんぱつ)する都会の夜々の燈火(ともしび)を後(あと)に、
おまえはもう、郊外の道を辿(たど)るがよい。
そして心の呟(つぶや)きを、ゆっくりと聴くがよい。

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

中原中也/秋の詩名作コレクション35/(秋が来た)

(秋が来た)

秋が来た。
また公園の竝木路(なみきみち)は、
すっかり落葉で蔽(おお)われて、
その上に、わびしい黄色い夕陽は落ちる。

それは泣きやめた女の顔、
ワットマンに描かれた淡彩、
裏ッ側は湿っているのに
表面はサラッと乾いて、

細かな砂粒をうっすらと附け
まるであえかな心でも持ってるもののように、
遥(はる)かの空に、瞳を送る。

僕はしゃがんで、石ころを拾ってみたり、
遐(とお)くをみたり、その石ころをちょっと放(ほ)ったり、
思い出したみたいにまた口笛を吹いたりもします。

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

中原中也/秋の詩名作コレクション34/誘蛾燈詠歌

誘蛾燈詠歌

ほのかにほのかに、ともっているのは
これは一つの誘蛾燈(ゆうがとう)、稲田の中に
秋の夜長のこの夜さ一と夜、ともっているのは
誘蛾燈、ひときわ明るみひときわくらく
銀河も流るるこの夜さ一と夜、稲田の此処(ここ)に
ともっているのは誘蛾燈、だあれも来ない
稲田の中に、ともっているのは誘蛾燈
たまたま此処に来合せた者が、見れば明るく
ひときわ明るく、これより明るいものとてもない
夕べ誰(た)が手がこれをば此処に、置きに来たのか知る由もない
銀河も流るる此の夜さ一と夜、此処にともるは誘蛾燈

と、つまり死なのです、死だけが解決なのです
それなのに人は子供を作り、子供を育て
ここもと此処(娑婆(しゃば))だけを一心に相手とするのです
却々(なかなか)義理堅いものともいえるし刹那的(せつなてき)とも考えられます
暗い暗い曠野(こうや)の中に、その一と所に灯(ともし)をばともして
ほのぼのと人は暮しをするのです、前後(あとさき)の思念もなく
扨(さて)ほのぼのと暮すその暮しの中に、皮肉もあれば意地悪もあり
虚栄もあれば衒(てら)い気もあるというのですから大したものです
ほのぼのと、此処だけ明るい光の中に、親と子とそのいとなみと
義理と人情と心労と希望とあるというのだからおおけなきものです
もともとはといえば終局の所は、案じあぐんでも分らない所から
此処は此処だけで一心になろうとしたものだかそれとも、
子供は子供で現に可愛いいから可愛がる、従って
その子はまたその子の子を可愛がるというふうになるうちに
入籍だの誕生の祝いだのと義理堅い制度や約束が生じたのか
その何れであるかは容易に分らず多分は後者の方であろうにしても
如何(いか)にも私如き男にはほのかにほのかに、ここばかり明(あか)る此の娑婆というものは
なにや分らずただいじらしく、夜べに聞く青年団の
喇叭(らっぱ)練習の音の往還(おうかん)に流れ消えゆくを
銀河思い合せて聞いてあるだに感じ強うて精一杯で
その上義務だのと云われてははや驚くのほかにすべなく
身を挙げて考えてのようやくのことが、
ほのぼのとほのぼのとここもと此処ばかり明る灯(ともし)ともして
人は案外義理堅く生活するということしか分らない
そして私は青年団練習の喇叭を聞いて思いそぞろになりながら
而(しか)も義理と人情との世のしきたりに引摺(ひきず)られつつびっくりしている


     あおによし奈良の都の……

それではもう、僕は青とともに心中しましょうわい
くれないだのイエローなどと、こちゃ知らんことだわい
流れ流れつ空をみて赤児の脣(くち)よりなお淡(あわ)く
空に浮かれて死んでゆこか、みなさんや
どうか助けて下されい、流れ流れる気持より
何も分らぬわたくしは、少しばかりは人様なみに
生きていたいが業(ごう)のはじまり、かにかくにちょっぴりと働いては
酒をのみ、何やらかなしく、これこのようにぬけぬけと
まだ生きておりまして、今宵小川に映る月しだれ柳や
いやもう難有(ありがと)って、耳ゴーと鳴って口きけませんだじゃい

     やまとやまと、やまとはくにのまほろば……

何云いなはるか、え? あんまり責めんといとくれやす
責めはったかてどないなるもんやなし、な
責めんといとくれやす、何も諛(へつら)いますのやないけど
あてこないな気持になるかて、あんたかて
こないな気持にならはることかてありますやろ、そやないか?
そらモダンもええどっしやろ、しかし柳腰(やなぎごし)もええもんどすえ?

     (ああ、そやないかァ)
     (ああ、そやないかァ)

5 メルヘン

寒い寒い雪の曠野の中でありました
静御前(しずかごぜん)と金時(きんとき)は親子の仲でありました
すげ笠は女の首にはあまりに大きいものでありました
雪の中ではおむつもとりかえられず
吹雪は瓦斯(ガス)の光の色をしておりました

×

或るおぼろぬくい春の夜でありました
平(たいら)の忠度(ただのり)は桜の木の下に駒をとめました
かぶとは少しく重過ぎるのでありました
そばのいささ流れで頭の汗を洗いました、サテ
花や今宵の主(あるじ)ならまし

                    (一九三四・一二・一六)

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

中原中也/秋の詩名作コレクション34/誘蛾燈詠歌

誘蛾燈詠歌

ほのかにほのかに、ともっているのは
これは一つの誘蛾燈(ゆうがとう)、稲田の中に
秋の夜長のこの夜さ一と夜、ともっているのは
誘蛾燈、ひときわ明るみひときわくらく
銀河も流るるこの夜さ一と夜、稲田の此処(ここ)に
ともっているのは誘蛾燈、だあれも来ない
稲田の中に、ともっているのは誘蛾燈
たまたま此処に来合せた者が、見れば明るく
ひときわ明るく、これより明るいものとてもない
夕べ誰(た)が手がこれをば此処に、置きに来たのか知る由もない
銀河も流るる此の夜さ一と夜、此処にともるは誘蛾燈

