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2019年10月 6日 (日)

中原中也/秋の詩名作コレクション13/或る心の一季節――散文詩

或る心の一季節
――散文詩

最早(もはや)、あらゆるものが目を覚ました、黎明(れいめい)は来た。私の心の中に住む幾多のフェアリー達は、朝露の傍(そば)では草の葉っぱのすがすがしい線を描いた。

私は過去の夢を訝(いぶか)しげな眼で見返る………何故(ナニユエ)に夢であったかはまだ知らない。其処(そこ)に安座(あんざ)した大饒舌(だいじょうぜつ)で漸(ようや)く癒る程暑苦しい口腔(こうくう)を、又整頓を知らぬ口角を、樺色(かばいろ)の勝負部屋を、私は懐(なつか)しみを以(もっ)て心より胸にと汲(く)み出だす。だが次の瞬間に、私の心ははや、懐しみを棄てて慈(いつく)しみに変っている。これは如何(どう)したことだ?………けれども、私の心に今は残像に過ぎない、大饒舌で漸く癒る程暑苦しい口腔、整頓を知らぬ口角、樺色の勝負部屋……それ等の上にも、幸いあれ!幸いあれ!

併(しか)し此(こ)の願いは、卑屈(ひくつ)な生活の中では「ああ昇天は私に涙である」という、計(はか)らない、素気(すげ)なき呟(つぶや)きとなって出て来るのみだ。それは何故(なぜ)か?

私の過去の環境が、私に強請(きょうせい)した誤れる持物は、釈放さるべきアルコールの朝(アシタ)の海を昨日得ている。だが、それを得たる者の胸に訪れる筈(はず)の天使はまだ私の黄色の糜爛(びらん)の病床に来ては呉(く)れない。――(私は風車の上の空を見上げる)――私の唸(うめ)きは今や美(うる)わしく強き血漿(けっしょう)であるに、その最も親わしき友にも了解されずにいる。………

私はそれが苦しい。――「私は過去の夢を訝しげな眼で見返る………何故に夢であったかはまだ知らない。其処に安座した大饒舌で漸く癒る程暑苦しい口腔を、又整頓を知らぬ口角を、樺色の勝負部屋を、私は懐しみを以て心より胸にと汲み出す」――さればこそ私は恥辱を忘れることによっての自由を求めた。

友よ、それを徒(いたず)らな天真爛漫と見過(みあやま)るな。

だが、その自由の不快を、私は私の唯一つの仕事である散歩を、終日した後、やがてのこと己が机の前に帰って来、夜の一点を囲う生暖き部屋に、投げ出された自分の手足を見懸ける時に、泌々(しみじみ)知る。掛け置いた私の置時計の一秒々々の音に、茫然(ぼうぜん)耳をかしながら私は私の過去の要求の買い集めた書物の重なりに目を呉れる、又私の燈(ともしび)に向って瞼(まぶた)を見据える。

間もなく、疲労が軽く意識され始めるや、私は今日一日の巫戲(ふざ)けた自分の行蹟(ぎょうせき)の数々が、赤面と後悔を伴って私の心に蘇るのを感ずる。――まあ其処にある俺は、哄笑(こうしょう)と落胆との取留(とりとめ)なき混交(こんこう)の放射体ではなかったか!――だが併(しか)し、私のした私らしくない事も如何(いか)にか私の意図したことになってるのは不思議だ………「私の過去の環境が、私に強請した誤れる私の持物は、釈放さるべきアルコールの朝(アシタ)の海を昨日得ている。だが、それを得たる者の胸に訪れる筈の天使はまだ私の黄色の糜爛の病床に来ては呉れない。――(私は風車の上の空を見上げる)――私の唸きは今や美わしく強き血漿であるに、その最も親わしき友にも了解されずにいる」………そうだ、焦点の明確でないこと以外に、私は私に欠点を見出すことはもう出来ない。

私は友を訪れることを避けた。そして砂埃の立ち上がり巻き返る広場の縁をすぐって歩いた。
 今日もそれをした。そして今もう夜中が来ている。終列車を当てに停車場の待合室にチョコンと坐っている自分自身である。此所から二里近く離れた私の住居である一室は、夜空の下に細い赤い口をして待っているように思える――

私は夜、眠いリノリュームの、停車場の待合室では、沸き返る一抱きの蒸気釜を要求した。

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)
 

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