と、つまり死なのです、死だけが解決なのです
それなのに人は子供を作り、子供を育て
ここもと此処(娑婆(しゃば))だけを一心に相手とするのです
却々(なかなか)義理堅いものともいえるし刹那的(せつなてき)とも考えられます
暗い暗い曠野(こうや)の中に、その一と所に灯(ともし)をばともして
ほのぼのと人は暮しをするのです、前後(あとさき)の思念もなく
扨(さて)ほのぼのと暮すその暮しの中に、皮肉もあれば意地悪もあり
虚栄もあれば衒(てら)い気もあるというのですから大したものです
ほのぼのと、此処だけ明るい光の中に、親と子とそのいとなみと
義理と人情と心労と希望とあるというのだからおおけなきものです
もともとはといえば終局の所は、案じあぐんでも分らない所から
此処は此処だけで一心になろうとしたものだかそれとも、
子供は子供で現に可愛いいから可愛がる、従って
その子はまたその子の子を可愛がるというふうになるうちに
入籍だの誕生の祝いだのと義理堅い制度や約束が生じたのか
その何れであるかは容易に分らず多分は後者の方であろうにしても
如何(いか)にも私如き男にはほのかにほのかに、ここばかり明(あか)る此の娑婆というものは
なにや分らずただいじらしく、夜べに聞く青年団の
喇叭(らっぱ)練習の音の往還(おうかん)に流れ消えゆくを
銀河思い合せて聞いてあるだに感じ強うて精一杯で
その上義務だのと云われてははや驚くのほかにすべなく
身を挙げて考えてのようやくのことが、
ほのぼのとほのぼのとここもと此処ばかり明る灯(ともし)ともして
人は案外義理堅く生活するということしか分らない
そして私は青年団練習の喇叭を聞いて思いそぞろになりながら
而(しか)も義理と人情との世のしきたりに引摺(ひきず)られつつびっくりしている


     あおによし奈良の都の……

それではもう、僕は青とともに心中しましょうわい
くれないだのイエローなどと、こちゃ知らんことだわい
流れ流れつ空をみて赤児の脣(くち)よりなお淡(あわ)く
空に浮かれて死んでゆこか、みなさんや
どうか助けて下されい、流れ流れる気持より
何も分らぬわたくしは、少しばかりは人様なみに
生きていたいが業(ごう)のはじまり、かにかくにちょっぴりと働いては
酒をのみ、何やらかなしく、これこのようにぬけぬけと
まだ生きておりまして、今宵小川に映る月しだれ柳や
いやもう難有(ありがと)って、耳ゴーと鳴って口きけませんだじゃい

     やまとやまと、やまとはくにのまほろば……

何云いなはるか、え? あんまり責めんといとくれやす
責めはったかてどないなるもんやなし、な
責めんといとくれやす、何も諛(へつら)いますのやないけど
あてこないな気持になるかて、あんたかて
こないな気持にならはることかてありますやろ、そやないか?
そらモダンもええどっしやろ、しかし柳腰(やなぎごし)もええもんどすえ?

     (ああ、そやないかァ)
     (ああ、そやないかァ)

5 メルヘン

寒い寒い雪の曠野の中でありました
静御前(しずかごぜん)と金時(きんとき)は親子の仲でありました
すげ笠は女の首にはあまりに大きいものでありました
雪の中ではおむつもとりかえられず
吹雪は瓦斯(ガス)の光の色をしておりました

×

或るおぼろぬくい春の夜でありました
平(たいら)の忠度(ただのり)は桜の木の下に駒をとめました
かぶとは少しく重過ぎるのでありました
そばのいささ流れで頭の汗を洗いました、サテ
花や今宵の主(あるじ)ならまし

                    (一九三四・一二・一六)

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

2019年10月22日 (火)

中原中也/秋の詩名作コレクション33/ 別 離

別 離

さよなら、さよなら!
いろいろお世話になりました
  いろいろお世話になりましたねえ
  いろいろお世話になりました

さよなら、さよなら!
  こんなに良いお天気の日に
  お別れしてゆくのかと思うとほんとに辛い
  こんなに良いお天気の日に

さよなら、さよなら!
  僕、午睡(ひるね)から覚(さ)めてみると
  みなさん家を空けておいでだった
  あの時を妙に思い出します

さよなら、さよなら!
  そして明日の今頃は
  長の年月見馴れてる
  故郷の土をば見ているのです

さよなら、さよなら!
  あなたはそんなにパラソルを振る
  僕にはあんまり眩(まぶ)しいのです
  あなたはそんなにパラソルを振る

さよなら、さよなら!
さよなら、さよなら!

(一九三四・一一・一三)

 僕、午睡から覚めてみると、
みなさん、家を空けておられた
 あの時を、妙に、思い出します

 日向ぼっこをしながらに、
爪摘(つめつ)んだ時のことも思い出します、
 みんな、みんな、思い出します

 芝庭のことも、思い出します
  薄い陽の、物音のない昼下り
 あの日、栗を食べたことも、思い出します

 干された飯櫃(おひつ)がよく乾き
 裏山に、烏(からす)が呑気(のんき)に啼いていた
 ああ、あのときのこと、あのときのこと……

 僕はなんでも思い出します
僕はなんでも思い出します
  でも、わけても思い出すことは

 わけても思い出すことは……
  ——いいえ、もうもう云えません
 決して、それは、云わないでしょう

忘れがたない、虹と花、
  忘れがたない、虹と花
  虹と花、虹と花

どこにまぎれてゆくのやら
  どこにまぎれてゆくのやら
  (そんなこと、考えるの馬鹿)

その手、その脣(くち)、その唇(くちびる)の、
  いつかは、消えて、ゆくでしょう
  (霙(みぞれ)とおんなじことですよ)

あなたは下を、向いている
  向いている、向いている
  さも殊勝(しゅしょう)らしく向いている

いいえ、こういったからといって
  なにも、怒(おこ)っているわけではないのです、
  怒っているわけではないのです

忘れがたない虹と花、
  虹と花、虹と花、
  (霙(みぞれ)とおんなじことですよ)

 何か、僕に、食べさして下さい。
何か、僕に、食べさして下さい。
   ‘きんとん’でもよい、何でもよい、
   何か、僕に食べさして下さい!

 いいえ、これは、僕の無理だ、
   こんなに、野道を歩いていながら
   野道に、食物(たべもの)、ありはしない。
   ありません、ありはしません!

向うに、水車が、見えています、
  苔むした、小屋の傍(そば)、
ではもう、此処(ここ)からお帰りなさい、お帰りなさい
  僕は一人で、行けます、行けます、
僕は、何を云ってるのでしょう
  いいえ、僕とて文明人らしく
もっと、他の話も、すれば出来た
  いいえ、やっぱり、出来ません出来ません


(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)
  

2019年10月21日 (月)

中原中也/秋の詩名作コレクション32/月下の告白 青山二郎に

月下の告白
        青山二郎に

劃然(かくぜん)とした石の稜(りょう)
あばた面(づら)なる墓の石
虫鳴く秋の此(こ)の夜(よ)さ一と夜
月の光に明るい墓場に
エジプト遺蹟(いせき)もなんのその
いとちんまりと落居(おちい)てござる
この僕は、生きながらえて
此の先何を為すべきか
石に腰掛け考えたれど
とんと分らぬ、考えともない
足の許(もと)なる小石や砂の
月の光に一つ一つ
手にとるようにみゆるをみれば
さてもなつかしいたわししたし
さてもなつかしいたわししたし

                 (一九三四・一〇・二〇)

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)
  

中原中也/秋の詩名作コレクション31/秋岸清凉居士

秋岸清凉居士

消えていったのは、
あれはあやめの花じゃろか?
いいえいいえ、消えていったは、
あれはなんとかいう花の紫の莟(つぼ)みであったじゃろ
冬の来る夜に、省線の
遠音とともに消えていったは
あれはなんとかいう花の紫の莟みであったじゃろ

とある侘(わ)びしい踏切のほとり
草は生え、すすきは伸びて
その中に、
焼木杭(やけぼっくい)がありました

その木杭に、その木杭にですね、
月は光を灑(そそ)ぎました

木杭は、胡麻塩頭の塩辛声(しょっかれごえ)の、
武家の末裔(はて)でもありましょうか?

それとも汚ないソフトかぶった
老ルンペンででもありましょうか

風は繁みをさやがせもせず、
冥府(あのよ)の温風(ぬるかぜ)さながらに
繁みの前を素通りしました

繁みの葉ッパの一枚々々
伺うような目付して、
こっそり私を瞶(みつ)めていました

月は半月(はんかけ) 鋭く光り
でも何時(いつ)もより
可なり低きにあるようでした

虫は草葉の下で鳴き、
草葉くぐって私に聞こえ、
それから月へと昇るのでした

ほのぼのと、煙草吹かして懐(ふところ)で、
手を暖(あった)めてまるでもう
此処(ここ)が自分の家(うち)のよう
すっかりと落付きはらい路の上(へ)に
ヒラヒラと舞う小妖女(フェアリー)に
だまされもせず小妖女(ファアリー)を、
見て見ぬ振りでいましたが
やがてして、ガックリとばかり
口開(あ)いて背(うし)ろに倒れた
頸(うなじ) きれいなその男
秋岸清凉居士といい――僕の弟、
月の夜とても闇夜じゃとても
今は此の世に亡い男

今夜侘びしい踏切のほとり
腑抜(ふぬけ)さながら彳(た)ってるは
月下の僕か弟か
おおかた僕には違いないけど
死んで行ったは、
――あれはあやめの花じゃろか
いいえいいえ消えて行ったは、
あれはなんとかいう花の紫の莟じゃろ
冬の来る夜に、省線の
遠音とともに消えていったは
あれはなんとかいう花の紫の莟か知れず
あれは果されなかった憧憬に窒息しおった弟の
弟の魂かも知れず
はた君が果されぬ憧憬であるかも知れず
草々も虫の音も焼木杭も月もレールも、
いつの日か手の掌(ひら)で揉んだ紫の朝顔の花の様に
揉み合わされて悉皆(しっかい)くちゃくちゃになろうやもはかられず
今し月下に憩(やす)らえる秋岸清凉居士ばかり
歴然として一基の墓石
石の稜(りょう) 劃然(かくぜん)として
世紀も眠る此(こ)の夜(よ)さ一と夜
――虫が鳴くとははて面妖(めんよう)な
エジプト遺蹟(いせき)もかくまでならずと
首を捻(ひね)ってみたが何
ブラリブラリと歩き出したが
どっちにしたっておんなしことでい
さてあらたまって申上まするが
今は三年の昔の秋まで在世
その秋死んだ弟が私の弟で
今じゃ秋岸清凉居士と申しやす、ヘイ。

(一九三四・一〇・二〇夜)


(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)
  

中原中也/秋の詩名作コレクション30/(小川が青く光っているのは)

(小川が青く光っているのは)

小川が青く光っているのは
あれは、空の色を映しているからなんだそうだ。

山の彼方(かなた)に、雲はたたずまい、
山の端(は)は、あの永遠の目(ま)ばたきは、
却(かえっ)て一本(ひともと)の草花に語っていた。

一本の草花は、広い畑の中に、
咲いていた。――葡萄畑(ぶどうばたけ)の、
あの唇(くちびる)黒い老婆に眺めいらるるままに。

レールが青く光っているのは、
あれは、空の色を映して青いんだそうだ。

秋の日よ! 風よ!
僕は汽車に乗って、富士の裾野(すその)をとおっていた。

(一九三三・一〇)

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)
  

2019年10月20日 (日)

中原中也/秋の詩名作コレクション29/京浜街道にて

京浜街道にて

萎びたコスモスに、鹿革の手袋をはめ、それを、霊柩車(れいきゅうしゃ)に入れて、街道を往く。

  風と陽は、まざらない……

霊柩車、落とす日蔭に、落ちる涙はこごめばな。

                    (一九三三・九・二二)

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)
  

中原中也/秋の詩名作コレクション28/夏過けて、友よ、秋とはなりました

夏過けて、友よ、秋とはなりました

友達よ、僕が何処(どこ)にいたか知っているか?
僕は島にいた、島の小さな漁村にいた。
其処(そこ)で僕は散歩をしたり、舟で酒を呑(の)んだりしていた。
又沢山の詩も読んだ、何にも煩(わずら)わされないで。

時に僕はひどく退屈した、君達に会いたかった。
しかし君達との長々しい会合、その終りにはだれる会合、
飲みたくない酒を飲み、話したくないことを話す辛さを思い出して
僕は僕の惰弱な心を、ともかくもなんとか制(おさ)えていた。

それにしてもそんな時には勉強は出来なかった、散歩も出来なかった。
僕は酒場に出掛けた、青と赤との濁った酒場で、
僕はジンを呑んで、しまいにはテーブルに俯伏(うつぶ)していた。

或(あ)る夜は浜辺で舟に凭(すが)って、波に閃(きら)めく月を見ていた。
遠くの方の物凄い空。舟の傍(そば)では虫が鳴いていた。
思いきりのんびり夢をみていた。浪の音がまだ耳に残っている。

暗い庭で虫が鳴いている、雨気を含んだ風が吹いている。
茲(ここ)は僕の書斎だ、僕はまた帰って来ている。
島の夜が思い出される、いったいどうしたものか夏の旅は、
死者の思い出のように心に沁(し)みる、毎年々々、

秋が来て、今夜のように虫の鳴く夜は、
靄(もや)に乗って、死人は、地平の方から僕の窓の下まで来て、
不憫(ふびん)にも、顔を合わすことを羞(はず)かしがっているように思えてならぬ。
それにしても、死んだ者達は、あれはいったいどうしたのだろうか?

過ぎし夏よ、島の夜々よ、おまえは一種の血みどろな思い出、
それなのにそれはまた、すがすがしい懐かしい思い出、
印象は深く、それなのに実際なのかと、疑ってみたくなるような思い出、
わかっているのに今更のように、ほんとだったと驚く思い出!……

(一九三三・八・二一)

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)
  

2019年10月19日 (土)

中原中也/秋の詩名作コレクション27/秋になる朝

秋になる朝

たったこの間まで、四時には明るくなったのが
五時になってもまだ暗い、秋来る頃の
あの頃のひきあけ方のかなしさよ。

ほのしらむ、稲穂にとんぼとびかよい
何事もなかったかのよう百姓は
朝露に湿った草鞋(わらじ)踏みしめて。

僕達はまだ睡(ねむ)い、睡気で頭がフラフラだ、それなのに
涼風は、おまえの瞳をまばたかせ、あの頃の涼風は
とうもろこしの葉やおまえの指股に浮かぶ汗の味がする
やがて工場の煙突は、朝空に、ばらの煙をあげるのだ。

恋人よ、あの頃の朝の涼風は、
とうもろこしの葉やおまえの指股に浮かぶ汗の匂いがする
そうして僕は思うのだ、希望は去った、……忍従(にんじゅう)が残る。
忍従が残る、忍従が残ると。

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)
  

中原中也/秋の詩名作コレクション26/幻 想

幻 想

何時(いつ)かまた郵便屋は来るでしょう。
街の蔭った、秋の日でしょう、

あなたはその手紙を読むでしょう
肩掛をかけて、読むでしょう

窓の外を通る未亡人達は、
あなたに不思議に見えるでしょう。

その女達に比べれば、
あなた自身はよっぽど幸福に思えるでしょう。

そして喜んで、あなたはあなたの悩みを悩むでしょう
人々はそのあなたを、すがすがしくは思うでしょう

けれどもそれにしても、あなたの傍(そば)の卓子(テーブル)の上にある
手套(てぶくろ)はその時、どんなに蒼ざめているでしょう

乳母車を輓(ひ)け、
紙製の風車を附(つ)けろ、
郊外に出ろ、
墓参りをしろ。

ブルターニュの町で、
秋のとある日、
窓硝子(まどガラス)はみんな割れた。
石畳(いしだたみ)は、乙女の目の底に
忘れた過去を偲(しの)んでいた、
ブルターニュの町に辞書はなかった。

市場通いの手籠(てかご)が唄う
夕(ゆうべ)の日蔭の中にして、
歯槽膿漏(しそうのうろう)たのもしや、
女はみんな瓜(うり)だなも。

瓜は腐りが早かろう、
そんなものならわしゃ嫌い、
歯槽膿漏さながらに
女はみんな瓜だなも。

雨降れ、
瓜の肌には冷たかろ。
空が曇って町曇り、
歴史が逆転はじめるだろ。

祖父(じい)さん祖母(ばあ)さんいた頃の、
影象レコード廻るだろ
肌は冷たく、目は大きく
相寄る魂いじらしく

オルガンのようになれよかし
愛嬌なんかはもうたくさん
胸掻き乱さず生きよかし
雨降れ、雨降れ、しめやかに。

昨日は雨でしたが今日は晴れました。
女はばかに気取っていました。
  昨日悄気(しょげ)たの取返しに。

罪のないことです、
さも強そうに、産業館に這入(はい)ってゆきます、
  要らない品物一つ買うために。

僕は輪廻ししようと思ったのだが、
輪は僕が突き出す前に駆け出しました。
  好いお天気の朝でした。


(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)
  

2019年10月17日 (木)

中原中也/秋の詩名作コレクション25/脱毛の秋 Etudes

脱毛の秋 Etudes

それは冷たい。石のようだ
過去を抱いている。
力も入れないで
むっちり緊(しま)っている。

捨てたんだ、多分は意志を。
享受してるんだ、夜(よる)の空気を。
流れ流れていてそれでも
ただ崩れないというだけなんだ。

脆(もろ)いんだ、密度は大であるのに。
やがて黎明(あけぼの)が来る時、
それらはもはやないだろう……

それよ、人の命の聴く歌だ。
――意志とはもはや私には、
あまりに通俗な声と聞こえる。

それから、私には疑問が遺(のこ)った。
それは、蒼白いものだった。
風も吹いていたかも知れない。

老女の髪毛が顫(ふる)えていたかも知れない。
コークスをだって、強(あなが)ち莫迦(ばか)には出来ないと思った。

所詮(しょせん)、イデエとは未決定的存在であるのか。
而(しか)して未決定的存在とは、多分は
嘗(かつ)て暖かだった自明事自体ではないのか。

僕はもう冷たいので、それを運用することを知らない。
僕は一つの藍玉(あいだま)を、時には速く時には遅くと
溶かしているばかりである。

僕は僕の無色の時間の中に投入される諸現象を、
まずまあ面白がる。

無色の時間を彩るためには、
すべての事物が一様の値いを持っていた。

まず、褐色の老書記の元気のほか、
僕を嫌がらすものとてはなかった。

瀝青(チャン)色の空があった。
一と手切(ちぎ)りの煙があった。
電車の音はドレスデン製の磁器を想わせた。
私は歩いていた、私の膝は櫟材(くぬぎざい)だった。

風はショウインドーに漣(さざなみ)をたてた。
私は常習の眩暈(めまい)をした。
それは枇杷(びわ)の葉の毒に似ていた。
私は手を展(ひろ)げて、二三滴雨滴(あまつぶ)を受けた。

風は遠くの街上にあった。
女等はみな、白馬になるとみえた。
ポストは夕陽に悪寒(おかん)していた。
僕は褐色の鹿皮の、蝦蟇口(がまぐち)を一つ欲した。

直線と曲線の両観念は、はじめ混り合わさりそうであったが、
まもなく両方消えていった。

僕は一切の観念を嫌憎する。
凡(あら)ゆる文献は、僕にまで関係がなかった。

それにしてもと、また惟(おも)いもする
こんなことでいいのだろうか、こんなことでいいのだろうか?……

然(しか)し僕には、思考のすべはなかった

風と波とに送られて
ペンキの剥(は)げたこのボート
愉快に愉快に漕げや舟

僕は僕自身の表現をだって信じはしない。

とある六月の夕(ゆうべ)、
石橋の上で岩に漂う夕陽を眺め、
橋の袂(たもと)の薬屋の壁に、
松井須磨子のビラが翻(ひるがえ)るのをみた。

――思えば、彼女はよく肥っていた
綿のようだった
多分今頃冥土(めいど)では、
石版刷屋の女房になっている。――さよなら。

私は親も兄弟もしらないといった
ナポレオンの気持がよく分る

ナポレオンは泣いたのだ
泣いても泣いても泣ききれなかったから
なんでもいい泣かないことにしたんだろう

人の世の喜びを離れ、
縁台の上に筵(むしろ)を敷いて、
夕顔の花に目をくれないことと、
反射運動の断続のほか、
私に自由は見出だされなかった。


(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)
  

中原中也/秋の詩名作コレクション24/死別の翌日

死別の翌日

生きのこるものはずうずうしく、
死にゆくものはその清純さを漂(ただよ)わせ
物云いたげな瞳を床にさまよわすだけで、
親を離れ、兄弟を離れ、
最初から独りであったもののように死んでゆく。

さて、今日は良いお天気です。
街の片側は翳(かげ)り、片側は日射しをうけて、あったかい
けざやかにもわびしい秋の午前です。
空は昨日までの雨に拭(ぬぐ)われて、すがすがしく、
それは海の方まで続いていることが分ります。

その空をみながら、また街の中をみながら、
歩いてゆく私はもはや此(こ)の世のことを考えず、
さりとて死んでいったもののことも考えてはいないのです。
みたばかりの死に茫然(ぼうぜん)として、
卑怯(ひきょう)にも似た感情を抱いて私は歩いていたと告白せねばなりません。

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)
  

2019年10月16日 (水)

中原中也/秋の詩名作コレクション23/(宵に寝て、秋の夜中に目が覚めて)

(宵に寝て、秋の夜中に目が覚めて)

宵(よい)に寝て、秋の夜中に目が覚めて
汽車の汽笛の音(ね)を聞いた。

  三富朽葉(くちば)よ、いまいずこ、
  明治時代よ、人力も
  今はすたれて瓦斯燈(ガスとう)は
  記憶の彼方(かなた)に明滅す。

宵に寝て、秋の夜中に目が覚めて
汽車の汽笛の音を聞いた。

  亡き明治ではあるけれど
  豆電球をツトとぼし
  秋の夜中に天井を
  みれば明治も甦る。

  ああ甦れ、甦れ、
  今宵故人が風貌(ふうぼう)の
  げになつかしいなつかしい。
  死んだ明治も甦れ。

宵に寝て、秋の夜中に目が覚めて
汽車の汽笛の音を聞いた。

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)
  

中原中也/秋の詩名作コレクション22/(月の光は音もなし)

(月の光は音もなし)

月の光は音もなし、
虫の鳴いてる草の上
月の光は溜(たま)ります

虫はなかなか鳴きまする
月ははるかな空にいて
見てはいますが聞こえない

虫は下界のためになき、
月は上界照らすなり、
虫は草にて鳴きまする。

やがて月にも聞えます、
私は虫の紹介者
月の世界の下僕(げぼく)です。

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)
  

2019年10月15日 (火)

中原中也/秋の詩名作コレクション21/秋の夜

秋の夜

夜霧(よぎり)が深く
冬が来るとみえる。
森が黒く
空を恨(うら)む。

外燈の下(もと)に来かかれば
なにか生活めいた思いをさせられ、
暗闇にさしかかれば、
死んだ娘達の歌声を聞く。

夜霧が深く
冬が来るとみえる。
森が黒く
空を恨む。

深い草叢(くさむら)に虫が鳴いて、
深い草叢を霧が包む。
近くの原が疲れて眠り、
遠くの竝木(なみき)が疑深い。

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)
  

2019年10月14日 (月)

中原中也/秋の詩名作コレクション20/(秋の夜に)

(秋の夜に)

秋の夜に、
僕は僕が破裂する夢を見て目が醒(さ)めた。

人類の背後には、はや暗雲が密集している
多くの人はまだそのことに気が付かぬ

気が付いた所で、格別別様のことが出来だすわけではないのだが、
気が付かれたら、諸君ももっと病的になられるであろう。

デカダン、サンボリスム、キュビスム、未来派、
表現派、ダダイスム、スュルレアリスム、共同製作……

世界は、呻(うめ)き、躊躇(ちゅうちょ)し、萎(しぼ)み、
牛肉のような色をしている。

然(しか)るに、今病的である者こそは、
現実を知っているように私には思える。

健全とははや出来たての銅鑼(どら)、
なんとも淋しい秋の夜です。

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)
  

2019年10月12日 (土)

中原中也/秋の詩名作コレクション19/さまざまな人

さまざまな人

抑制と、突発の間をいったりきたり、
彼は人にも自分にも甘えているのです。

彼の鼻は、どちらに向いているのか分らない、
真面目のようで、嘲(あざけ)ってるようで。

彼は幼時より変人とされました、
彼が馬鹿だと見られさえしたら天才でしたろうに。

打返した綿のようになごやかな男、
ミレーの絵をみて、涎(よだれ)を垂らしていました。

ソーダ硝子(ガラス)のような眼と唇とを持つ男、
彼が考える時、空をみました。
訪ねてゆくと、よくベンチに腰掛けていました。
落葉が来ると、
足を引込めました。
彼は発狂し、モットオを熱弁し、
死んでゆきました。

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)
  

中原中也/秋の詩名作コレクション18/Qu’est-ce que c’est que moi?

Qu’est-ce que c’est que moi?

 

私のなかで舞ってるものは、

こおろぎでもない、

秋の夜でもない。

南洋の夜風でもない、

椰子樹(やしのき)でもない。

それの葉に吹く風でもない

それの梢(こずえ)と、すれすれにゆく雲でない月光でもない。

つまり、その……

サムシング。

だが、なァんだその、サムシングかとは、

決して云ってはもらいますまい。

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

                           

2019年10月10日 (木)

中原中也/秋の詩名作コレクション17/ カフェーにて

カフェーにて

 

醉客の、さわがしさのなか、

ギタアルのレコード鳴って、

今晩も、わたしはここで、

ちびちびと、飮み更(ふ)かします

 

人々は、挨拶交わし、

杯の、やりとりをして、

秋寄する、この宵をしも、

これはまあ、きらびやかなことです

 

わたくしは、しょんぼりとして、

自然よりよいものは、さらにもないと、

悟りすましてひえびえと

 

ギタアルきいて、身も世もあらぬ思いして

酒啜(すす)ります、その酒に、秋風沁(し)みて

それはもう 結構なさびしさでございました

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

                           

2019年10月 9日 (水)

中原中也/秋の詩名作コレクション16/追 懐

追 懐

あなたは私を愛し、
私はあなたを愛した。

あなたはしっかりしており、
わたしは真面目であった。――

人にはそれが、嫉(ねた)ましかったのです、多分、
そしてそれを、偸(ぬす)もうとかかったのだ。

嫉み羨(うらや)みから出発したくどきに、あなたは乗ったのでした、
――何故(なぜ)でしょう?――何かの拍子……

そうしてあなたは私を別れた、
あの日に、おお、あの日に!

曇って風ある日だったその日は。その日以来、
もはやあなたは私のものではないのでした。

私は此処(ここ)にいます、黄色い灯影に、
あなたが今頃笑っているかどうか、――いや、ともすればそんなこと、想っていたりするのです

(一九二九・七・一四)

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)
  

2019年10月 8日 (火)

中原中也/秋の詩名作コレクション15/秋の夜

秋の夜

夜霧(よぎり)が深く
冬が来るとみえる。
森が黒く
空を恨(うら)む。

外燈の下(もと)に来かかれば
なにか生活めいた思いをさせられ、
暗闇にさしかかれば、
死んだ娘達の歌声を聞く。

夜霧が深く
冬が来るとみえる。
森が黒く
空を恨む。

深い草叢(くさむら)に虫が鳴いて、
深い草叢を霧が包む。
近くの原が疲れて眠り、
遠くの竝木(なみき)が疑深い。

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)
 

2019年10月 7日 (月)

中原中也/秋の詩名作コレクション14/処女詩集序

処女詩集序

かつて私は一切の「立脚点」だった。
かつて私は一切の解釈だった。

私は不思議な共通接線に額して
倫理の最後の点をみた。

(ああ、それらの美しい論法の一つ一つを
いかにいまここに想起したいことか!)

その日私はお道化(どけ)る子供だった。
卑小な希望達の仲間となり馬鹿笑いをつづけていた。

(いかにその日の私の見窄(みすぼら)しかったことか!
いかにその日の私の神聖だったことか!)

私は完(まった)き従順の中に
わずかに呼吸を見出していた。

私は羅馬婦人(ローマおんな)の笑顔や夕立跡の雲の上を、
膝頭(ひざがしら)で歩いていたようなものだ。

これらの忘恩な生活の罰か? はたしてそうか?
私は今日、統覚作用の一欠片(ひとかけら)をも持たぬ。

そうだ、私は十一月の曇り日の墓地を歩いていた、
柊(ひいらぎ)の葉をみながら私は歩いていた。

その時私は何か?たしかに失った。

今では私は
生命の動力学にしかすぎない――――
自恃をもって私は、むずかる特権を感じます。

かくて私には歌がのこった。
たった一つ、歌というがのこった。

私の歌を聴いてくれ。

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)
 

2019年10月 6日 (日)

中原中也/秋の詩名作コレクション13/或る心の一季節――散文詩

或る心の一季節
――散文詩

最早(もはや)、あらゆるものが目を覚ました、黎明(れいめい)は来た。私の心の中に住む幾多のフェアリー達は、朝露の傍(そば)では草の葉っぱのすがすがしい線を描いた。

私は過去の夢を訝(いぶか)しげな眼で見返る………何故(ナニユエ)に夢であったかはまだ知らない。其処(そこ)に安座(あんざ)した大饒舌(だいじょうぜつ)で漸(ようや)く癒る程暑苦しい口腔(こうくう)を、又整頓を知らぬ口角を、樺色(かばいろ)の勝負部屋を、私は懐(なつか)しみを以(もっ)て心より胸にと汲(く)み出だす。だが次の瞬間に、私の心ははや、懐しみを棄てて慈(いつく)しみに変っている。これは如何(どう)したことだ?………けれども、私の心に今は残像に過ぎない、大饒舌で漸く癒る程暑苦しい口腔、整頓を知らぬ口角、樺色の勝負部屋……それ等の上にも、幸いあれ!幸いあれ!

併(しか)し此(こ)の願いは、卑屈(ひくつ)な生活の中では「ああ昇天は私に涙である」という、計(はか)らない、素気(すげ)なき呟(つぶや)きとなって出て来るのみだ。それは何故(なぜ)か?

私の過去の環境が、私に強請(きょうせい)した誤れる持物は、釈放さるべきアルコールの朝(アシタ)の海を昨日得ている。だが、それを得たる者の胸に訪れる筈(はず)の天使はまだ私の黄色の糜爛(びらん)の病床に来ては呉(く)れない。――(私は風車の上の空を見上げる)――私の唸(うめ)きは今や美(うる)わしく強き血漿(けっしょう)であるに、その最も親わしき友にも了解されずにいる。………

私はそれが苦しい。――「私は過去の夢を訝しげな眼で見返る………何故に夢であったかはまだ知らない。其処に安座した大饒舌で漸く癒る程暑苦しい口腔を、又整頓を知らぬ口角を、樺色の勝負部屋を、私は懐しみを以て心より胸にと汲み出す」――さればこそ私は恥辱を忘れることによっての自由を求めた。

友よ、それを徒(いたず)らな天真爛漫と見過(みあやま)るな。

だが、その自由の不快を、私は私の唯一つの仕事である散歩を、終日した後、やがてのこと己が机の前に帰って来、夜の一点を囲う生暖き部屋に、投げ出された自分の手足を見懸ける時に、泌々(しみじみ)知る。掛け置いた私の置時計の一秒々々の音に、茫然(ぼうぜん)耳をかしながら私は私の過去の要求の買い集めた書物の重なりに目を呉れる、又私の燈(ともしび)に向って瞼(まぶた)を見据える。

間もなく、疲労が軽く意識され始めるや、私は今日一日の巫戲(ふざ)けた自分の行蹟(ぎょうせき)の数々が、赤面と後悔を伴って私の心に蘇るのを感ずる。――まあ其処にある俺は、哄笑(こうしょう)と落胆との取留(とりとめ)なき混交(こんこう)の放射体ではなかったか!――だが併(しか)し、私のした私らしくない事も如何(いか)にか私の意図したことになってるのは不思議だ………「私の過去の環境が、私に強請した誤れる私の持物は、釈放さるべきアルコールの朝(アシタ)の海を昨日得ている。だが、それを得たる者の胸に訪れる筈の天使はまだ私の黄色の糜爛の病床に来ては呉れない。――(私は風車の上の空を見上げる)――私の唸きは今や美わしく強き血漿であるに、その最も親わしき友にも了解されずにいる」………そうだ、焦点の明確でないこと以外に、私は私に欠点を見出すことはもう出来ない。

私は友を訪れることを避けた。そして砂埃の立ち上がり巻き返る広場の縁をすぐって歩いた。
 今日もそれをした。そして今もう夜中が来ている。終列車を当てに停車場の待合室にチョコンと坐っている自分自身である。此所から二里近く離れた私の住居である一室は、夜空の下に細い赤い口をして待っているように思える――

私は夜、眠いリノリュームの、停車場の待合室では、沸き返る一抱きの蒸気釜を要求した。

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)
 

2019年10月 5日 (土)

中原中也/秋の詩名作コレクション12/秋の愁嘆

秋の愁嘆

ああ、秋が来た
眼に琺瑯(ほうろう)の涙沁(し)む。
ああ、秋が来た
胸に舞踏の終らぬうちに
もうまた秋が、おじゃったおじゃった。
野辺を 野辺を 畑を 町を
人達を蹂躪(じゅうりん)に秋がおじゃった。

その着る着物は寒冷紗(かんれいしゃ)
両手の先には 軽く冷い銀の玉
薄い横皺(よこじわ)平らなお顔で
笑えば籾殻(もみがら)かしゃかしゃと、
へちまのようにかすかすの
悪魔の伯父(おじ)さん、おじゃったおじゃった。

(一九二五・一〇・七)

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)
 

中原中也/秋の詩名作コレクション11/無 題

無 題

緋(ひ)のいろに心はなごみ
蠣殻(かきがら)の疲れ休まる

金色の胸綬(コルセット)して
町を行く細き町行く 

死の神の黒き涙腺(るいせん)
美しき芥(あくた)もみたり

自らを恕(ゆる)す心の
展(ひろが)りに女を据(す)えぬ

緋の色に心休まる
あきらめの閃(ひらめ)きをみる

静けさを罪と心得(こころえ)
きざむこと善(よ)しと心得

明らけき土の光に
浮揚する
蜻蛉となりぬ


(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)
 

中原中也/秋の詩名作コレクション10/秋の日

秋の日

秋の日は 白き物音
むきだせる 舗石(ほせき)の上に
人の目の 落ち去りゆきし
ああ すぎし 秋の日の夢

空にゆき 人群(ひとむれ)に分け
いまここに たどりも着ける
老の眼の 毒ある訝(いぶか)り
黒き石 興(きょう)をおさめて

ああ いかに すごしゆかんかな
乾きたる 砂金は頸(くび)を
めぐりてぞ 悲しきつつましさ

涙腺(るいせん)をみてぞ 静かに
あきらめに しりごむきょうを
ああ天に 神はみてもある

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)
 

2019年10月 4日 (金)

中原中也/秋の詩名作コレクション9/(秋の日を歩み疲れて)

(秋の日を歩み疲れて)

秋の日を歩み疲れて
橋上を通りかかれば
秋の草 金にねむりて
草分ける 足音をみる

忍從(にんじゅう)の 君は默(もく)せし
われはまた 叫びもしたり 
川果(かわはて)の 灰に光りて
感興(かんきょう)は 唾液(だえき)に消さる

人の呼気(こき) われもすいつつ
ひとみしり する子のまなこ
腰曲げて 走りゆきたり

台所暗き夕暮
新しき生木(なまき)の かおり
われはまた 夢のものうさ

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)
 

中原中也/秋の詩名作コレクション8/お会式の夜

お会式の夜

十月の十二日、池上の本門寺、
東京はその夜、電車の終夜運転、
来る年も、来る年も、私はその夜を歩きとおす、
太鼓の音の、絶えないその夜を。

来る年にも、来る年にも、その夜はえてして風が吹く。
吐(は)く息は、一年の、その夜頃から白くなる。
遠くや近くで、太鼓の音は鳴っていて、
頭上に、月は、あらわれている。

その時だ 僕がなんということはなく
落漠(らくばく)たる自分の過去をおもいみるのは
まとめてみようというのではなく、
吹く風と、月の光に仄(ほの)かな自分を思んみるのは。

思えば僕も年をとった。
辛いことであった。
それだけのことであった。
――夜が明けたら家に帰って寝るまでのこと。

十月の十二日、池上の本門寺、
東京はその夜、電車の終夜運転、
来る年も、来る年も、私はその夜を歩きとおす、
太鼓の音の、絶えないその夜。

(一九三二・一〇・一五)

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

中原中也/秋の詩名作コレクション7/干物

干物

秋の日は、干物(ひもの)の匂(にお)いがするよ

外苑の舗道しろじろ、うちつづき、
千駄ヶ谷、森の梢のちろちろと
空を透かせて、われわれを
視守(みまも)る 如(ごと)し。

秋の日は、干物の匂いがするよ
干物の、匂いを嗅(か)いで、うとうとと
秋蝉(あきぜみ)の鳴く声聞いて、われ睡(ねむ)る
人の世の、もの事すべて患(わず)らわし

匂を嗅いで睡ります、ひとびとよ、
秋の日は、干物の匂いがするよ

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)
 

2019年10月 3日 (木)

中原中也/秋の詩名作コレクション6/朝

 

かがやかしい朝よ、

紫の、物々の影よ、

つめたい、朝の空気よ、

灰色の、甍(いらか)よ、

水色の、空よ、

風よ!

 

なにか思い出せない……

大切な、こころのものよ、

底の方でか、遥(はる)か上方でか、

今も鳴る、失(な)くした笛よ、

その笛、短くはなる、

短く!

 

風よ!

水色の、空よ、

灰色の、甍よ、

つめたい、朝の空気よ、

かがやかしい朝

紫の、物々の影よ……

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩より。 新かなに変えてあります。)

                                                                                                                                             

中原中也/秋の詩名作コレクション5/いちじくの葉

いちじくの葉

夏の午前よ、いちじくの葉よ、
葉は、乾いている、ねむげな色をして
風が吹くと揺れている、
よわい枝をもっている……

僕は睡(ねむ)ろうか……
電線は空を走る
その電線からのように遠く蝉(せみ)は鳴いている
葉は乾いている、
風が吹いてくると揺れている
葉は葉で揺れ、枝としても揺れている

僕は睡ろうか……
空はしずかに音く、
陽は雲の中に這入(はい)っている、
電線は打つづいている
蝉の声は遠くでしている
懐しきものみな去ると。

(一九三三・一〇・八)


(「新編中原中也全集」第2巻・詩より。新かなに変えてあります。)

 

中原中也/秋の詩名作コレクション4/秋の日曜

秋の日曜

私の部屋の、窓越しに
みえるのは、エヤ・サイン
軽くあがった 二つの気球

青い空は金色に澄み、
そこから茸(きのこ)の薫(かお)りは生れ、
娘は生れ夢も生れる。

でも、風は冷え、
街はいったいに雨の翌日のようで
はじめて紹介される人同志はなじまない。

誰もかも再会に懐(なつか)しむ、
あの貞順(ていじゅん)な奥さんも
昔の喜びに笑いいでる。

(「新編中原中也全集」第2巻・詩より。 新かなに変えてあります。)

 

中原中也/秋の詩名作コレクション3/いちじくの葉

いちじくの葉

いちじくの、葉が夕空にくろぐろと、
風に吹かれて
隙間(すきま)より、空あらわれる
美しい、前歯一本欠け落ちた
おみなのように、姿勢よく
ゆうべの空に、立ちつくす

――わたくしは、がっかりとして
わたしの過去の ごちゃごちゃと
積みかさなった思い出の
ほごすすべなく、いらだって、
やがては、頭の重みの現在感に
身を托(たく)し、心も托し、

なにもかも、いわぬこととし、
このゆうべ、ふきすぐる風に頸(くび)さらし、
夕空に、くろぐろはためく
いちじくの、木末(こずえ) みあげて、
なにものか、知らぬものへの
愛情のかぎりをつくす。


(「新編中原中也全集」第2巻・詩より。新かなに変えてあります。)

 

中原中也/秋の詩名作コレクション2/幻想

幻 想

 

草には風が吹いていた。

出来たてのその郊外の駅の前には、地均機械(ローラー・エンジン)が放り出されてあった。そのそばにはアブラハム・リンカン氏が一人立っていて、手帳を出して何か書き付けている。

(夕陽に背を向けて野の道を散歩することは淋しいことだ。)

「リンカンさん」、私は彼に話しかけに近づいた。

「リンカンさん」

「なんですか」

私は彼のチョッキやチョッキの釦(ボタン)や胸のあたりを見た。

「リンカンさん」

「なんですか」

やがてリンカン氏は、私がひとなつっこさのほか、何にも持合(もちあ)わぬのであることをみてとった。

リンカン氏は駅から一寸(ちょっと)行った処の、畑の中の一瓢亭(いちひょうてい)に私を伴(ともな)った。

我々はそこでビールを飲んだ。

夜が来ると窓から一つの星がみえた。

女給(じょきゅう)が去り、コックが寝、さて此(こ)の家には私達二人だけが残されたようであった。

すっかり夜が更けると、大地は、此の瓢亭(ひょうてい)が載っかっている地所(じしょ)だけを残して、すっかり陥没(かんぼつ)してしまっていた。

帰る術(すべ)もないので私達二人は、今夜一夜(ひとよ)を此処(ここ)に過ごそうということになった。

私は心配であった。

しかしリンカン氏は、私の顔を見て微笑(ほほえ)んでいた、「大丈夫(ダイジョブ)ですよ」

毛布も何もないので、私は先刻(せんこく)から消えていたストーブを焚付(たきつ)けておいてから寝ようと思ったのだが、十能(じゅうのう)も火箸(ひばし)もあるのに焚付がない。万事(ばんじ)諦(あきら)めて私とリンカン氏とは、卓子(テーブル)を中に向き合って、頬肘(ほうひじ)をついたままで眠ろうとしていた。電燈(でんとう)は全く明るく、残されたビール瓶の上に光っていた。

目が覚めたのは八時であった。空は晴れ、大地はすっかり旧に復し、野はレモンの色に明(あか)っていた。

コックは、バケツを提(さ)げたまま裏口に立って誰かと何か話していた。女給は我々から三米(メートル)ばかりの所に、片足浮かして我々を見守っていた。

「リンカンさん」

「なんですか」

「エヤアメールが揚(あが)っています」

「ほんとに」

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩より。新かなに変えてあります。原文の「ひとなつっこさ」に傍点がつけられています。 )

 

中原中也/秋の詩の名作コレクション1/漂々と口笛吹いて

漂々と口笛吹いて

漂々(ひょうひょう)と 口笛吹いて 地平の辺(べ)
歩き廻(まわ)るは……
一枝(ひとえ)の ポプラを肩に ゆさゆさと
葉を翻(ひるが)えし 歩き廻るは
褐色(かちいろ)の 海賊帽子(かいぞくぼうし) ひょろひょろの
ズボンを穿(は)いて 地平の辺
森のこちらを すれすれに
目立たぬように 歩いているのは
あれは なんだ? あれは なんだ?
あれは 単なる呑気者(のんきもの)か?
それともあれは 横著者(おうちゃくもの)か?
あれは なんだ? あれは なんだ?
地平のあたりを口笛吹いて
ああして呑気に歩いてゆくのは
ポプラを肩に葉を翻えし
ああして呑気に歩いてゆくのは
弱げにみえて横著そうで
さりとて別に悪意もないのは
あれはサ 秋サ ただなんとなく
おまえの 意欲を 嗤(わら)いに 来たのサ
あんまり あんまり ただなんとなく
嗤いに 来たのサ おまえの 意欲を
嗤うことさえよしてもいいと
やがてもあいつが思う頃には
嗤うことさえよしてしまえと
やがてもあいつがひきとるときには
冬が来るのサ 冬が 冬が
野分(のわき)の 色の 冬が 来るのサ

(「新編中原中也全集」第2巻・詩より。新かなに変えてあります。)

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